バーバの極楽トンボ

さー傘壽を超えた・・今からももうひと飛び

神戸旅 続き・・・

2010-01-29 10:24:31 | トンボの旅日記
1月29日 
今日は朝から快晴、室内は暖房無しで暖かい。
真東に向いている我が家は立春に向かって徐々に日差しが延びてくる。  自然の恵みに感謝する。 
 1月24日 神戸旅の最後の一日
相変わらず夜明け前に目覚め窓を開けてベランダに出てみた。
こちら側は夜明の太陽は見れないが、しらじらと海の上からピンク色に染まっていく・・静寂の神秘・・・
暫く冬の寒さも忘れていた。
やがて6時半も過ぎ、みるみる太陽が昇ってきたのであろう、白い船体が輝くように浮かび上がった。ここは神戸・・・その思いがひとしおであった。
やがてファミリー全員の声が揃って朝食の時間となり、この日も全員お喋りに弾みながらユックリ満腹まで時間を費やした。

さて、この一日を有意義にと全員一致、今開催している「トトロの森」を画いた人の絵に行くことにした。会場にいったのが10時半ぐらいだったのに、長蛇の列で時間制限・・・ほとんど子供の団体や子供ずれの
グループだ・・ ここでも全員一致・・歩いて三ノ宮え行くことにした。   年寄りがいるのでブラブラ1時間ちょっと掛かって到着した。   そこから、私おすすめの「明石焼き」と「ドンクのパン」を食した。  時間も二時近くなり名古屋、京都、広島と又の再会を約して解散した。

この一泊二日の神戸旅、子供も大人も満足であった。
なにより、元気な顔揃えることが出来たのが大収穫であった。

来年もそうでありたい。

神戸旅 

2010-01-26 10:32:41 | トンボの旅日記
1月26日 {/kaeru_fine
1月23日、一年飛ばしのファミリー旅行だ
このたびは各地からの集合で震災後15年目の神戸に集合する事にした。
  
ホテルは神戸港のメリケンパークオリエンタルHだ。

 
ロビーで全員の到着までお茶を頂く。  ホテルでは大安吉日らしく着飾った人達の華やいだ景色に私たちもウキウキとして待ち時間を楽しんだ。

やがて全員揃ったところでランチバイキングの予約席にギャルソンの案内に従って座った・・・
相も変わらず、それぞれ満腹になるまで頑張った様子・・・食べることはヤッパリ楽しい・・・しかも、総勢12名で・・・
  
お腹が満たされると外の景色に目がいった
             。大きな帆船が停泊している
この日は見学も出来るようで大勢の人が帆船の内外を行き交っている。  

時間もちょうど3時半、夕食は中華街のおすすめの料理屋え7時に予約を取ってある。
それまでのストレッチにと対岸のモザイクモールえ行くことにした。  
港の海風は結構冷たい・・・遊んでいるときはそれさえ楽しい・・
 
 
夜の帳が下りる頃まで遊び呆けて、肩をすくめながらホテルに向かった。

ぼつぼつ予約の時間も近づいてきた、
12名をタクシー3台に分乗し、南京町えと走らせた。
 
料理は、何時も食べている物でなく食べたことのないコースを頼むことにした。   個室の円卓に運ばれてくる料理も珍しく子供達は勿論、久しぶりに本場中華料理店の雰囲気に馴染んで、中央で回るテーブルをあっちの料理、こっちの取り皿と回して楽しい時間が過ぎていった。大人達も老酒より紹興酒と杯に砂糖を入れ、時間も気にせずお大臣気分で鷹揚に過ごした。
外に出てみると灯りも少なくなっていた。
それぞれにタクシーを拾ってホテルに帰り子供達はルームえ、大人はティールーム酔い覚ましのお茶とお喋りに一花咲かせて引き取った。

残り明日一日の楽しみを胸に抱えて寝ることにした。

私も運ばれてくる料理に心奪われて、写真どころではなく・・ひたすら食べるのに忙しく写真も最初の二枚で終わってしまった。

この食い気ならまだまだ冥土の渡し船には乗れないな・・・ 



 

今年のファミリー全員集合

2010-01-19 11:12:11 | トンボの徒然ダイアリー
1月19日 
今日から二、三日は春のような陽気になるそうだ。 最近は天気予報も80%当たるのできっと暖かくなるのだろう。

全員集合も去年は出来なかったが今年は実現しそうだ。

病身の弟は勿論私を含め彼岸の花園も見え隠れするシルバーも、ヤングもそろっている。、  それはそれ、自然の成り行き次第、何れにして、「火箸は先から・・」納得のいったところで年の順、、ヒョイと渡し船に乗りたいものだ。

