バーバの極楽トンボ

さー傘壽を超えた・・今からももうひと飛び

Mさんからの桜便り

2009-04-29 11:32:21 | トンボの徒然ダイアリー
4月29日
今日は祝日みどりの日?だったっけ??
昭和の時代は天皇誕生日だった。  浮き世は流れていくもの。
毎年この連休は、ゴールデンウイークとかで働き虫の骨休みだと決められた。
規則を決めないとナットクできない国民性・・良いのか悪いのか・・・
年寄りが推移するべきではない。
もう、とっくに蚊帳の外だ。

昨日Mさんからさくらの便りが届いた。
美しい八重桜のほほえみだ。
       毎年大阪は造幣局の「桜のトンネル」で話題を呼ぶが広島もこの時期造幣局の桜を公開する
私も一昨年訪れたが大変な人出であった。

風月花鳥を心のよりどころとする日本人にとっては花と聞いたらソワソワしてしまうDNAとやらが存在しているのだろう

5月3日からはフラワーフェスティバルだ
平和公園は躑躅の開花でむせ返るような香りに包まれている。   今年はあの話題を醸しているハーフの演歌歌手が来広するとか。

お天気だといいなー



上賀茂神社の枝垂れ桜

2009-04-26 09:07:41 | トンボの旅日記
4月26日
今日の広島は曇天・・ときどき日差しはでるが、風の強い一日になるとゆう。
北側の窓で朝から風の唸りが聞こえる。
うららかな春も試練から始まるのか・・・
総て自然も、必要な試練を耐え、受け止めて、美しい花が咲くのだろう。
自然の偉大さに敬服する。

先日京都の上賀茂神社に行った。
流鏑馬のあった神社だ。
 
この日は曇天で人はまばらであった。
鬱蒼とした境内は鞭をしたたか当てられて走り抜けた馬の汗の匂いが強く残っている。

この静かな馬場に立っていると平安の息吹が感じられる。

千年以上ここにいて色々な歴史に遭遇し、なお、このみずみずしさ・・・
能や舞の世界に語り継がれている桜・・
「桜の精」と畏敬の念を持つのも頷ける。

小雨交じりの静かな一時・・一人旅えの最高の贈り物だった。



男女の業

2009-04-25 12:38:09 | トンボの徒然ダイアリー
4月25日

四月も後僅かになった。

この一週間色々なことがあった。
人の一生・・
男の性・・・私たちの年代は「男性は保護本能を持っている」それに対して「女性は優しさ」といわれてきた。
昔の男が傷ついて大きな翼もなくなっても保護する本能が捨てきれない。
私も含めて女は嫌なことはしたくないと凝り固まってしまう。・・
総てとはいわない、  愛しているのに・・回避の道を取ってしまう。

今時は男女なんてないのだろうか?

保護するとはどんなことか?優しさとは何だろう?考えることすら無意味だとゆうのだろうか・・

この一週間そんな坩堝の中にいる。
  この世の中どうしても変えることの出来ないものがあるのだろうか・・・
  人は神と悪魔の中間にあるものだとゆう。

でも、勝手だが、神様に助けを求めたい。
  


お化けツアーに参加した。

2009-04-19 09:55:09 | トンボの徒然ダイアリー
4月19日

今日も暑い一日になりそうだ

昨日は広島に実在する「化け物退治」のツアーに参加した。

比治山の山上にある現代美術館が主催したツアーだ。

美術館では「どろどろ・どろん」を開催している。
          
朝から館内の展示をみていると、、現在の作家が制作している奇怪な作品の中にも、自然界には得体の知れない何かが存在しているであろうとゆう気持ちがひしひしと伝わってくる。
勿論、ある地方に今でも伝わっている昔話等々・・・

私の興味を引いたのは、この広島に実在していた「稲生(いのう)平太郎」とゆう豪傑の確証(墓)をいろいろ尋ねて歩くことだ。 

午後から心地良い春風に吹かれながら大学教授の解説を交えながら20人ほどで出発した。
最初に訪れたのは街のど真ん中にある。「おいなりさん」だ
子供の頃からよく知っている神社だがこんないわれがあるとは知らなかった。
宮司さんのお茶と煎餅の接待を受けながら平太郎の武勇伝をきいた。
          ここは平太郎さんさんが化け物の大将から送られた「木槌」を最初に奉納した神社だったそうだ

ここを後にして市街を横切り、駅の北側に位置する国前寺にむかった。  
歩くこと40分ほどであっただろうか・・。
ここは静かな住宅地でこぢんまりとした寺である。
丁度桜も終わり新緑が美しい。 お寺の住職さんが「平太郎」の武勇伝を話された。「稲生平太郎は何日もの間妖怪と肝試しをしたが恐れることなく悉く成敗した、その後妖怪の頭から「木鎚」を送られた。 その木槌は稲生神社からここに奉納され、現在も例祭の時のみ拝観できるとのことであった
この妖怪退治はずーと北に位置する三次で(日本伝説紀行・広島県三次市)江戸中期のことだったらしい。

