バーバの極楽トンボ

さー傘壽を超えた・・今からももうひと飛び

ピカドンの前々日 土曜日だった 1/4

2007-07-31 10:44:36 | 原爆孤老のつぶやき・・
ピカドンの前々日は土曜日 だった。親友との最後の日 

あの頃は授業でなく、爆撃の類焼を避けるためにあのドームのあたりで、一軒ずつ繩を掛けて「一、二、三、引けー」の号令で倒す作業・・

考えてみると、アホらしい・・そんなことで戦に勝てるはずはない・・

私は女学校の二年生、13才だった。 土曜日その作業が済んだ後親友のYさんと思春期特有の感傷だったのか何時までも離れがたく「月曜日にあの川で泳ごうね・・」  と手を握ってあの土手を何度も往復した。
これが親友との最後の別れとなった・・

ピカドン・・あの日は月曜日だった。 2/4

2007-07-31 10:20:45 | 原爆孤老のつぶやき・・


 ピカドン・・あの日は月曜日だった


その日の朝、早くからB29が一機だけ真っ青な空にノンビリと輪を描いたように飛んでいった・・広島は空襲警報だった・・
何の物音もせず・・B29の機音が青い空に吸い込まれるような静寂だった。 街の人は爆弾も、焼夷弾も落ちてこない空襲警報を、一寸安堵した気持ちで豪から出てきた。

暫くして空襲警報は解除になった  
私は何故かその日は作業に行きたくなくて、母に「今日は休みたい・・」と告げて二階の窓際の机で本を読んでいた。 その5分前、 何故か机上の時計で8時10分を確認した。

その頃は食料もなく雑炊がほとんどでグーグー鳴るお腹を抱えて階下にいる両親の所に行った   「何か食べるものない?」の私に「冷蔵庫に桃があるから食べなさい」と母の声  
「食べ物があった」とイソイソと冷蔵庫の前にいったその時、 ぷーんと何かが焦げる臭いがした。
咄嗟に焼夷弾だ・・と両親の方を振り向いた時、玄関一杯に虹色に輝く円形の光を見た、
その瞬間すべてが崩壊して、私は意識を失った


 

飼い猫のミーに助けられて・・  3/4

2007-07-31 10:15:12 | 原爆孤老のつぶやき・・

 可愛がっていた猫に助けられた・・
なんときが経過したのか、私は物音のない暗闇で「あー私は死んでる・・この静かさは黄泉の世界なんだ・・」と納得し掛かったとき
母の呼ぶ声が遙か彼方からかすかに・・かすかに・・耳に入ってきた。
その瞬間 風船を割ったように「パーン」と・・もの凄い雑音が一気に、母の呼ぶ声と一緒に飛び込んできた。
意識が戻ると物の焦げる臭い、人の理解できない叫び声・・パチパチと何か燃えている音 、私たち三人は家の大きな柱に挟まれて、暗闇の中出口すら判らない。 
その時可愛がっていた猫の「ミー」の鳴き声がする「ミー 何処ミーチャン、・・どこにおるんねー」と母が必死に呼んだ。
三人はその鳴き声を頼りに崩壊した家の下で声に向かって進んだ。

手探りで声を頼りに進んだとき、ポッカリ明るいところに出た・・台所の天窓だ・・そこにミーが足をかけて私たちを見て鳴いていた。
母が「あそこから出れる・・」千切れるような声で「ミー ミー」と・・・
無我夢中で小さな天窓から逃げ出した私たち・・
ミーは何処にも見えなかった・・火の手を見て逃げてしまったのか・・
ただ・・無事でいてくれることを祈ったが・・




はい上がって見たのは地獄絵だった  4/4

2007-07-31 10:05:03 | 原爆孤老のつぶやき・・



下敷きの家屋から這い出してみたものは地獄絵だった。 4/4

着ていた服やもんぺは釘やガラスでずたずた・・
でも切り傷だけで助かった。  家屋から出て見ると町中が灰色・・至る所から火の手が上がっている。見るともう足下から火の手が来ている・   
透かしてみると何人もの人が意味のわからない言葉・・ほんとは人の名前だったのかも知れない・・まるで夢遊病者の様に、右往左往している・

その時の母は多分三十代だったのではないかとおもう まるで腑抜けとなった父と私を引っ張って比治山の裏側え逃げていった

七十過ぎのおばーもやったぞー

2007-07-21 12:27:28 | トンボの旅日記
70すぎのおばーでもやったぞー

毎日暑い日が続きます。
でもそれに負けては駄目・・駄目ヘ(^^ヘ)