幸いファミリーの中にも今年小学一年生になる子もいる。
続いてるんだなー・・・と実感した。

もっと多い家族もあるが、そりはそれなり嬉しいことだ。

この年に一度の行事は父が亡くなった後、母の提案で「亡き人を偲びたい・・」と法要とは別に一席ををもうけたのが始まりで10年以上続いている、最初の一年は神妙だったが二年三年とくると一年に一回だけ全員が揃って楽しい一夜を過ごすようになった。
その間甥達はそれぞれ家庭を持ち家族も増えた。

順番通りにいくと父が逝き、母が逝き、叔母が逝き、兄が逝った。
そして、この次は私の番だ。そして、弟・・
この旅にはどうしてもご一緒して欲しい方々も無理にご一緒して頂くことにした。  
(ホントニ難病の彼のため心と、労力を費やしてくださっている方々、言葉では言い表せない・・感謝だ。有り難う御座います。)、

渡し船に乗る順番の二人は死にたいなんてサラサラ無く、みんなで楽しく元気に日を送りたいだけのおめでたい人種だ。
そう信じて生きていける事に感謝しなければいけない。   感謝

そんな、こんなでこの神戸旅、みんなで大いに食べ、遊びの一泊二日をエンジョイするつもりだ。

勿論先に逝った冥土の先駆者たちの供養を兼ねて・・ウ・・・??

まー、老若混ぜてそんなこと考えもしてないけど・・・ バ・チ・ア・タ・リ・め


あの阪神大震災に遭遇した。

2010-01-17 09:00:54 | 原爆孤老のつぶやき・・
1月17
日 たりたり
この二、三日粉雪が舞う・・・
雪山に遊びに行っているときはこれも又、楽しいが、日常の生活の中でチラチラ降っているのは何とも、「アー寒そう・・」と首を縮めてしまう。

テレビも15年前の阪神大震災に関する報道が多い。

私はあの時母、叔母と三人でボートアイランドのホテルの12階に滞在していた。
夜明け前、未だ夢うつつに激しい上下の揺れで飛び起きた。・・・とゆうよりベッドからほり投げられた。  その瞬間トリプルルームにあったあらゆる調度品が頭上を飛び交っている。
考える閑もなく高齢の二人を捜したらベッドの間に落とされて飛び交う物にも当たらず身をちぢ込ませていた。
一瞬室内は停電したがホテルの自家発電で何時も通り点灯していた。

何があったか・・判らないが、原爆を体験していた三人は、一大事であることは理解でき、比較的冷静に考えることは出来た。
ホットする間もなく激しい横揺れで動き回るベッドの足に身を寄せあって何分だったか、何秒だったか、ジッとしていた。
暫くして、我に返った私たちは兎に角ここから脱出しなければと、衣服を整え貴重品を身につけた、、「大丈夫ですかァ・・」「大丈夫ですかア支配人でーす・・」の連呼のこえとドアーを激しく叩く音に慌てて施錠をはずした。・・・
幸いなことに力任せの男性の力も、それほど力はいらず廊下に出ることが出来た。
そこから一階まで非常階段の冷たい手すりにつかまり余震を感じながら支配人の誘導で下りていった。

その頃はスッカリ夜も明けていた。  
一階のロビーに、多分最後に下りてきただろう私たち三人も、不安そうな宿泊客の顔に顔を並べた。

「これで、宿泊の皆さん全員ですね・・」の支配人のこえではじめて全員の顔に安堵の色が出た。
それから、何となくみんなに連帯感が生まれ、手持ちのお菓子や飲み物を分け合った。   午前が過ぎ午後が過ぎロビーから見える外は尋常でない顔の人の行き交う姿が右往左往して見える。

やがて夜の帳が落ち始めると「大きな余震がくる・・」と誰ゆうと無く話題に上り始めた。  その頃は宿泊者だけでなく外部から人が大勢出入りしてきた。   昼食と夕食は私たちの口に些かなりとも入ったが、水も光熱も止まってしまい、 翌日からはジュースとカンパンになった。 宿泊者と外部の人との区別はつかず、ホテルでは対応しきれず食事は有る物だけ・・も無くなった。

一寸先にコンビニがあると知らされ行ってみたが、もう、手に入れることも出来ず水物だけでその日は暮れた。

余震があるたびにロビーの大きなシャンデリアがグルグル回て・・・恐怖を感じた。   

このアイランドと対岸の三ノ宮とは一本の橋で繋がっていて、その橋が重量に耐えきれず車の往来も制限されているので充分な補給が出来ないのだとゆうことであった。

今朝はテレビも5時46分からその時の映像を映している。
そして、愛する人を失ってその空洞をヤット15年たった今再び思い起こすことが出来た。・・・

私も、一瞬に死体すらない友の死を何年かかっただろうか・・いや、未だに認識しえていないような気がする。
人は必ず死ぬ・・と判っていても・・・何故?どうして?・・・

今朝早くから流れてくるメールやFXの言葉・・・そのラジオを聞いていると「人間の本質は善なのだと・・」
二度も予期せぬ事に会ったとき自分を含めて「みんな家族なんだ・・」と手を取り合い話し合い分け合った三日間で素直に信じることが出来た。

