バーバの極楽トンボ

さー傘壽を超えた・・今からももうひと飛び

久しぶりの京都 2

2009-01-28 11:01:45 | トンボの旅日記
1月28日
今朝は暖かく春のような陽気だ

デジカメの写真をやっと取り込んだ。

弟のお見舞いも納得したので京都の観光バスに乗って「京の庭と茶室を訪ねて」の一日コースを楽しんだ。
最初に訪れたのは妙心寺のお庭であった。茶室は撮影禁止で解説だけを耳にして京懐石の料理屋に入る。
     観光もさることながらお昼を頂いた懐石に料理されていた堀川牛蒡・・・お店の主人の説明と現物に驚いた。
直径5センチはある牛蒡を薄味で調理されて、味付けは京野菜の旨味を残して美味であった。

そこをでて伏見稲荷にいった。
  
ここでは祠官松本家の住居であった居間に棟方志功筆の襖絵があるのを拝見、美しいお庭の中のお茶屋を拝観してして東福寺に向かう。
    ここは紅葉で有名な所、季節はずれで人も少ない、
私たちは一寸離れた退耕す庵に案内された。
ここの玉章地蔵尊またの名を「ふみはり地蔵」 体長3メートルの美しいお地蔵さんだ   小野小町作とか、縁切り地蔵さんだそうだ。
   この井戸は小町に縁のある井戸だそうだ
ここでは小町が作らせた自分の百才の像があった。
暗くてその上小さい像なのでハッキリ見ることが出来なかったが・・・
それで良かった・・のかも・・・
それから東寺に向かった。

ここでは宮本武蔵筆と伝えられる水墨画「鷲の図」「竹林図」が残されている。
ここの解説をしてくださった方が面白かった。
五大虚空菩薩、相染明王像など特別公開の秘仏を拝観出来たのは良かった。
ただ、弱視なのでただその場所に仏がおいでなのは判ったが・・・

帰りのバスの中で各所で貰ったパンフレットで確認するよりなかった。

このコースは今まで行けなかった非公開場所だったのは良かった。  もっとゆっくりとしたかったが・・・

取りあえず楽しい一日であったのには間違いがなかった。

結果、良かった、ヨカッタの良かったずくめで走りすぎたが、観光バスはこんなもの・・・と納得のいった一日だった。
   


 

久しぶりの京都 1

2009-01-25 10:04:32 | 原爆孤老のつぶやき・・
1月24日

昨夜からグーと冷えて今朝は窓から見える景色も一面雪化粧だ

京都滞在中はポカポカ陽気でTシャツとジャンパーで過ごせた。

お見舞いの目的は弟の様子だった。

行ってみると右手は上腕がブラリと垂れているだけのようで痛々しさを感じる。
が、・・肘から手先にかけては多少動くようで、自宅のいたるところに垂木が打ち付けてあったり、ゴム紐が天井から提げてあったりと、彼なりにここで何をしたいかで、工夫を凝らしてあった。

そして、彼曰く「ヴァイヨリンは諦めたけどここで右腕をゴムで吊ってピアノは弾ける。」
「この垂木にシャツの襟を引っかけて時間は掛かるが一人でシャツは着れる」
「台所のこのゴム紐で二の腕を支えれば包丁が持てるよ」

彼なりに今の現状を踏まえて生きている間はシッカリ生きたいのだと安心した。
そして、「車を小型に変えて運転できるように工夫したのでまた、釣りをするつもりだ」と

二人で(彼達も子供はいない。)この世を去るときはどう考えて逝きたいかになった。
私は「したいことは全部して区切りを付けて逝きたい」
彼は「ささやかでも希望を持って逝きたい」と言った

私自身、考えさせられる言葉だった。

弟も被爆者だった。

2009-01-20 12:26:15 | 原爆孤老のつぶやき・・
1月20日
今日から大寒ださすがに寒い。

明日から、冬の京都え行く。 
毎年のようにフラッとした遊山ではなく、弟のお見舞いだ。

彼も11才で被爆し、東京の音大卒業後、京都交響楽団のオケマンとして定年まで第二バィヨリンを勤めてきた。
その後、定年を目前にして首の付け根に癌が見つかり最後の演奏を終え、京大病院で手術をした。

