7月29日
この日曜日に広島の美術館で、ある写真家の被爆をテーマにした展覧会が催されていると放映された。
その時に話をされた被爆者の方・・「14才だった私は登校するべく乗船していた船が遅れ、あの8時15分に港から前方に見た恐ろしい火の玉を目の当たりにしました。 何故か遅れて学校に行けなかった私は、あの、火の海の中で死んでいった学友達に申し訳なくて・・」と・・目頭を押さえておられた。
何年たってもあの 月・曜・日・だった8月6日は過去としてしまうことは出来ない。 私も13才だった。 夏休みでも毎日学徒動員でドームのあたりの類焼を阻止するために、一軒一軒 家に繩を回してヨイショヨイショと壊していた。
今考えると・・馬鹿みたいな事だ。
私の学友達も一瞬に灰になっていった。
何らかの理由で今生きている私たち・・62年たっても「生きているのが申し訳ない・・」 あの日が近づくにしたがってその思いは強くなる。
テレビで放映されている番組をみた。
テレビの画面を見ているとその洋服を着ていた人の無念と悔しさがひしひしと感じられて・・胸を掻きむしられるような、息苦しさを感じた。
二度と繰り返してはならない核戦争・・いや、核だけではない戦争・・祖国を変え、その人の人生を変えてしまう争いごと・・
このテレビに映し出されている原爆ドーム 永遠に消え去ることの出来ない姿にみえる。
私自身何度も訪れているドームなのに、この画面から感じるのは深い深い悲しみと苦しみだ・・あの日に自分の意志とは関係なく一瞬にして消えてしまった友・・人人・・嗚咽と叫び・・8月6日午前8時15分・・毎年毎年回ってくるたびに心の痛みが深くなる。 何故だろうか?
この日曜日に広島の美術館で、ある写真家の被爆をテーマにした展覧会が催されていると放映された。
その時に話をされた被爆者の方・・「14才だった私は登校するべく乗船していた船が遅れ、あの8時15分に港から前方に見た恐ろしい火の玉を目の当たりにしました。 何故か遅れて学校に行けなかった私は、あの、火の海の中で死んでいった学友達に申し訳なくて・・」と・・目頭を押さえておられた。
何年たってもあの 月・曜・日・だった8月6日は過去としてしまうことは出来ない。 私も13才だった。 夏休みでも毎日学徒動員でドームのあたりの類焼を阻止するために、一軒一軒 家に繩を回してヨイショヨイショと壊していた。
今考えると・・馬鹿みたいな事だ。
私の学友達も一瞬に灰になっていった。
何らかの理由で今生きている私たち・・62年たっても「生きているのが申し訳ない・・」 あの日が近づくにしたがってその思いは強くなる。
テレビで放映されている番組をみた。
テレビの画面を見ているとその洋服を着ていた人の無念と悔しさがひしひしと感じられて・・胸を掻きむしられるような、息苦しさを感じた。
二度と繰り返してはならない核戦争・・いや、核だけではない戦争・・祖国を変え、その人の人生を変えてしまう争いごと・・
このテレビに映し出されている原爆ドーム 永遠に消え去ることの出来ない姿にみえる。
私自身何度も訪れているドームなのに、この画面から感じるのは深い深い悲しみと苦しみだ・・あの日に自分の意志とは関係なく一瞬にして消えてしまった友・・人人・・嗚咽と叫び・・8月6日午前8時15分・・毎年毎年回ってくるたびに心の痛みが深くなる。 何故だろうか?