春風駘蕩

いつの時代でもこうありたい

「郵政」とは何だったのか

2005年07月05日 | 日記
午後の衆議院本会議で、郵政民営化法案が可決された。賛成233票、反対228票、その差5票という僅差での可決だった。
反対票を投じたのは野党議員と一部自民党議員で、当日の自民党議員の投票行動の内訳は次の通り。総数250、賛成199、
反対37、欠席・棄権14。自民党の造反議員は51名、全体の約2割だった。

小泉総理は、「民間にできることは民間に」「地方にできることは地方に」をスローガンに構造改革を積極的に推進し、
なかでも郵政民営化は「改革の本丸」と位置付け、絶対に譲れないとして、不退転の決意で臨んだ。政府と自民党の協議で
数ヵ所の修正はあったものの、ほぼ原案通りの衆議院通過である。

郵便局は、現在、全国で2万4700、各市町村に最低一つはある。反対派は、民営化すると採算の悪い郵便局は切捨てられる
と主張したが、この件については政府と自民党の協議で、過疎地でも都市部でも現在の水準が維持されることになった。
したがって、現在の郵便局網はほとんどが維持される。

また、民営化されると郵便局は物品の販売や旅行のチケットの取り扱いなど自由に商売ができるようになるが、それでも採算が
合わず、撤退やむなしという状況が生じた場合には、持ち株会社が作った「社会・地域貢献基金」で支援できる。当初、
基金は1兆円だったが、修正協議で「1兆円を超えて2兆円まで」積み立てられることになった。
 
それなのに反対派はなぜ納得しないのか。それは「郵政後」の諸改革、とりわけ行政改革、特殊法人改革、総じて言えば
これから想定される構造改革を潰すにはどうしても「郵政」を潰しておかなければならない。だから、反対派は総力を挙げて
戦った、ということだろう。詰まるところ、「郵政」とは自民党内の改革派と守旧派(既得権維持派)の攻防だったのである。