11月7日
今日は立冬だ、日中は暖かい様子だ
さて、旅の第一歩・・・
11月2日 前日の悪天候とはうって変わって秋晴れである。
このホテルの朝食は久しぶりにヨーロピアンスタイルだ。
私はまず、珈琲・・・それから次々と並べられる料理にバイキングでは味わえない豊かな気持ちになる。
ホテルを後に最初に訪れたのは観光案内所だ ここには無料ボランティアガイドの人がいた。
お見受けしたところリタイアされてこの仕事に生き甲斐を持っていらっしゃるような方が椅子に座っていた。
「お願いできますか・・」とおずおず声を掛けてみると、「はい、どんなところをご希望でしょうか?」とかえってきた。 「遍路に関係のあるところとロシア人墓地」と答えると「判りました、では、行きましょう」と机上にあった諸々の冊子を手渡された。
案内所を出てまず、温泉本館を右に見ながら道後温泉の発祥の地、湯神社えの坂道を上っていった。 道後も坂道が多くガイドさんについて歩くのが一苦労である。 坂を下り今度は円満寺えと向かう。
このお寺には湯の巨大地蔵尊が鎮座ましましていた。このお地蔵尊は八世紀行基の作と言われているとか・・色彩が余りにも鮮明で、一寸異様な感じがしたがここも道後の人達の厚い信仰の対象になっている。 この後宝厳寺、一遍上人生誕の地として創建されたお寺えと急な石段を青息吐息でガイドさんの後ろをついていった。 そこで一服と要求してヤットお昼にして貰った。
次はいよいよ石手寺えと向かった。
石手寺えはこの宝厳寺から20分ほど歩く。 ガイドさんの歩調に会わせて急ぎ足で向かう。 寺内に入ると今までと違って何か賑やかだ。この寺には国宝の仁王門、その他重要文化財も数多くある。 全体に狭い敷地に点在している。 私の興味を惹いたのは入口にある「衛門三郎」の石像だ。 この人がお遍路の第一歩を踏み出したと説明を受ける。
ここで、ガイドさんと般若心経を唱え(勿論私は手を合わせ口をパクパクしていただけだが・・)もう少し寺内でユックリしたいからと別れた。
ガイドさんは案内してくださりながら、ずーとそこ、ここの故事来歴を説明してくださったが、歩調に付いていくのが精一杯だった。
境内では、二人連れの遍路や、リュックに杖と菅笠の若者やら「同人二人」と書かれた杖を持った外人の二人やら・・・あーここはヤッパリ遍路道なのだと実感した。
私も歩いて・・道後駅まで・・・と思ったが・・ギブアップ、丁度バスが来たので乗って道後温泉まで帰った。
時間も丁度五時前、夕食はお寿司にしようと寿司屋で折を作ってもらい、ぶらぶらとホテルに帰った。 今日はホテルも静かだ。 私はいささか草臥れた体を溢れる温泉の湯船に沈めてハードだった今日一日を振り返った。
持病を持っていながらも元気で気儘に旅の出来ることを感謝した。 私も持病と「同人二人」なのかな・・?と笑ってしまった。
お風呂からルームにかえり、作ってもらった寿司折りを広げてゆっくりと夕食を済ました。
明日は最後の旅程ロシア人墓地だ。 いつもの就寝時間にはベッドインした。