バーバの極楽トンボ

さー傘壽を超えた・・今からももうひと飛び

62年目夏・・

2007-08-25 16:30:21 | 原爆孤老のつぶやき・・
    トンボも不死身ではなかった・・・
この暑さ、もう、バテバテで青息吐息です。
熱中症ではないけれど、椅子に長くなっています。

その間テレビの番組で色々考えることがありました。

涼しくなったら纏めてみたいと想ってます。

加齢は楽しいことばっかりではない・・認識しました。

二度とも生かされた

2007-08-18 06:43:24 | 原爆孤老のつぶやき・・
の日からの一ヶ月後

疎開先に行ってからの私は今で思えば原爆症だったんだとおもう。

折角田舎に着いた私たちは銀飯・・白米のことをそういった・・を食べることが出来た。  私はすでに意識は朦朧として生死の境目を彷徨っていたようだ   お医者さんは「衰弱がひどいので・・」と見放されていたようだ  口に入れる物は受け付けない状態だった・・  
それが、9月に入ったある日口の中に何か肉の塊があるようにかんじた。
母に知らせると母が私の口に指をいれた時、何か塊があったらしい・・ピンセットで摘んで喉にひっついていた3センチほどの塊を無理に引きちぎった。私は衰弱しきっていたのでされるまま声も出ずだった。

それを境に、意識も食欲も徐々にもどって死の淵から生還した。

それが何であったのかは不明だけど・・一ヶ月ほどで物に捕まってよろよろと歩くことが出来た。

後日談として母は「あの塊が縦になっていたから良かったけど横になっていたら喉を塞いでもう生きてはいないよ・・あの時は無我夢中だったけどね・・」と。・・

あんな、こんなを考えると自分で自分の人生を決めることなんか出来ないのだ・・と。
この世に出てきたときには その人の行く道はきまっているのだ・・と

あの日に学校を休んだのも、この衰弱の顛末も、チャント決められた道なのだと、・・

何のこだわりもなく、自然体で生きていることの感謝を素直に受け入れることが出来たのです

ピカドンからの二日間

2007-08-14 11:12:46 | 原爆孤老のつぶやき・・
比治山の裏で過ごした二日間   

猫に助けられてやっと這い出した世界は家屋の倒れた瓦礫と、放心して逃げ惑う人、人・・が目に入ってきた。
すでに至る所から火の手が上がっていた。
私たちは五寸釘がむき出しになっている瓦礫の上を痛さも感覚も無いまま逃げていった・・・

何処が安全地帯なのか・・火の手がどっちに向いているのか・・人の流れるまま・・よぼよぼ・・とろとろ・・と彷徨って歩いていった。

途中川をひとつ越えた、川の中は水は見えなかった、異様な姿の人間で埋まっていたように思えた。

辿り着いた山の裏側の人家は半壊だったが・・人間は言葉を喋っていた様におもった。
私たちは夕方まで一寸した畑で座っていた・・

その翌、翌日国鉄の動いている所まで歩いていった・・そこから祖父母と弟が疎開している山間の村に逃げていった。