バーバの極楽トンボ

さー傘壽を超えた・・今からももうひと飛び

あの時、奇跡が起きた。

2011-06-26 14:56:42 | 原爆孤老のつぶやき・・
6月26日 たり

昨日も32度を越えた。  今日もそれくらいの暑さになるようだ

暑さが増してくるとグーッと66年前に引き戻される。・・・

8月6日 「ピカドン」が落ちた時、兄は宇品港辺りの工場で学徒動員での軍事作業をしていた。     
その瞬間大音響とともに瓦礫の下敷きになった、    
もうもうと立ち込める灰燼の中から這い出て数キロはなれた我が家え向かった

七つの川の流れる美しい街は跡形も無く、見渡す限り暗黒の世界のように何も見えない。

 ただ、ところどころからチョロチョロと火の手が上がっているのが灰色の世界の中にかすかに見える。    
 とにかく前を向いて歩いていくうちに、何本もの川を越えねばならない。  
川の中には「みず・・みず・・」と人間とは思えない人の姿をした人が川の水面を埋め尽くしている。  兄たちはとても家族の生存は無いのでは・・・と絶望を抱えて一人ひとりの顔を抱き起こして歩いたそうだ。

何本めかの川にたどり着いた時、同行していた友が絶叫に近い声で・・「母さん・・カアサン・・」とよれよれになった人をシッカリ抱き抱えて膝間づいている・・

暫く兄と二人でその人を横たえ・・数時間一緒にいそうだ。  やがてその人は友人の腕の中で息を引き取った・・そうだ。

何万人の傷付いたり息絶えている人の中からたとえ一瞬でも再会できたのは、奇跡というより他は無いと思う。  

       はっきりと神の存在を認識した瞬間だと思う

また、あの瞬間の日が近づいてくる。    その兄の学友も兄も他界した。・・

安らかでありますようにと、祈るのみ・・

私にも奇跡が起こった。

広島はもう草も木もはえないと聞かされ 私たちは家族で九州の果て鹿児島県と宮崎県の県境、都城え移った。

私は女学校の二年生・・その日は日曜日だったのだろう、母と二人で大して人通りも無かったけど・・メインストリートを歩いていた。  その頃は食料事情も悪く、都会の人達が大きなリュックを背負ってこの田舎町に、何でもいい食べるものを・・と買出しに来ていた。

そんな人達を横目に見ながら私たちはお喋りに夢中で歩いていた。

私は見るとはなしに前方から歩いてくる大柄のおじさんと青年をみた・・

そのとき「 神戸の叔父と従兄弟によく似ているな・・」と思い、母に「あの人神戸のおじちゃんとみちぼんによう似てるよ」と話しかけた。   
母も「えーあんな遠い所の人がこんなところに居るはずはないよね」と振り返ってみた瞬間・・あちらの二人も振り返った・・
     その瞬間・・二人の大人の驚愕の声・・

数百キロも離れた神戸と鹿児島と宮崎の県境にある小さな町の中で・・・

あの戦後の混乱期・・私たちは終戦前の神戸大空襲は知っているものの、それに続いてのピカドン・・両家の安否の知りようも無くお互い 80% 生存はないものとあきらめていた。


こんなことは奇跡としか言い様がないと・・

戦後久しく両家では言い合ったものだ。

その叔父夫婦も我が両親もすでに他界した。 安らかにと祈るのみ・・・






さわたけ・・・

2011-06-20 11:21:56 | トンボの徒然ダイアリー
6月20日 たり
今日も梅雨空
昨日Rさんからメールで送られてきた珍しいもの・・

昨日朝早く、何時も行く小料理屋の板さんに誘われて春に出るまったけを採りに行ったのだそうだ

まつたけは秋のものと思っていたが春にも出ることがあるとゆうことで収穫した写真を送ってきた。  
               

梅雨の気候が松茸のでる気候と似通う時期に少しばかり顔を出すのだそうだ。

天の恵みとはいえ有難いことだ.

梅雨景色・・

2011-06-18 11:06:22 | トンボのお家
6月18日 たり

今朝から霧雨のような雨が降る。
 眼下の公園もまるで夢の中・・
          子供たちの声もなくしとしとと降る雨の糸・・・梅雨時にしか目に入らない風景かもしれない。
    
                      
         今日は久しぶりにゆっくりしよう・・・

今朝のレンドラに思うこと

2011-06-17 09:07:53 | 原爆孤老のつぶやき・・
6月17日 たりたり。
連日の鬱陶ししまってだらだらの一日を過ごしている。

日課にしている朝の連ドラ・・・戦時中 小学生は町を離れて田舎に非難させられた。  
都会育ちの両親には田舎に親戚も無いまま弟Sも広島から遠くはなれた田舎に家族と離れて疎開した

ドラマを見ていると「色々話には聞いていたが・・」12才の少年の心にはどんなにか過酷な日々を送っていたのだろう・・と・・・

今Sはだんだんと両手の筋肉が萎縮して治療もないまま・・ブラブラの両手をもったま・「僕は大丈夫・・・」と何時も返事は返ってくる。

あの66年前の試練が彼を鍛えたのか・・・何も言わないSを愛おしいと思う。

まだまだ知らない世界の料理

2011-06-07 16:46:33 | トンボの徒然ダイアリー
6月5日 たり

梅雨の晴れ間・・毎日しとしとと降る雨も悪くは無いがやっぱり晴れの日が嬉しい
人って我侭なものだ。

先日しゃべり場でお知り合いになったkaさんに誘われて出席したこんなグループ・・「なるほど世界の料理グループ」とゆうグループだ
その会場は市内にある留学生会館の一部屋で開催されていた。  少し遅れて入ったので何人かの人々で会場はにぎわっていた。
私も簡単な紹介だけで直ぐ仲間に加わることが出来た。

この日は「エクアドルの家庭料理」とのことでレシピを手渡された。

                      先生は二人のお子さんのいらっしゃる若い奥様だ。

 
4台の調理台にそれぞれ6人ほどの生徒で、先生の回りながらそれぞれに手振りを交えた指導を受けながら3時間ほどでお料理は完成した。





エクアドルのお料理は知らない食材が沢山入っている割には頂きやすくとてもおいしかった。
            
何しろ私は始めての飛び入り参加で皆さんの後ろでウロウロするだけで終わってしまったが初参加ながら一つの目的に向かって作業するのは、久しぶりに味わった緊張感が蘇ってきてとても楽しいひと時だった。

この次の参加も予約した。   ちなみに、先月は台湾料理で「大根餅」だったとか・・


今日から六月

2011-06-01 09:08:00 | トンボの徒然ダイアリー
6月1日  先月の終わりにここ中国地方も梅雨入り宣言があった
去年より12日早い梅雨入りだそうだ。

それにしても今年の雨は集中的に豪雨になる。  ここから見える川も土手と余り高さの差が無いほどの水量に思われる。

     同じ川の流れでも人に愛でられる川もあり、人に嫌がられる流れもある。    人もまた程々とゆうことだ・・・

それにしても「水無月」って 変なの?? 
 調べてみたら 「「水の月}がだんだんなまって「水無月」になったんだって・・

  さー 雨にも負けず 風にも負けず・・ガ・ン・バ・ロー