その後、詳しいことは判らないが二の腕の筋肉なのか、神経なのか(私には判らないが・・)上下が難しく、現在では両手の肘から肩までが動かしにくく、食事や衣服の脱ぎ着に苦慮しているらしい。

彼も定年後の10年余り鮎釣りとお弟子さん達、退職後の同僚と演奏会を開いたり、スキーを楽しんでいたようだったが・・

去年の初め頃は上がらない腕を上からゴム紐でつり下げて(手首は動くので)演奏を楽しんでいたようだったが・・

いずれにしても、後の人生(子供はいない)夫婦がそれなりに元気で生きていく事に
切り替えた・・とメールがあったので、取りあえず姉と様子をみに行くことにした。

彼等夫婦も私も幸い充分生きてきた(姉は子供、孫がいるので)ので元気に終末を迎えるのみだと思っている。

ただ、姉は子、孫がいるのでそれなりの模様があるだろう。

生きていることに素直に感謝したい。

それにしても、半世紀以上過ぎても放射能の影響があるとは・・・
この地球上に核は存在しては行けないのだ。


ちゃんこ鍋

2009-01-19 09:29:59 | トンボの徒然ダイアリー
1月19日

昨夜は若者達四名、私たち二名の六名で新年宴会をした。
何時もは年寄りだけで訪れる料理屋だ。  
こことのつき合いは40年ほどになる。   
マスターは元十両までいった関取だ    体格の良いムッツリした人で 存命だった母達ともよく訪れた店だった。
店構えはモッソリとしているが家族的な雰囲気があって、常連客が多い。

初めて同行した大学生男女も気兼ねなく飲んだり食べたり出来たようだ。

ちゃんこは自分の所属していた部屋の鍋とか、・・ここはあっさりとした味で飽きが来ない。

二時間ほどの間若者達との交流は楽しかった。
今時の若者は・・・と思っていたが、服装も礼儀もそれなりに礼節を弁えていたようだ。    来年は四年生になる医科の生徒達だったが、ホントに純な子ばかりだった。  一人中国の女性がいたがシッカリ仲間にとけ込んで楽しい学生生活を送っているようだ。

私たちもエネルギーを貰った感じで又の再会を約束した。

この若者が卒業して社会に出るときはどんな社会になっているだろうかと危惧はあったが、あの溌剌としたヤングをみていささか胸をなで下ろした。

さー今度は我が家での夕食会だ。
どんなメニューにしようか、楽しいような・・コリャタイヘンだ・・

考えるのも呆け防止・・・感謝感謝・・・




なにやら・・?世にはばかる・・・

2009-01-17 10:01:21 | トンボの徒然ダイアリー
1月17日
昨日から阪神大震災の報道が多い。

今から14年前80才前後の母と叔母を連れて神戸に遊びに行った事を思い出す。
丁度その日は神戸市内でショッピングを楽み、16日の四時頃ポートアイランドのホテルに宿泊した。
   
63才だった私と母達三人で楽しい夕食を済ませ12階の部屋に落ち着いた。

楽しい夢路を妨げられたのは17日午前5時過ぎだった。

トリプルでとった広い部屋で私だけが一寸離れた場所のベットだったが・・・
強い衝撃でベットから放り出された。 瞬間、二人の安否をと、這ってでも行こうとしたが・・、間仕切りになっていたチェストのとテレビや冷蔵庫が飛び交って立つことすら出来なかった、
何秒か(その時はとても長く感じた)の間でも何か叫びながら這って行ってみると二人はベットにしがみついてうずくまっていた。
まだ余震なのか12階だからか捕まっていないとたてない状況だった。
やがて揺れは収まり唖然とそれぞれの顔を見合わせ、地震の揺れだったことを確認した。
安堵する閑もなく服を着て階下に降りなければ・、としたとき<
ホテルの支配人がドアーから飛び込んできて「早くしたえ降りてください!!」と誘導されて階段を下りた。
幸いその間は余震もなく転げるようにして降りた記憶がある。