私にはもう一つ「運命は自分で切り開くのではない、生まれたときから自分の歩いていく道は出来ているのだ・・」と信じざるをえないことが有った。

原爆後父母と三人で一日掛けて逃げていった祖母達の避難先、私はもう立ち上がることも出来ずそのまま伏してしまっていた。
15日の終戦も知らず微かながら意識はあったのだろう、

栄養失調で少しの水しか受け付けなかったにも関わらず生きていたのだろうか・・

ある朝、口の中に肉の塊が出てきた。 母にやせ細った手で口の中をさしたとき母が「アッこれが食道を塞いだら死んでしままう」と手を突っ込んでむしり取った・・と表現すべきだったと思う。

もう、その時の私は家族も医者も(といっても村の年老いた)死ぬだろうと思っていた状態だったらしい。

でも、私は死ぬなんて夢にも思って無くてただ息を吸って吐いてだけを意識していたように思う

その口一杯にあった肉片が無くなってから食物も喉を通り食欲も出て9月中頃にはフラフラしながらも布団上に座ることが出来た。

そして、立って歩きたい、歩いて外え出てみたい・・・とタンスにつかまり柱につかまり・・やせ細った体だったが、こんなに体は重たい物なのかと・・四つん這いですら、重心が取れず布団の上に何度倒れたことか・・一ヶ月程掛かって母につかまりながら歩くことが出た。

、いままで無かった口の中の肉片が何故、あの日出てきたのだろか・・
自分ではその間中何にも考えず横たわっていただけだった・・
でも、不思議と自分は死ぬのでは?なんて考えは一度も無かった。
13才とゆう年齢だからだろうか・・・

今でもその二ヶ月間の出来事は理解できない。

あんな、こんなで現在生きている私、「人はチャンと引かれた一本道を歩いているのだ。」とゆうことを心に刻んで感謝して歩きたいと思う。


  

しゃべり場

2010-01-16 13:57:24 | トンボの徒然ダイアリー
1月16日 たり
今朝は昨日に比べて暖かい。
昔より気候の変化は著しい。

昨日は先日あるところで気になるチラシを目にした。
早速連絡先に電話をしてみた。  
 「リタイヤした男性5人と女性1人の集まりで、リタイヤした人ばかりなのでが好きなことをテーマにしゃべるだけですょ・・女性がいないので是非参加を・・」の甘い勧誘であ った。
     早速指示通りの道順で会場に行った。   公民館の一室にテーブルを囲んで6人のいかにも蘊蓄の有りそうな人達が座っていた。

簡単な自己紹介で椅子に座った。
さて、どんな話題だろうか・・・と思っていたら、「天皇と日本史」と印刷された10枚ほどの冊子が配られ、やおら一人の男性が桓武天皇頃(8世紀)から、後冷泉天皇(11世紀)までの出来事の講義?をされた。話は結構ざっくばらんで私にとっては面白かった。

私は戦時中、終戦、戦後と一番勉強の無かった・・・とゆうか、しなかったとゆうか、戦前の「一億総決起」で竹槍を振りかざし、終戦と同時に「自由・・個人・権利・・」の世界に流れた。とゆうより焼け野原になって何にもない学校の片づけから始まって来る日も来る日も作業一色であった。
  (私の学友はあの日建物疎開にかり出され、あのドームの所で作業をしていた。・・ 全員何にも残らず昇天してしまった・・・)
 
しかも、急に自由だ・自由にに有頂天になっていたように思う。

あれから64年たった今僅かな年金暮らしとはいえ、自由に語らい自由に知識を求める事が出来ている。

リタイヤしてからは弱視、難聴、思考の衰え・・・エトセトラ・・・
それでも、色々な人の中に入って行こうとする、好奇心だけは持ち合わせている。  あの幼いときに知識として蓄積しえなかったものが、こんな所で与えられることは感謝に堪えない気がする。

そんなことを考えると「人生って棄てた物ではないな・・」チャンとその人が必要だと思う事は、あたえてくださるのだ・・」と
   感謝、感謝だ。



         


今日はナニシヨーかな??

