団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

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2014-03-30 21:51:11 | 日記
初めての投稿写真は今日探したら、写真は入って無い!呆れてる。つくば市手代木付近の紅葉の街路樹(ニセアカシア?)と昨日の同じ場所からの写真を改めて投稿します。今年は青々した夏の風景が撮ってみたい。

今は木の剪定の最中でクレーンを使って木を丸裸にしてましたがこれで秋に又、元の紅葉風景が見れるのでしょうか?チョッと可哀そうになりました。

この雲何の雲?

2014-03-30 20:53:56 | 日記
今日は大荒れの天気でした。昨日夕方駐車場に車を止めてふっと前方を見ると夕焼けの空に、変な雲が・・すぐにデジカメで撮ったのがこれです。1~2分で消えてしまいましたが、カメラには写ってました。こんなの初めて見ましたが、誰か見た人、この雲何なのか教えてください。

戦後闇市の露店

2014-03-23 09:27:18 | 日記
高田馬場駅から早稲田方面に300m位続く闇市の露店は毎日賑やかでした。色々な店が有った様ですが、子供の頃のことで余り覚えていません。その中で何時も人だかりしてたのが、一軒の万年筆屋さんです。4角いテントの屋根、間口2m程の広さの店の真ん中に中年の店主、何と言うかミシンのような、機械の先に万年筆の軸になる棒状の材料をセットして、ロクロのように回しながら器用に丸く削って行く、熟練の技に皆見惚れてました。外から見えないのですが、足踏みミシンのようになってたようですが、それを感じさせない技術、私の目線より高い位置にいて、とても偉い人に見えたもんです。店主の身の周りに整然と並べられた沢山の万年筆が輝いて見えたのです。又ペン先を虫眼鏡で磨く仕事振りも立派な技術屋に見えて、こう言う人も居るんだと・・柔和で明るい顔、気さくに学生達と話し合う店主でした。大人達、早稲田大学の学生達も、この店の万年筆を使って、何でも書ける戦後の時代を過ごした事でしょう。・・何年か後に闇市の露店が消えた後、今の明治通りロータリーの角に、この人が店を移して早稲田へ通う学生達をお客さんに営業されて繁盛してたようです。私も早稲田中学に通うように成りましたが万年筆は当時の中学生には高くて親から買っては貰えなかった。今そこにお店が有るかどうかは解りません・・

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2014-03-22 18:34:35 | 日記
母が闇市に露店を出して売る品は限られてたが、兄の担任の教頭先生の実家が米問屋だったようで、家族の多い我が家に陰で援助してくれてた。小麦を脱穀して小麦粉を取って残った皮のことを「ふすま」と言って、これも食料品だった。母はこれを分けて貰って露店で売ったのだが、私が母の代わりに一人で何時もの場所に店を広げて(と言っても例の木箱の上に1合升を置いて、ふすまを1杯置いただけの事)待つこと暫し、隣の店は何時もの世話人の年寄りの店で、何を売ってたんだか、思い出せない。ゾロゾロ店の前を人が歩いていくのを、ボーっと眺めていたその時、4、5m向こうから歩いて来た3人連れのおばさん達、「アッ、ココ、ココ、此処よ!」と言って私の目の前に立つと、しゃがみ込んで指差しふすまに向かい「コレ頂戴!」連れの二人も「私も!」「私にも!」最初に声を掛けてくれたおばさんが「此処のふすまは、其の侭、固まるのよ!」その後それを見てた周りの人たちも次々に買ってくれたので、持ってきたふすまは瞬く間に完売。世話人のおじさんが売り上げのお金を纏めて呉れてニコニコして「良かったな~坊や、これで今日はもうお帰り」・・帰り道ふすまを売ってる他のおじさんの畳4畳程の大きな露店、おじさんの横に大きなふすまの袋、人々はそれを横目に通り過ぎて行く・・バラックの自宅に帰り、今しがたのことを告げると、「やっぱり山岸先生のお蔭、先生は奥さんには内緒で私が持ち帰るふすまに小麦粉をわざわざ升一杯分混ぜて持たしてくれたの」良い大人たちに恵まれた戦後では有ったようです。