団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

常盤平団地の55年 振り返って3分待つのだ!

2020-01-30 17:15:35 | 夫婦
 
常盤平団地の54年 10 私とラーメン4で終ります

戦後復興が目覚ましい東京高田馬場周辺ではサラリーマンや学生相手の飲食店が沢山出来ていました。その中の1軒、高田馬場駅横町の有る中華そばの大成軒迄は家から500m位です。私が......
 

今や個人でラーメン店を新規に開店することは、とても無理なんでしょう・・

特に、こんな年寄りの多い団地周辺では・・

 長崎堅焼き蕎麦は大好きです。

野菜たっぷりのあんかけをフライパンイッパイに作って「もっとかけろ、もっと!」と仰いますがパリパリの麺が足りなくなってしまうのだ。

 ・・・三分待つのだぞ!

カップ麺の良いとこは麺、汁、が最後まで冷めないことですが、私は底の方に二三本残った麺と、適当に冷めた汁を丼傾けて一気に飲んでしまうお店のラーメンが懐かしい・・ゴチソウサマ

 

 


常盤平団地の55年 落とし主に戻ったスマホ

2020-01-27 16:45:34 | 夫婦

京成成田駅から新京成常盤平駅へは京成津田沼駅で乗り換えねばなりません。

今日成田へ来る電車の乗り継ぎは誠に順調でしたので・・

二人は帰りも同じコースで帰る事に決めていました。

美味しいうな重を戴いたあとは今年も山門脇の地酒仁勇の甘酒(150円税込み)を二人で立ち飲みしてから、登りの山道(往きは参道でしたが)を充分時間を掛けて京成成田駅に到着・・

タイミングよく来た快速上野行きに乗車して津田沼駅に到着・・

折りよく新京成線のホームに入って来た津田沼折り返しの電車に乗車して待つこと数分・・

ホームのアナウンスが聞こえます「1番線に千葉中央駅発松戸行の電車が参りますが、この電車が先に発車致します、お急ぎの方はこの電車をご利用下さい・」

間も無くお隣のホームに先発の電車が到着いたしました。

振り向くと、後から入って来た電車も空いているように見えました・・

「お母さん、向こうへ乗り換えよう・・」

立ち上がった私ですが妻が「アラっアラっっ誰かが携帯を忘れて行ったみたい・・」

見ると隣の座席の境目にスマホが一つ落ちています。

私は慌てて落ちていたスマホを手にホームに降りて・・

丁度そこへ駅員さんが通り掛かったので・・

「今、そこで誰かがこれを・・」

「アッ~落し物ですね・・有難うございます・・お預かりします・・」

「どうぞよろしく・・」私の手からスマホは駅員の手に渡って・・一安心です。

幸い、乗り換えた先発の電車で二人は並んで座れて・・

「マア良かったな~・・丁度駅員もいたからな・・」

1件落着、後は落とし主が後で気が付いて津田沼駅に問い合わせるか、自分のスマホを取りに来るか・・

やがて新京成松戸行の電車は次の駅に向かって走り出しました。

走り出して直ぐ妻が気が付いたのです。

「向かいの人・・何か探しているようよ・・」

私も「アレっ・・ウン・・もう少し様子を見よう・・」

件の若いサラリーマン風の男性はとみれば・・

片手で頻りにポケットを探っています・・

今度は両手で腰の・・反対側の腰の・・スーツの脇の・・胸の・・ポケット全てを・・

今度は持っていた小さなリュックの中を・・底の方まで手を突っ込んで・・

慌てふためいて・・真剣な顔が青ざめているように・・

どうやら間違いなくスマホを何処かで落とした事でスッカリ気が動転している様子・・

あのスマホの持ち主に違い有りません。

その時電車は次の駅に到着、不意に彼は立ち上がり私達の目の前から開いているドアに向かって降りようとして・・

私も立ち上がって彼に向かって叫びました「スマホならさっきの駅で駅員に預けて有るよ!」

サッと笑顔と生気が蘇った若者は手を合わせるようにして「有りがとうございます・・」と言い残してドアの外へ、ホームへ飛び出して行ったのです。

ドアが閉まり電車は再び次の駅に向かって走り出しました。

「ヨカッタな~‥本当に良かった・・」

忘れっポイ自分にもこれまで苦い経験が何度も有るのです。

何処に置いて来たのか、何処で落としたのか解らない、何とも言えないイライラとヤキモキで長時間耐えるの本当に辛い・・

例え僅かの時間でも自分が忘れたスマホが確実にあると確信出来た時間を彼に与えられたとすれば私も幸せな気分でいられて本当は自分が幸せに・・

常盤平駅に着く頃には、きっと津田沼駅で自分のスマホを受け取ってホッとしている彼の顔が浮かんできて・・

「今日は良い事が幾つも有って良かった・・これも成田山へ行ったからこそなんだ・・来年もきっと行きたいね~」と気分の良い金曜日です。

 お昼は鰻、夜は寿司、常盤平千代田寿司西友スーパー店の鯖、鰤、アナゴ寿司は私達の大好物で今日は3点オール30%引きのラッキー・・ゴチソウサマ

 

 

 

 

 


常盤平団地の55年 信仰心薄き私の成田山詣で

2020-01-26 15:03:57 | 夫婦

 

