団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

常盤平団地の53年107 国民学校の同窓会 

2018-05-20 20:26:15 | 日記

数年前までは2年ごとの同窓会でしたが、現在は毎年5月の第三日曜日昼間12時に決めています。

今年も5月20日日曜日新宿西口鳥良に83歳の男8人女4人合計12名の私達昔国民学校の名の元で6年間を過ごした旧友級友が集まります。

記念誌に有りますように私達の東京都新宿区立戸塚第三小学校は大正15年6月1日開校された時は豊多摩郡戸塚第三尋常小学校として発足されたとあります。

その中で私達は一年から6年まで国民学校の生徒として勉強をして参りました。小学校を経験していない唯一の国民学校生なのです。

  記念誌の1ページ目には昭和45年頃の校舎と校歌が載ってますが、どちらも変わりなく、以前は私達の同窓会も最後は校歌で〆たのですが・・♪「神田の流れ水清らかに富士は野末に真白くそびゆ・・・♪・・♪

小学校PTAの理事になったT君の話「戸三は今年創立90何年とか・・」

激動の昭和、平成を共に生きてきた友がそこにいました。

私達は戦争には行きませんでしたが、同日集まった殆どの学童が草津温泉へ集団疎開をさせられました。

今では草津温泉は観光地で「草津良いとこ一度はおいで・・」ですが10才足らず少年少女達の草津での疎開生活は負け戦が濃くなり始めて、食料事情がドンドン悪化の一途をたどり、栄養失調で倒れる児童も続出して、私も栄養失調で父が迎えにきて焼け野原の高田馬場(当時戸塚町)のバラックとへ連れ戻されたのです。

12人の同窓会は1000円前後のランチメニューの中から各々が勝手に注文して、皆でビールを中瓶3本ほど頼んだ後は、矢張り苦しかった疎開での話、薪を背中に、カボチャを、そして最後は何に使われたのか四角いレンガを男の子が4つも背負わされて「アレは辛かった・・」傍から「女の子は2つだった・・」「えっ女もレンガは運んだの?・・」でも大声で語る老人達の顔の明るい事・・・それはアッと言う間の2時間でしたし、又年寄りが70年も前の子供に若返った瞬間でもありましたよ。

夢中でお喋りした83歳の同窓会もお開きとなって来年も元気で集まろうと、夫々男女誰彼構わず握手して、さてランチの精算?・・・

これが大変、釣り銭なしでピタリ出す人は二三人、後は千円札二枚出して千円チョッとの勘定のお釣りを要求したり、中には無雑作に一万円札を黙って出す奴(男)もいて大混乱・・いっそ一万円次の同窓会に寄付?・・とんでも無い、年金生活でやっとやっとの人かも知れない?・・・

皆から集めたお金をレジへ纏めて出して釣り銭受けとったけど、釣り銭貰う希望者にも正確には返金されない始末・・・

どうも去年まで会計をやってたS君が昨年あの世へ逝ったのが原因のようだったが・・・

途中から女性の一人が計算に加わって来たから更にややこしくなったみたいです、女は幾つになっても細かいから・・でも同じ年の女性ですから感謝も尊敬もしている私です。

混乱も一段落したが最後まで皆の明るい笑顔が嬉しい限り・・お互い「何でだろう?」皆多少はボケてるからかも・・

結局、最後は男の誰かが端数を出してケリをつけて終戦・・然し終始笑いの絶えない良い同窓会、良い友達たちでした。

下の階へ席を移動して又一時楽しい時間を過ごして、名残惜しいがソロソロお別れの時刻、今度の会計は?・・・

 

 



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