バーバの極楽トンボ

さー傘壽を超えた・・今からももうひと飛び

前の公園もすっかり冬化粧

2009-11-30 08:58:51 | トンボの徒然ダイアリー
11月30日
今朝はすっきり晴れて気持ちがいい。
去年まではこの時期ケミソールですんでいたインナーが七分袖になった。  その上あれほど嫌だった毛布も欲しくなってとうとう買いに行った。  ヤッパリ歳は歳

素直になって・・・昨夜は暖かかった 

明日から師走・・お一人様には慌てて走ることもないけど・・ヤッパリ来年にやりたいことが浮かんでくるのは、まだ・・若いのかな・・??  ナーンチャッテ・・ 転ばぬように頑張るゾー

お前百までわしゃ九十九まで・・・

2009-11-21 09:58:03 | 原爆孤老のつぶやき・・
11月21日
今日から三連休だ。  今年は一気に寒くなって土手の桜も紅葉は過ぎて枯葉になってしまった。   月日の過ぎゆくのは早いものだ。

広島の街も年に一度のえびす講も昨日で終わってしまった。
戦前はこの繁華街も深夜まで人波で押すな押すなのにぎわいであった。  我が家もそのど真ん中に店を構えて、表の売り場に山と積まれた「メリヤス肌着」が飛ぶように売れていっていた。・・・
もう、70年も前のことだ。

そんなことを今年も思い出しながら歩いていると、目にとまった老夫婦の姿があった。

お見受けしたところどちらも九十才は過ぎていらっしゃるようだった。
痩せたお体にベージュのレインコートをお召しになったご主人様がやっぱり同じようないでたちの奥様の手を引きずるようにつないで歩いていらっしゃる。・・・

お二人のお顔はごく日常的な表情であった。

私は「手をつなぐ・・」事の意味を深く考えさせられてしまった。
「お前百まで・・わしゃ九十九まで・・」昔から謳われてきたこの民謡の意味・・
「わしはあんたの死に水をとってから、逝くよ・・」とゆうことなのだ・・・

若い頃はしっかり姉さん女房に甘えさせて貰ったから・・今度はわしがお前の面倒をみるよ・・と・・・

私の知り合いも姉さん女房で、今は、夫は重い病にかかっていながらも、ヤッパリ妻を気にするのであろうか・・?・・

男の性は本質的に保護本能が存在しているのだと、・・・

テンポの違うこのお二人を囲んで、ざわざわと歩いている人波・・
今のえびす講とゆうロケーションの中で、何代かの時代の移り変わりを見て私は感無量であった。

その私の頭を過ぎったものは・・「夫婦喧嘩は犬も食わない・・」
なーんて・・やっぱのそうなんだ・・

「ワタシの夫は妻を捨て置いてサッサと逝っちゃった・・」

アホラシ・・ホントニアホみたい・・

ロシア人墓地

2009-11-09 11:04:03 | トンボの旅日記
11月13日
目まぐるしくお天気が変わる。

旅から帰って一週間・・歳を取ると疲れは後から来るよ・・・なんてみんなに言われていたが・・・この二、三日パソコンに向かう事も出来ず、やたら日にちをやり過ごしていた。

四国旅の最後の日  11月3日
この日はホテルの朝食を和食にした。 ユックリ頂いたあとの珈琲を味わいながら今日の一日のスケジュールを考えた。

取りあえずもう一つの目的「ロシア人墓地」え行くことにしてタクシーに乗り、20分ほどでその墓地についた。。

 
その墓地は綺麗に掃き清められて初冬の暖かい日差しを浴びていた。
このお遍路の国ならではの思いを感じた。

墓石にはここで生涯を終えたロシア人捕虜の階級と姓名が刻まれていた。
一寸不思議に思ったのは、全墓石が一方に向いてたてられていることだ。
解説によるとここの人達が考えて「遙か故国であるロシア方向に・・」との配慮だったようだ。   ここで30分ほどウロウロしてタクシーを呼び道後市内に帰った。

3日は祭日で温泉本館のまえは若者、シニア、人人で一杯。  なんと平和なんだろうと・・・  それから土産物店の立ち並ぶ商店街を抜けて温泉駅前に出た。
 丁度正午になったのだろうぞろぞろとこのカラクリ時計の前に人が集まってきた。   
時報と同時に着物と袴を付けた若者が「坊ちゃん」の小説もどきに解説し始めた。   すると、今まで二段だったカラクリが上に延びて下からもう一段現れてきた。   
この時計を取り巻いていて観客達の盛んなシャッター音が鳴り響き、やがてしずしずとカラクリが元の時計台に戻っていった。
この、数分間のカラクリに私も興奮したが回りの人達も興奮ぎみだった。  といってもほとんど残ってがやがや言っているのはお年寄りばっかりだったが・・・
   そこを離れてすぐ後ろの駅では、坊ちゃん汽車の発車時間になっていた。
   
乗客達は切符を昔風の制服を着た駅員さんに渡しながら車内の堅いレトリックな椅子に腰掛けて発車を待っている。
やがて、機関車はメランコリックな汽笛を鳴らして、ホームに居並ぶ坊ちゃん、マドンナ、赤シャツの人達に見送られながら発車していった。

私は、なんとも新旧の入り交じったこの二泊三日の旅・・・複雑な気分を抱いて、松山観光港行きのリムジンバスに乗った。

港は快晴なヒカリに包まれて、美しかった。
高速艇に乗ってみたくて、運賃を奮発した。 フェリーと違って窓の直ぐしたが波頭だ。
心地良いエンジン音に揺られながら一時間で広島港に着いた。