下のロビーは宿泊客が大勢、それぞれ無口のまま陣取っていた。  外は未だ夜明け前の静かさ・・みんな息を殺して状況を把握しようとしていた。

それから何度かの余震に不安な気持ちで肩を寄せ合った。  小人数より大人数、同じ状況に置かれたみんなは無事だったことに胸をなで下ろした。

じょじょに外は明るくなり、周囲の状況も見えてきた。
ポートアイランドは、見える限り崩壊したビルは見えなかった。  外はここの住人達が一杯右往左往して今までの街とは様子が変わっていた。
私たちも午後から外に出てみて驚いた。   道路は液化現象で至るところ地割れし海水が噴き出していた。
なにか、今までの端正に区画されていた街が一瞬にして映画の一シーンの様に様変わりしていた。
自然の力と人間の力との知恵比べの様に感じた。
    
そのうち帰宅や仕事を抱えた人の移動が始まるが、なにしろ三ノ宮に渡る橋が開通しないので余儀なく足止めをせざるを得なかった。

この自然の威力・・・目の当たりにして、到底人間の力なんて・・・と思ってしまった。

でも、私たち三人は皆さんの行為で無事に何日間か後に(京都在住の弟宅に一時避難)無事帰宅することが出来た。

大変な経験だったが、私たち三人は原爆にもめげずこの震災にもめげることなく生かされているのだな・・・と感謝した。

何時も思うことだが、人間は自然とゆう神の掌でもがいているだけに過ぎないのだと・・・
奢るなかれ・・・敬虔であれ・・そして、感謝を忘れるべからず・・・だと。


満開のカクタス

2009-01-15 08:46:46 | トンボのお家
1月15日
寒に入ってからさすがに寒さが応える。
去年より寒く感じるのは年のせいなのだろうか・・
自然の成り行きだろうから適当に対処しよう。

昨日は一ヶ月ぶりに「花の風呂」に行った。
880円の贅沢だ。  湯船一杯に浮かべられた薔薇の花にクィーンになった気分・・
露天風呂には、お茶のカテキン湯・・エステの湯・・ミストの湯・・大釜の湯・・適度な温度で寒さ知らず・・一時間ほどお湯三昧に浸って大満足だ

上がって野菜タップリのラーメンで締めくくった。

今朝は空気も澄んでお日様サンサン・・我が家のカクタスも元気を取り戻し、満開の花盛りだ。
    
さー今日も元気で始動開始・・(;゜゜)ワーッ!

松の内

2009-01-10 09:39:44 | トンボの徒然ダイアリー
1月10日

お正月気分もすっかり抜けて街中もいつものようになった。
あの福袋騒ぎも静まった。

今朝は雪もちらついていたがマンションから見る限り暖かい日差しを感じるだけだ。

今の世の中は(ここで感じる限り)平和そのものだ。 素直に感謝するべきだろう。

今年は訃報が多く自分もその道に入ったことを感じる。が私は晴耕雨読の毎日だ。
先日のテレビ、ある100才のお年寄りに「健康で長生きの秘訣は?」答えに「お日様が昇って起き、沈んで寝るのですよ・・」・・・

マッタク今の自分だ・・
まだまだこの世で右往左往の日々を送らなければいけないのだ・・・と(-.-;)y-゜゜゜
感謝感謝と・・・手を合わせて・・と・・

お天気が良いので今日も、元気に外え飛びだそう(;゜゜)ワーッ!

新年パーティー

2009-01-02 16:00:08 | 原爆孤老のつぶやき・・
1月2日

今年も例年通り新年会を開いた。

ホテルも去年よりゆっくりとしているようだった。

今年は新顔が二人増えた。ありがたいことだ。
チョットした事でも人が集まってくれることは何にもましてうれしい。

初めて原爆の生き残り組の同級生と同席出来たことは嬉しかった。
お互いしみじみと顔を見て、今生きていることの不思議を感じた。

ほかの若者達はヤッパリ溌剌と・食欲旺盛・・
今年は若者達の時代、

良い一年であるように・・みんなで隣の神社に初参りをした。

私のひいた猫のおみくじは去年と同じ「千客万来」だった。

きっと、楽しい一年になるのだろう。  感謝