私の食いしん坊は55年前も今も変わらない、今はもういない先輩は呑んベ~その物、同行の汽車の旅、昼時停車駅で列車から降りた先輩「ハイ弁当」と私に、先輩はと手元を見ると「俺はコレ!」と、なんと手に缶ビールと柿の種のつまみ、昼食の心算、若かった私も、ビックリしたが、出張先で今日は夕方目的地に着いてから旅館へ宿泊する、仕事の予定は無かったから良いのだろうが、当時はのんびり?した出張仕事でした・・根っからの酒好き、ヘビースモーカーでも有ったので、私より大分前に亡くなった。でも良い先輩だった、この先輩Sさんに夜仙台で連れてって貰ったのが太助だったのだ。
私の知る限り、当時仙台に牛タンの店は太助だけだったような気がする、何しろ55年前の事だから、他に牛タンの店が、有ったかは定かでは無い、それが現在仙台市内には地図に有るように100店余り支店まで入れると更に多くの牛タン店が存在する。
牛タン、牛の舌とシッポは牛1頭から1枚の舌、1本のシッポ、こんな沢山の店で沢山のお客が口にする舌とシッポは、一体どこから集めて来るのだろうか、仙台名物だからと云って地産地消と言う訳では無いだろう、今じゃ外国産?米国、豪州から輸入されて来るのだろうか。国産和牛は霜降りで旨いのは有名だが、タン、テールとなると霜降り和牛も、アメリカ、豪州牛も舌とシッポは、区別がつかないのかも・・いつか地元の人に霜降りタンとかあるのか、そのタンは格別味が良いのか訊いてみたいものだ。
テールは昔、高田馬場に住んでいた頃、新宿三越店の食品店二幸と云う店が東口駅前に有って、そこの肉売り場で輪切りのテールを売っていた、何度か買って来ては自宅でガスコンロに鍋を乗せて、出るアクを丁寧に取り除き乍ら、コトコトと三日ばかり煮込んむと、最後骨から身がホロリと離れて、冷えるとゼラチン状の白い膜が鍋いっぱいに広がって、これに塩で味付けスープは暑い内、短冊切りしたネギを、私は好きでネギは沢山乗せて、胡椒を振りかけたようだが定かで無い、太助と同じように出来たか解らないが、母と男兄弟5人、この時ばかりは皆がお代わりしてくれた記憶がある。燃料費は別として、家族に振舞って誰もケチを着けずにスープを飲んでくれたことで、確か自分も満足していたのでしょう。
又、常盤平団地に移ってから、確か千住辺りの食肉卸店で「テール有りますか?」と頼んだら、出してくれたのが、皮むきの70㎝は有っただろうか、長いまま、「これだけど?」・・これには参った、「どうもスミマセン、又・・」でした。アレって簡単に輪切り?出来るのかな~・・
話が戻るけど、55年前の太助は、付け合わせには手で千切った生のキャベツが山盛りに出て来た気がするのだが、お店を出る時に戴いた舌(ここにも舌)代に初代佐野啓四郎が作り出した安くて、おいしい、人情あふれる、栄養価の高い名物メニューと有って、正に55年前にその初代からテールスープを戴いた訳で、当時定食に麦飯が付いていたか記憶にないのだが、確か値段はタン焼き、スープ、ライス、キャベツ付きで2~300円位だったと思うが、今日は定食1人前1800円、生ビール600円、お店の価格表にはスープのみ500円、55年前はスープの丼はもう少し大きくて、肉と骨が一緒に入って、スープを平らげた後、丼のそこに真っ白けな牛のシッポの骨が残っていたっけ・・・