上陸して、「あー船旅もいいものだなー・・」と、旅の余韻を楽しんだ。

四国旅の第一歩

2009-11-07 11:45:58 | トンボの旅日記
11月7日
今日は立冬だ、日中は暖かい様子だ

さて、旅の第一歩・・・

11月2日  前日の悪天候とはうって変わって秋晴れである。
このホテルの朝食は久しぶりにヨーロピアンスタイルだ。
私はまず、珈琲・・・それから次々と並べられる料理にバイキングでは味わえない豊かな気持ちになる。

ホテルを後に最初に訪れたのは観光案内所だ ここには無料ボランティアガイドの人がいた。
お見受けしたところリタイアされてこの仕事に生き甲斐を持っていらっしゃるような方が椅子に座っていた。
「お願いできますか・・」とおずおず声を掛けてみると、「はい、どんなところをご希望でしょうか?」とかえってきた。  「遍路に関係のあるところとロシア人墓地」と答えると「判りました、では、行きましょう」と机上にあった諸々の冊子を手渡された。
 案内所を出てまず、温泉本館を右に見ながら道後温泉の発祥の地、湯神社えの坂道を上っていった。 道後も坂道が多くガイドさんについて歩くのが一苦労である。  坂を下り今度は円満寺えと向かう。このお寺には湯の巨大地蔵尊が鎮座ましましていた。このお地蔵尊は八世紀行基の作と言われているとか・・色彩が余りにも鮮明で、一寸異様な感じがしたがここも道後の人達の厚い信仰の対象になっている。 この後宝厳寺、一遍上人生誕の地として創建されたお寺えと急な石段を青息吐息でガイドさんの後ろをついていった。 そこで一服と要求してヤットお昼にして貰った。
次はいよいよ石手寺えと向かった。
 

 石手寺えはこの宝厳寺から20分ほど歩く。  ガイドさんの歩調に会わせて急ぎ足で向かう。 寺内に入ると今までと違って何か賑やかだ。この寺には国宝の仁王門、その他重要文化財も数多くある。 全体に狭い敷地に点在している。  私の興味を惹いたのは入口にある「衛門三郎」の石像だ。  この人がお遍路の第一歩を踏み出したと説明を受ける。

ここで、ガイドさんと般若心経を唱え(勿論私は手を合わせ口をパクパクしていただけだが・・)もう少し寺内でユックリしたいからと別れた。

ガイドさんは案内してくださりながら、ずーとそこ、ここの故事来歴を説明してくださったが、歩調に付いていくのが精一杯だった。
境内では、二人連れの遍路や、リュックに杖と菅笠の若者やら「同人二人」と書かれた杖を持った外人の二人やら・・・あーここはヤッパリ遍路道なのだと実感した。

私も歩いて・・道後駅まで・・・と思ったが・・ギブアップ、丁度バスが来たので乗って道後温泉まで帰った。

時間も丁度五時前、夕食はお寿司にしようと寿司屋で折を作ってもらい、ぶらぶらとホテルに帰った。 今日はホテルも静かだ。 私はいささか草臥れた体を溢れる温泉の湯船に沈めてハードだった今日一日を振り返った。

持病を持っていながらも元気で気儘に旅の出来ることを感謝した。  私も持病と「同人二人」なのかな・・?と笑ってしまった。

お風呂からルームにかえり、作ってもらった寿司折りを広げてゆっくりと夕食を済ました。

明日は最後の旅程ロシア人墓地だ。  いつもの就寝時間にはベッドインした。  

  

四国旅から帰って・・・

2009-11-06 11:31:04 | トンボの旅日記
11月6日

11月1日ゃや雲行きの怪しい天気ながらワクワクして出発した。
平素は穏やかな瀬戸内海だが風が強くアレ気味で波頭の白さも見える。
乗船した汽船はフェリーで、三時間の船旅は激しい揺れもなく、すっかり様変わりした松山観光港に着いた。
早速、昼食を済まし停車していた道後温泉行きの立派なリムジンバスに乗車し4,50分で湯の町道後温泉に着いた。   
ここも昔の、(といってもほんの一昔・・・)湯の町の鄙びた良さはなく背の高いマンションが立ち並んでいる。
 
温泉入り口からタクシーで予約先のホテルに向かった。
オールドイングランド山の手ホテル・・・なんとなく言葉からくるイメージに誘われて決めたホテルだが、趣は気に入った。
ただこの日が大安吉日で結婚式が何組か入っていて、ホテル内は人、人でわやわやしているので驚いた。
室内はオールドイングランドらしく、広々としていて調度品もそれなりにクラシックであった。   このホテルも温泉地らしく温泉の大浴場を備えて式場のざわざわとは関係なくユックリとくつろぐが出来た。
外は夕暮れになり風雨が激しく窓を叩き、嫌応なく旅情をかきたてる

私もホテルの温泉にはいり、それなりに身なりを整えてダイニングルームえと行った。
夕食はフランス料理のディナーだ。  この度は退院後初めての一人旅なのでワインは控え、オードブルから最後の珈琲までギャルソンの料理のあれこれを聞きながら1時間30分程掛けて楽しく夕食を済ませた。

ルームに帰ったのは9時過ぎていただろうか。

旅の第一日目の夜は窓を叩く雨も風も楽しい明日を予言する歌声に聞こえるのは根っからの極楽トンボだからだろう・・・
ベッドはいるとすぐに寝入るのもトンボの特技かも・・・