この三月になると万で七十六才になる。
二十六才から一日も欠かすことが出来ないインシュリンの注射が必要だ。
最近では日に三回になった。
でも、私は生きています。 いや、生かされている。・・
あの原爆で学友はすべて一瞬に灰となってしまった。
生き残ったのはたった三名だと、聞かされた
生きていなければいけない理由を探りながら・・今朝も目覚めた。
何年か前に「父と暮らせば」とゆう映画を観た。
あの思春期に死から取り残された人は何時も、何時も、この疑問を
抱えているに違いない。
私は運命論者ではないが、やっぱり霊は存在すると信じている。
私は原爆症から蘇生して家族と九州の片田舎に住むことになった。
被爆の翌年の夏の夜のこと、だった。
真っ暗闇の中から、小さな炎の塊が徐々に大きくなって足下からズシズシとのし掛かってきた。 その重さに耐えられなくて体を左右にバタバタとしようとしたが重石に押さえられたようにビタ一文動くことは出来なかった。
そのうちその火の塊はだんだん人の顔になった・・Yさんだ・・親友のYさんだ・・それが、足からお腹、重石がだんだん重くなって胸の上まで来た、顔は何倍も大きくなって真っ赤に光り、目は張り裂けんばっかりに見開かれ、ぐっと私の胸を鷲掴みだんだん大きくなる顔が触れようとしたした瞬間自分のあげた悲鳴にフット消えていた。
こんな事件に遭った私はYさんをはじめ自分の意志でなくあの世に連れ去られた人、人、人・・・どんなにか心残りがあるだろう。
みんなに置き去りにされた私たち被爆者・・
いやもっと多くの、戦争で自分の人生を生きれなかった人たちの無念さが、あのYさんのランランと怒りに満ちた眼差しに・・覆い被さってきた巨大な、真っ赤に燃えた顔・・ 何時までも消え去ることはない。
あの時に逝った人たちの心の痛み、残された人たちの怒りと疑問・・
戦争があるたびにこの怒りと疑問がわいてくる。
あのYさんのメッセージは生きている人たちに送られたものなのだと思う。
何時も何時も、汚れきった水溜まりのようなものが、私の心・・、いやあの修羅場を潜った人の胸の中に、消し去ることも出来ず、浄化も出来ず・・風化していくだけなのだろうか・・
私はこの話を何時まで経っても過去形で離すことが出来ない。
戦後62年が経っても進行形なのだ。
二十六才から一日も欠かすことが出来ないインシュリンの注射が必要だ。
最近では日に三回になった。
でも、私は生きています。 いや、生かされている。・・
あの原爆で学友はすべて一瞬に灰となってしまった。
生き残ったのはたった三名だと、聞かされた
生きていなければいけない理由を探りながら・・今朝も目覚めた。
何年か前に「父と暮らせば」とゆう映画を観た。
あの思春期に死から取り残された人は何時も、何時も、この疑問を
抱えているに違いない。
私は運命論者ではないが、やっぱり霊は存在すると信じている。
私は原爆症から蘇生して家族と九州の片田舎に住むことになった。
被爆の翌年の夏の夜のこと、だった。
真っ暗闇の中から、小さな炎の塊が徐々に大きくなって足下からズシズシとのし掛かってきた。 その重さに耐えられなくて体を左右にバタバタとしようとしたが重石に押さえられたようにビタ一文動くことは出来なかった。
そのうちその火の塊はだんだん人の顔になった・・Yさんだ・・親友のYさんだ・・それが、足からお腹、重石がだんだん重くなって胸の上まで来た、顔は何倍も大きくなって真っ赤に光り、目は張り裂けんばっかりに見開かれ、ぐっと私の胸を鷲掴みだんだん大きくなる顔が触れようとしたした瞬間自分のあげた悲鳴にフット消えていた。
こんな事件に遭った私はYさんをはじめ自分の意志でなくあの世に連れ去られた人、人、人・・・どんなにか心残りがあるだろう。
みんなに置き去りにされた私たち被爆者・・
いやもっと多くの、戦争で自分の人生を生きれなかった人たちの無念さが、あのYさんのランランと怒りに満ちた眼差しに・・覆い被さってきた巨大な、真っ赤に燃えた顔・・ 何時までも消え去ることはない。
あの時に逝った人たちの心の痛み、残された人たちの怒りと疑問・・
戦争があるたびにこの怒りと疑問がわいてくる。
あのYさんのメッセージは生きている人たちに送られたものなのだと思う。
何時も何時も、汚れきった水溜まりのようなものが、私の心・・、いやあの修羅場を潜った人の胸の中に、消し去ることも出来ず、浄化も出来ず・・風化していくだけなのだろうか・・
私はこの話を何時まで経っても過去形で離すことが出来ない。
戦後62年が経っても進行形なのだ。