8月22日
夏も徐々に秋に近づいている
この二、三日はぐーと朝晩が涼しい。
人間がゴチャゴチャいっても自然は確実に進行している。
今日から我がマンションも工事にはいる。
ほぼ4ヶ月間の工事だ。
朝から資材の投入やなんかで気分は何となくソワソワする。
終了後を楽しみにして、我慢の四ヶ月だ
さー 我慢に、ガンバル・・
夏も徐々に秋に近づいている
この二、三日はぐーと朝晩が涼しい。
人間がゴチャゴチャいっても自然は確実に進行している。
今日から我がマンションも工事にはいる。
ほぼ4ヶ月間の工事だ。
朝から資材の投入やなんかで気分は何となくソワソワする。
終了後を楽しみにして、我慢の四ヶ月だ
さー 我慢に、ガンバル・・
8月17日
今日も暑い一日になりそうだ。
一寸バテ気味で一日中在宅する。
テレビも63年前の放映番組を見てしまう。
あの戦争を体験した人はキャスター、アナウンサーの言葉尻に違和感を感じるのではないだろうか。・・
何故なんだろうか??自分だけだろうか・・
被害者意識が強すぎて、まともに理解出来ないのだろうか・・
「戦争をしてはいけない。」「・・・・するべきではない」ではない・・その言葉に賛成しているけど、「戦争はあってはならない」のだ・・
そのたびにもどかしさを感じる。
私もこの8月が過ぎると、今までの生活に戻るのだろうか・・
それで良いのか・・それではいけないのか・・
この半月余りこの状態から抜け出せないでいる。
今日も暑い一日になりそうだ。
一寸バテ気味で一日中在宅する。
テレビも63年前の放映番組を見てしまう。
あの戦争を体験した人はキャスター、アナウンサーの言葉尻に違和感を感じるのではないだろうか。・・
何故なんだろうか??自分だけだろうか・・
被害者意識が強すぎて、まともに理解出来ないのだろうか・・
「戦争をしてはいけない。」「・・・・するべきではない」ではない・・その言葉に賛成しているけど、「戦争はあってはならない」のだ・・
そのたびにもどかしさを感じる。
私もこの8月が過ぎると、今までの生活に戻るのだろうか・・
それで良いのか・・それではいけないのか・・
この半月余りこの状態から抜け出せないでいる。
8月9日
今日は長崎の原爆記念日だ。
朝から長崎では63年前の記憶を生々しく放映している。
6日からの四日間私はずっとテレビの前にいた。
広島、長崎の事・・
今日は3年前にテレビで放映された、第二次世界大戦の時のアメリカの日本に対しての攻撃作戦のものだった。
どの国も攻撃する国・・攻撃された国・・
見ているうちに耐えられなくなってテレビを消した。
どんな戦争も正気ではない。
絶対にあってはならないのだ・・
今日は長崎の原爆記念日だ。
朝から長崎では63年前の記憶を生々しく放映している。
6日からの四日間私はずっとテレビの前にいた。
広島、長崎の事・・
今日は3年前にテレビで放映された、第二次世界大戦の時のアメリカの日本に対しての攻撃作戦のものだった。
どの国も攻撃する国・・攻撃された国・・
見ているうちに耐えられなくなってテレビを消した。
どんな戦争も正気ではない。
絶対にあってはならないのだ・・
8月7日
今日は朝から薄雲が掛かって少しすずしい。
63年前の6日の夜から7日まで・・
原爆の投下された日の夕暮れ、逃げていった町内会では炊き出しが始まった。白いお米に大豆がたくさん入った大きなにぎりめしだった。
一つず貰ったが、食べたい感覚はなく持っていたら、「あっ あんた達はこの町内会ではないね・・悪いけど人数分しかないのでもどして・・」と取り上げられてしまった・ 幸いにも私たち三人はあの衝撃で無感覚だったのか、食べたいとも思わなかった。
暗闇の壕の中は避難してきた人で一杯だった。 みんな膝を抱えて座るだけの場所しかなかった。 外に出て見ると西の空はあかね色に染まっている、遠くから言葉ではない色々な声が寄せては返し、寄せては返し・・まるで暗闇の彼方から、冥界からの声の様に、ずーと夜明けまで続いていた。
夜が明けて壕から這い出した。 あの日も真っ青に晴れ渡った日だった。
なす事もなくブラブラと歩いていたら干からびたようなトマトが成っていた、初めて口にした食べ物だったが・・味もなく・・口にしただけの感覚だった。
それから、翌朝までは記憶に何も残っていない。
今日は朝から薄雲が掛かって少しすずしい。
63年前の6日の夜から7日まで・・
原爆の投下された日の夕暮れ、逃げていった町内会では炊き出しが始まった。白いお米に大豆がたくさん入った大きなにぎりめしだった。
一つず貰ったが、食べたい感覚はなく持っていたら、「あっ あんた達はこの町内会ではないね・・悪いけど人数分しかないのでもどして・・」と取り上げられてしまった・ 幸いにも私たち三人はあの衝撃で無感覚だったのか、食べたいとも思わなかった。
暗闇の壕の中は避難してきた人で一杯だった。 みんな膝を抱えて座るだけの場所しかなかった。 外に出て見ると西の空はあかね色に染まっている、遠くから言葉ではない色々な声が寄せては返し、寄せては返し・・まるで暗闇の彼方から、冥界からの声の様に、ずーと夜明けまで続いていた。