2010-01-12 11:18:23 | トンボの徒然ダイアリー
月12日 
 朝からお向かいのYさんと2時間ほどお喋りをした。
彼女とのお喋りはなかなか面白い。
私の行動範囲と一寸違って面白い話題が出る。
今朝も「今時のヤングは何考えてるのかね・・」なんて話が盛り上がった。
結局は「年寄りのぼやき・・・」なのかもしれない・・・

さて、私は明日、京都日帰りの予定で今度行くフアミリー旅行の行程確認に行くことにした。
現在の彼の病状も含めて、、勿論私たちも家族全員で一夜を過ごすことが出来るのもそんなに多くはないかも知れない。  

一昨年はファミリーで雪の長野え行った。
到着後寒い雪景色を湯の中から堪能して皆でこの料理旅館自慢のフランス料理を味わうべくムードの良いレストランのテーブルに付いた。、
私の乾杯からディナーが始まった。  美味しいワインと料理にみんな酔い始めた頃、張本人の私が突然意識不明になって救急車騒ぎを引き起こした。

その時、弟の提案で「ここで、せっかくの美味しいフランス料理を反故にするのは主催者の意に反すると思う、たとえ何があっても、自然の成り行きだ、残った者で盛大に盛り上がろう!!」と機嫌良くみなで料理を平らげたのだそうだ。

その2時間後、私は病院から無事生還して旅館の車で帰った。  私自身糖尿病のコントロールも最良とは言わないが、時たま意識障害を起こす。
そんな私も周りの人に助けられて、発病以来50年も自分なりに元気に生かされている。、     
感謝・・感謝である。

勿論主催者の私も、たとえあの世えの旅立ちの草鞋を履いた、としてもそうして欲しいと思うだろう。

事実は小説よりも奇なり・・・このことがファミリー全体にシッカリ心に刻まれた


あの時はちょっと贅沢に露天風呂付の部屋でホントニ楽しい一時を持ったことは良かった。

さて、今年のファミリー全員集合は神戸港町でどんな楽しいアクシデントが待っているのだろうか・・・その日が来るまでも旅の楽しみ・・・

取りあえずはみんなそれなりに元気で参加したい。


いよいよ寒の入りだ・・・

2010-01-05 11:07:29 | トンボの徒然ダイアリー
1月5日
寒の入りにしては今朝は暖かかった。  午後になるに従って寒くなるとの予報だ

今年は今まで年賀状の返信もなかった知人からコンタクトがあり、嬉しい気持ちで一杯だ。

お互いの空白の数年間、少しは事情が変わってはいるがそれなりに元気で暮らしていらっしゃる由私自身も含めて幸せなことだ。

年の初めはやっぱりワクワクする。   
今年はどんな年になるだろうか・・・
久しぶりに便りのあった友人とお喋りに花を咲かせたいと思う。
 

さー今日から仕事始め>??

2010-01-04 09:30:00 | トンボの徒然ダイアリー
1月4日  久しぶりの!!

元旦から何となくスッキリしなかった朝も久しぶりに青空がみえる。

この不景気・・不景気と連呼されてる仕事始めとしては「さー今年もガ・ン・バ・ル・ゾー・・と励ましてくれているようだ。

私も仕事始めではないがボチボチ活動を開始しなければなるまい。

傘壽までは、ゼッタイ頑張るゾー

2010-01-02 16:00:31 | トンボの徒然ダイアリー
1月2日 たり

今日は恒例の新年パーティー
今年で何年続けているのだろうか・・・
初めは自宅でやっていたが、4,5年前からホテルでやることにした。

有り難いことに毎年声を掛けたら来てくださる方々・・うれしいことだ


今年はホテル業界も不景気なのか去年ほどの混雑はなく、レストランもまだ、空きテーブルがあった。

私たちのテーブルはお構いなく乾杯から始まって料理に突進していったようだ
若者も何人かはいるものの恥ずかしさは遙か向こうに置き忘れ、何でも・・??の好奇心、デザートの端まで味見をする、真剣な眼差し・・
それはそれ、結構楽しい数時間を過ごした。

お腹は満腹 暫く近況の報告に時間は過ぎた。
やがて、来年の再会を約して隣にある神社に初参り・・・

この順序はまだ若き頃の罰当たりな習性が残っているのか、・・・参拝は後・・・
             それから例年通り私達は御神酒を頂いて今年の運勢を試すべくお神籤場え行った。

猫派の私たちが引いた猫お神籤には・・・、傘壽目前の私たち二人に「良縁あり・・」とでた。

はてさて、、早速ツエを頼りに婿探しと行かなければ・・・??
 

新年明けましておめでとう・・・

2010-01-01 08:32:39 | トンボの徒然ダイアリー
平成二二年一月一日 から

今朝は爽やかな目覚め・いつもの日課と一寸違って仏様に御神酒を差し上げてお雑煮の支度・・・しながら・・・去年の新年はどうしてたのかな?と考えたが、何も無かったのだろう・・何も浮かんでこない・・

梅の木の花数が少し増えた。
御神酒をさげてお雑煮と一緒に新年のお祝いをする。

デジカメでいろいろ・・・と弄りすぎて命令に従わない、・・・
今年も去年と一緒。。。まーコンナモンダ・・・

一人で結構楽しい御機嫌な今年が始まるのだろう \(^^@)/