の日からの一ヶ月後
疎開先に行ってからの私は今で思えば原爆症だったんだとおもう。
折角田舎に着いた私たちは銀飯・・白米のことをそういった・・を食べることが出来た。 私はすでに意識は朦朧として生死の境目を彷徨っていたようだ お医者さんは「衰弱がひどいので・・」と見放されていたようだ 口に入れる物は受け付けない状態だった・・
それが、9月に入ったある日口の中に何か肉の塊があるようにかんじた。
母に知らせると母が私の口に指をいれた時、何か塊があったらしい・・ピンセットで摘んで喉にひっついていた3センチほどの塊を無理に引きちぎった。私は衰弱しきっていたのでされるまま声も出ずだった。
それを境に、意識も食欲も徐々にもどって死の淵から生還した。
それが何であったのかは不明だけど・・一ヶ月ほどで物に捕まってよろよろと歩くことが出来た。
後日談として母は「あの塊が縦になっていたから良かったけど横になっていたら喉を塞いでもう生きてはいないよ・・あの時は無我夢中だったけどね・・」と。・・
あんな、こんなを考えると自分で自分の人生を決めることなんか出来ないのだ・・と。
この世に出てきたときには その人の行く道はきまっているのだ・・と
あの日に学校を休んだのも、この衰弱の顛末も、チャント決められた道なのだと、・・
何のこだわりもなく、自然体で生きていることの感謝を素直に受け入れることが出来たのです