この妖怪退治が実在した人物であった事が嬉しい、しかもその稲生家15代目の 奥様と同行出来たことだ  この方は小さくなってしまったおばあちゃんで、小さなリュックによれよれ帽子、運動靴でトボトボ歩行・・八十才代かな?とお見受けしたが・・・ご近所のおばあさまといった感じ・・
ご一緒にお喋りしながら、何か昔と今を同時に体感できたような楽しいウォーキングだった。

比治山からずーと歩いて四時間ほど一番良い季節だ、ほどよい疲れで立ち寄った喫茶店で飲んだ珈琲は最高に美味しかった。 歩数計で確認したら15000歩だった。

アーア やっぱり疲れたワイ・・ヽ(´・`)ノ フッ…(笑)


久しぶりの主婦

2009-04-16 09:07:33 | トンボの徒然ダイアリー
4月16日
今日は一日曇天らしい。


昨夜は久しぶりにいつもの人達と夕食会をした。
相変わらずのアバゥトで出来上がった食卓は満足のいくものではなかった。

一応旬の物をとメニューは作るのだが、進行している内に「アーこれはめんどくさい、時間が無くなったのでカット・・」で品数も出来映えも惨憺たるものだ。

それでもいつもの連中は「美味しいよ・・」と言ってくれる。
長年の例会なので・・・お腹も壊さず??味覚にも慣れて?満足して帰ってくれる。

ちなみにメニューは
筍ご飯 鰺の大葉揚げ、筍の若竹煮、胡瓜。昆布、トマト、卵の野菜いろいろサラダ」食後苺、デザート、珈琲・・・ワイン、ビールはお好みで・・・


列記すると??いささか気恥ずかしいが・・献立だけはマーマーだか・・・
まだまだ画像を撮るまでにはいかない。
何れにしてもみんなで食卓を囲むのは楽しい。

もっと美味しくて美しく仕上げたいが・・願望のみで、これもアバウト・・「マッ良いか・・」で進行する。

あんなこんなの夕食会・・
腕も体力も持続して、元気で続けたい。

声を掛けたら集まってくれる人達に感謝だ。

やっと夏姿になった。

2009-04-11 10:02:15 | トンボのお家
4月11日
今週はまるで真夏のように暑い日が続いている。

お雛様もずぼらして四月三日にも納めないでいたがヤット納めた。


狭い我が家もそれなりにスッキリした。

このタペストリー(とは ほど遠いけど・・)にやり変えた。

元は母がゆかたを解いて手縫いで暖簾を作ってくれたものだ。
母の死後、畳んで納めてあったのを何年か前に見よう見真似で私が作ってみたものだ。
上出来だとは言えないけれど・・・

特に、暖簾だったときあき止まりに母が紅い布を小さくして縫いつけていたあの部分・・あの時の母の楽しそうだった所作を思い出す。

母の生きていた時代にあの紅い止め布がどんな意味があったのだろうか・・と考えると、私の頭の中は無限に情景が浮かんでくる。・・

何時までも眺めていたい私の宝物だ。

さくら  さくら

2009-04-03 12:10:13 | トンボの徒然ダイアリー
4月3日
今朝も快晴

昨日いつものようにウォーキングにでた。
我が家の前の公園は満開
        
久しぶりに図書館まで足を伸ばした。この文化ゾーンと言われているあたりはひっそりとしていた。
        
雑踏もなく、緑の芝生とそれぞれ、春を謳歌してスックと立っている様は力強い。

いつも、自然でありたいと思う。

今日から四月

2009-04-01 09:28:55 | 原爆孤老のつぶやき・・
4月1日
春本番の幕開けに相応しくなんとなく花曇りで夜が明けた。

現在検査入院中の弟の病について「家族に説明したいので集まって貰いたい」と要請があった。
二日前、説明をきくために京都え一泊泊まりで行ってきた。

京大病院の医師の説明は判りやすく、明解であった。
余分な可能性は抜きにして、現状と今後の進行具合、全治の可能性はない、難病だが・・・後生存の可能性は・・等々・・彼自身もインーネットで大体の知識は得ていたので質問も知りたいことを確認したようだった。

私も彼も、あの瞬間に生き残った・・・、それからの人生をどう考えて生きてきたのか?  後残り少ない余後をどう生きるのか・・・あの瞬間に愛する人の人生を背負った生き残り組・・色々な病を抱きながら、加齢が重なるたびに一瞬、64年前のあの瞬間に引き戻される。

今度の事も、死んでれば、知り得なかったこと、自分の人生を・・・どう考えるかを・・・
「生まれた時から死出の旅」・・・彼も疎かには考えていないだろう。

私自身もシッカリ肝に銘じたい。  生かされていることに感謝して。