6月26日 たり
昨日も32度を越えた。 今日もそれくらいの暑さになるようだ
暑さが増してくるとグーッと66年前に引き戻される。・・・
8月6日 「ピカドン」が落ちた時、兄は宇品港辺りの工場で学徒動員での軍事作業をしていた。
その瞬間大音響とともに瓦礫の下敷きになった、
もうもうと立ち込める灰燼の中から這い出て数キロはなれた我が家え向かった
。
七つの川の流れる美しい街は跡形も無く、見渡す限り暗黒の世界のように何も見えない。
ただ、ところどころからチョロチョロと火の手が上がっているのが灰色の世界の中にかすかに見える。
とにかく前を向いて歩いていくうちに、何本もの川を越えねばならない。
川の中には「みず・・みず・・」と人間とは思えない人の姿をした人が川の水面を埋め尽くしている。 兄たちはとても家族の生存は無いのでは・・・と絶望を抱えて一人ひとりの顔を抱き起こして歩いたそうだ。
何本めかの川にたどり着いた時、同行していた友が絶叫に近い声で・・「母さん・・カアサン・・」とよれよれになった人をシッカリ抱き抱えて膝間づいている・・
暫く兄と二人でその人を横たえ・・数時間一緒にいそうだ。 やがてその人は友人の腕の中で息を引き取った・・そうだ。
何万人の傷付いたり息絶えている人の中からたとえ一瞬でも再会できたのは、奇跡というより他は無いと思う。
はっきりと神の存在を認識した瞬間だと思う
また、あの瞬間の日が近づいてくる。 その兄の学友も兄も他界した。・・
安らかでありますようにと、祈るのみ・・
私にも奇跡が起こった。
広島はもう草も木もはえないと聞かされ 私たちは家族で九州の果て鹿児島県と宮崎県の県境、都城え移った。
私は女学校の二年生・・その日は日曜日だったのだろう、母と二人で大して人通りも無かったけど・・メインストリートを歩いていた。 その頃は食料事情も悪く、都会の人達が大きなリュックを背負ってこの田舎町に、何でもいい食べるものを・・と買出しに来ていた。
そんな人達を横目に見ながら私たちはお喋りに夢中で歩いていた。
私は見るとはなしに前方から歩いてくる大柄のおじさんと青年をみた・・
そのとき「 神戸の叔父と従兄弟によく似ているな・・」と思い、母に「あの人神戸のおじちゃんとみちぼんによう似てるよ」と話しかけた。
母も「えーあんな遠い所の人がこんなところに居るはずはないよね」と振り返ってみた瞬間・・あちらの二人も振り返った・・
その瞬間・・二人の大人の驚愕の声・・
数百キロも離れた神戸と鹿児島と宮崎の県境にある小さな町の中で・・・
あの戦後の混乱期・・私たちは終戦前の神戸大空襲は知っているものの、それに続いてのピカドン・・両家の安否の知りようも無くお互い 80% 生存はないものとあきらめていた。
こんなことは奇跡としか言い様がないと・・
戦後久しく両家では言い合ったものだ。
その叔父夫婦も我が両親もすでに他界した。 安らかにと祈るのみ・・・
昨日も32度を越えた。 今日もそれくらいの暑さになるようだ
暑さが増してくるとグーッと66年前に引き戻される。・・・
8月6日 「ピカドン」が落ちた時、兄は宇品港辺りの工場で学徒動員での軍事作業をしていた。
その瞬間大音響とともに瓦礫の下敷きになった、
もうもうと立ち込める灰燼の中から這い出て数キロはなれた我が家え向かった
。
七つの川の流れる美しい街は跡形も無く、見渡す限り暗黒の世界のように何も見えない。
ただ、ところどころからチョロチョロと火の手が上がっているのが灰色の世界の中にかすかに見える。
とにかく前を向いて歩いていくうちに、何本もの川を越えねばならない。
川の中には「みず・・みず・・」と人間とは思えない人の姿をした人が川の水面を埋め尽くしている。 兄たちはとても家族の生存は無いのでは・・・と絶望を抱えて一人ひとりの顔を抱き起こして歩いたそうだ。
何本めかの川にたどり着いた時、同行していた友が絶叫に近い声で・・「母さん・・カアサン・・」とよれよれになった人をシッカリ抱き抱えて膝間づいている・・
暫く兄と二人でその人を横たえ・・数時間一緒にいそうだ。 やがてその人は友人の腕の中で息を引き取った・・そうだ。
何万人の傷付いたり息絶えている人の中からたとえ一瞬でも再会できたのは、奇跡というより他は無いと思う。
はっきりと神の存在を認識した瞬間だと思う
また、あの瞬間の日が近づいてくる。 その兄の学友も兄も他界した。・・
安らかでありますようにと、祈るのみ・・
私にも奇跡が起こった。
広島はもう草も木もはえないと聞かされ 私たちは家族で九州の果て鹿児島県と宮崎県の県境、都城え移った。
私は女学校の二年生・・その日は日曜日だったのだろう、母と二人で大して人通りも無かったけど・・メインストリートを歩いていた。 その頃は食料事情も悪く、都会の人達が大きなリュックを背負ってこの田舎町に、何でもいい食べるものを・・と買出しに来ていた。
そんな人達を横目に見ながら私たちはお喋りに夢中で歩いていた。
私は見るとはなしに前方から歩いてくる大柄のおじさんと青年をみた・・
そのとき「 神戸の叔父と従兄弟によく似ているな・・」と思い、母に「あの人神戸のおじちゃんとみちぼんによう似てるよ」と話しかけた。
母も「えーあんな遠い所の人がこんなところに居るはずはないよね」と振り返ってみた瞬間・・あちらの二人も振り返った・・
その瞬間・・二人の大人の驚愕の声・・
数百キロも離れた神戸と鹿児島と宮崎の県境にある小さな町の中で・・・
あの戦後の混乱期・・私たちは終戦前の神戸大空襲は知っているものの、それに続いてのピカドン・・両家の安否の知りようも無くお互い 80% 生存はないものとあきらめていた。
こんなことは奇跡としか言い様がないと・・
戦後久しく両家では言い合ったものだ。
その叔父夫婦も我が両親もすでに他界した。 安らかにと祈るのみ・・・