年甲斐もなく??なんて言ってはおれないよ。
熟年通り越して先に見えるのは「棺桶」なんだから・・
だからこそ、やりたいこと、やらなくっちゃー

一昨年の二月、おじーとおばーで厳寒の上高地にトレッキングを企てた。
勿論カッコイイ若者のインストラクターに先導されて、今まで見たこともない雪原・・
「こんな坂、なんだ坂・・」声張り上げて歩いたもん・・

雪の上に寝っ転がって持参のむすび・・一寸そこらのフランス料理より美味しかった・・

おじーだっておばーだって、歳をとると子供に返る・・なんて・・

  歳を重ねるってとっても楽しいものだなー

後の残ったこの世の楽しみ・・シッカリあの世に持って行かなくっちゃー 

恵みの雨

2007-07-18 13:11:18 | トンボの徒然ダイアリー
今年の梅雨は一寸変 (・_・)......ン?
こんな時期に台風がきたり地震があったり・・
いったい・・どうなってるの??  
やっぱり地球が変になってきてる??

我が家からは恵みの雨で公園の木々が嬉々としてみえる。
自然って素晴らしいなー  
雨が降らなくっても、素知らぬ顔して風に吹かれてる・・

私たちも一寸思うようにならないっておたおたしないで泰然としていたい。  

我慢することも大切なんだな・・・

ジッと我慢した後のご褒美は何にも代え難いものね。

さすが、日本の祭りだ・・

2007-07-17 17:50:43 | トンボの旅日記
 今日は京都の祇園祭だ   二年前乗鞍に登山する前日京都に泊まった。
 偶然にも一度、本物を見たいと思っていた山矛・・ 宵宵山とゆうことで、矛は動いていなかったが、
四条あたりは人で熱気にあふれていた。

写真を・・・と心が焦るばっかりだったが、京の人の着こなしにうっとりとして・・

老若男女のさりげなく着流した浴衣姿の見事なこと、やっぱり日本だ・・!!
つい、浴衣姿のお尻ばっかりを追うはめになってしまった一枚・・

狐の嫁入り・・

2007-07-08 12:25:44 | トンボの徒然ダイアリー
  夜目遠目傘の中・・・
 しとしとと降る梅雨時の雨でも、こんな美しい言葉があったなんて・・  日本人の感性はすばらしい。

私も今から67年も前の光景が浮かんでくる。

我が家は市内一番の繁華街に位置していた。  
梅雨時は外で遊べないので二階の窓から、唐傘や蛇の目傘を透して歩く大人の人を眺めて過ごしていた。

梅雨時にはしばしば「狐の嫁入り」の幻想的な時間があった。
 
それは、小雨が降るのに薄日がさし、美しい蛇の目を透して雨ゴートを着た女の人がゆっくりと歩いている・・・なんとも夢の中にいるような一時だった、 まるでそのフアフアと歩く人が魔法使いの様に思えそのまま 童話の世界に入っていったものだった。

今は蛇の目傘が高級品となってしまったようだ・・ ましてや今の季節の中に「狐の嫁入り」は存在しているのだろうか??

なんとも寂しい気がする。

あの日は月曜日だった。

2007-07-03 17:13:50 | 原爆孤老のつぶやき・・
あの忌まわしいピカドンから62年もたってしまったのですね。

未だに原爆の後遺症で肉体的にも精神的にも苦しんでいる人が大勢居るのです。
肉体的にくるしんでいるひともだけど・・心の深く食い込んでいる傷跡・・年月が経つほど深く食い込ます。

何故あの時、・・と生き残っている人は・・あの平和の鐘の音と、夜川面に流れていく灯籠、原爆当夜の読経の声・・あの時親や子供を捜し求める声の響き・・
眼を閉じると今その現実に立っているような・・胸苦しい記憶の中で身を焦がすような錯覚に襲われます。   毎年・・毎年・・8月6日の日に・・・

今生き残っている人すべてがそうなのです。





春から夏に・・

2007-07-03 12:27:45 | トンボのお家
今年は梅雨らしい雨も降らないけど・・  一昨日の深夜、ものすごい雷様が叫び回ったとか・・ (-.-;)y-゜゜゜
何にも知らずに白河夜船で,. 寝こけていました・・
マッタク幸せ者の極楽トンボ・・ 

やっと春姿から夏模様に衣替えしました。
亡き母が浴衣で縫ってくれたのれんを手元に置いておきたくてタペストリーに作りかえてみました。

真ん中の額は橋本関雪の「夕立」です。  勿論、貧乏人のトンボだからコピーです。 
凛とした白狐が大好き・・(;゜゜)ワーッ!  
これで一夏、乗り切らなくっちゃー  ね。