夜が明けて壕から這い出した。 あの日も真っ青に晴れ渡った日だった。
なす事もなくブラブラと歩いていたら干からびたようなトマトが成っていた、初めて口にした食べ物だったが・・味もなく・・口にしただけの感覚だった。
それから、翌朝までは記憶に何も残っていない。
8月6日
8時15分の鐘の音と一緒に今年も黙祷する。
63年前の光景が蘇る。
忘れ去ることのないあのオレンジ色の閃光と瞬間に、闇と静寂・・
意識朦朧としたなかで、自分を呼ぶ微かな呼び声・・
だんだんと声が近づくと同時に、風船がはじけたように一瞬に耳に入ってきた阿鼻叫喚・崩壊した家の下敷きから猫の呼び声に導かれて出て目にした灰色の世界・・今まで住んでいた街が崩壊しての砂塵とほこりで前も見えない有様だった。
暗闇の中から這い出した私たち親子・・それぞれにかすり傷はあったもののずたずたに破れた衣服を纏ったまま崩れた家の上を裸足で逃げ場を探してさまよった。
これが63年前の正午過ぎだったろうか・・
何時間か人の逃げまどうままに比治山の東側まで逃げていった。 ここは山の影になっていて家屋は全壊まではなかった。 やっとまともな人達が右往左往している中で戸板の上に風船のようにふくれあがったおばさんが運ばれてきた。 近くまで来て目にしたのはお腹から腸が飛び出して二人の人がその内臓を抱えていた。
私も含めてその近くにいた人は何の感情も感じなかった。
ごく自然の出来事のように思った。
今考えると、恐ろしいことだ、人間は極限状態になると人ではなくなるのだ。
今日もテレビで戦地にいた兵士の生き様を放映していた
どんな戦争もあってはならない。
人が人でなくなる・・ それに遭遇した人は消え去ることのできない傷を持ってしまうのだ
ケロイドで顔も変わってしまった人・・放射能で未だに日々を怯えて生きている被爆者・・大切な人を助けることも出来なかったあの戦争・・
あってはならないのだ。
8時15分の鐘の音と一緒に今年も黙祷する。
63年前の光景が蘇る。
忘れ去ることのないあのオレンジ色の閃光と瞬間に、闇と静寂・・
意識朦朧としたなかで、自分を呼ぶ微かな呼び声・・
だんだんと声が近づくと同時に、風船がはじけたように一瞬に耳に入ってきた阿鼻叫喚・崩壊した家の下敷きから猫の呼び声に導かれて出て目にした灰色の世界・・今まで住んでいた街が崩壊しての砂塵とほこりで前も見えない有様だった。
暗闇の中から這い出した私たち親子・・それぞれにかすり傷はあったもののずたずたに破れた衣服を纏ったまま崩れた家の上を裸足で逃げ場を探してさまよった。
これが63年前の正午過ぎだったろうか・・
何時間か人の逃げまどうままに比治山の東側まで逃げていった。 ここは山の影になっていて家屋は全壊まではなかった。 やっとまともな人達が右往左往している中で戸板の上に風船のようにふくれあがったおばさんが運ばれてきた。 近くまで来て目にしたのはお腹から腸が飛び出して二人の人がその内臓を抱えていた。
私も含めてその近くにいた人は何の感情も感じなかった。
ごく自然の出来事のように思った。
今考えると、恐ろしいことだ、人間は極限状態になると人ではなくなるのだ。
今日もテレビで戦地にいた兵士の生き様を放映していた
どんな戦争もあってはならない。
人が人でなくなる・・ それに遭遇した人は消え去ることのできない傷を持ってしまうのだ
ケロイドで顔も変わってしまった人・・放射能で未だに日々を怯えて生きている被爆者・・大切な人を助けることも出来なかったあの戦争・・
あってはならないのだ。
8月5日
今日も暑い一日だ
毎年のことだが今日、8月5日・・はあの時の今日、あんな事が起こるなんて思いもよらず・・日曜日を過ごした。
毎日警戒警報・・空襲警報・・の繰り返しだった。
6日は月曜日だった。 まだ少女だった私たち・・この日曜日にあったことを月曜日にみんなに話そうと・・ 楽しみにして日曜日の一日を過ごした。
案の定夜は何回も警報のけたたましいサイレンの音に起こされ、熟睡した覚えもなく、5日の夜を過ごした記憶が蘇る。
今夜は一年中で一番寝苦しい夜を何時も通り過ごす。
あのときの夜は防空頭巾ともんぺを身につけて横になった・・翌6日の朝になるまで・・・
今日も暑い一日だ
毎年のことだが今日、8月5日・・はあの時の今日、あんな事が起こるなんて思いもよらず・・日曜日を過ごした。
毎日警戒警報・・空襲警報・・の繰り返しだった。
6日は月曜日だった。 まだ少女だった私たち・・この日曜日にあったことを月曜日にみんなに話そうと・・ 楽しみにして日曜日の一日を過ごした。
案の定夜は何回も警報のけたたましいサイレンの音に起こされ、熟睡した覚えもなく、5日の夜を過ごした記憶が蘇る。
今夜は一年中で一番寝苦しい夜を何時も通り過ごす。
あのときの夜は防空頭巾ともんぺを身につけて横になった・・翌6日の朝になるまで・・・