 成田山山門前、昨年1月13日の様子です。 

私達夫婦は24日成田山へ遅い初詣へ・・

 成田山公園の入り口の梅が少し咲いていました。

 静かな公園散策を楽しみました。

 昨年迄は自由に中へ入れたのですが・・

毎年正月の楽しみだった参道脇に有った中華料理の豚珍肝が去年3月で閉店しました。

今年はどこで昼食にしようか、食いしん坊は途中もワクワク感と不安感で・・

妻がくれたお賽銭を投げ入れて、今年の無病息災を祈るついでに、不謹慎ながら「どこか良い店有りませんか?」と祈願して・・

足が痛くても、本堂裏の静かな成田山公園のブラブラ散歩は例年のように・・

静かな公園のゆっくり二人散歩、今年は去年より10日も遅い初詣が幸いしたようです。

豚珍肝さんが閉店して・・

私達夫婦は去年迄はこの古い料亭の佇まいを通り縋りに只眺めているだけでした。

名取亭の入り口に有ったメニューを見ると成田山参道の鰻やさん等に比べても、お値段は可成り高そうです。

「如何する?・・」「好いじゃない・・」大蔵省(妻)はアッサリOKです。

きっと年一度の成田山「滅多に口に出来ない旨い鰻が食べられる」で妻も私も抵抗なく店内に・・

静かな店内で妻が「予約していないのですが・・」と不安そうなお伺いに・・

「いらしゃいませ、どうぞお上がりください・・」

靴を脱いで、薄暗い廊下を通って案内された広い座敷には既に先客が数組・・

途中の廊下左右の部屋にも何組もお客が・・

反対側には宴会らしく賑やかなお客の姿も・・

外観のヒッソリとした様子と違って繁盛しているのは意外でした。

流石老舗なのですね~

座布団の席に着いてホッと一息して落ち着くと、係の女性が直ぐお茶を持って来て・・

「ご注文は・・」「うな重を二つ・・」「20分位お時間が掛かりますが・・宜しいでしょうか?・・」何時もは迷う私も今日は初志貫徹です。

  素早くお茶とお箸が・・ 

座敷から見える庭も静かな佇まい・・直ぐ近くを通る車の騒音も、お隣の座敷の宴会のざわめきも聞こえない静かな辺りの雰囲気は古くても内外供余程シッカリと手入れがされているようです。

 妻が懐かしい鍵に気が付きましたが、窓の立て付けはシッカリして「成程、外の音が聞こえない訳だ・・」と・・

 美味しいうな重でした。勿論ご飯粒一つ残さずに完食です。

鉄砲漬けのお新香だけは年寄りの歯が持て余しましたが・・

来る途中、参道の鰻やさんでは今日もお店の外で、沢山のお客さんが並んで待っていました。

多少?いや大分値段は張っても・・

「来年も松の内を過ぎた平日に来ようね・・」ゴチソウサマ

遅い成田山詣では、ご利益が有ったのでしょうか、夫婦が帰りの電車内でとても良い思いをさせて戴いた話は又・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


常盤平団地の55年 振り返り記事のアイスクリーム 

2020-01-25 13:25:15 | 夫婦
 
常盤平団地の54年 8 私とラーメン2

中学校時代の友達S君は戸塚4丁目(現在の高田馬場4丁目)の米屋の次男坊です。私も次男坊で気が合います。今年のクラス会も一緒でした。彼は商才に長けていたのか、60代に高田......
 

食いしん坊の私と親友S君との甘い苦い思い出が、もう一つ・・

高校時代、早稲田通りにミルクホールのお店が有って、お店では自家製のアイスクリームを販売していました。

当時のアイスクリームは今みたいにネットリクリームでは無くて、どちらかと言えばクリームと云うよりアイスに甘い味が付いている・・

丸っこいアイスクリームは1個30円だったと記憶が・・

それでも若い私達にはようやく沢山に食べられる冷菓デザートだったのです。

或る夏の日S君と私は放課後の帰り道、アイスクリームの食べ比べをしたのです。

どちらか余計食べた方が勝ち・・

負けた方が二人のアイス代を払う事と決めてお店に入りました。

その日が暑かったのかは記憶に無いのですが・・

結果は私が3個、S君は確か4個食べて、私の負けでしたが・・・

勿論、アイスの代金は全額小遣いから私が払ったのです。

ところが、その晩から私は体調を崩して、寝込んで仕舞いました・・

苦しんだの筈ですが、今痛いとかの症状は覚えていません・・

只、兄弟5人もいて、近所の掛かり付けの医者、確か間崎先生が駆けつけて・・

診断は黄疸・・食べたくても「1週間絶食」と云われて・・

出るものが出ないで・・

やがて寝ていても真上の天井がグルグル回って見える幻覚?も・・

目も黄色くなっていたらしくて・・

間崎先生からは「重病の人は天井が黄色くなるんだぞ」と脅されて・・

酷い目に遭った私でしたが・・1週間目に出るものが出たのでしょう。

家族が心配する中、やっと快方に向かって、やっと学校へも行けるようになって・・

私が元気になって再び学校で逢ったS君の方は何事も無かったようですが・・

ケロリとして学校でも通学路でも愉快にお喋りをする仲良し友達だったのです。

今年の正月のクラス会には地元に住むS君も食いしん坊の私も元気に出席致しました。

然し、彼が食べ比べをしたことなど、とっくの昔に忘れていると思いますし・・

85才の今日迄二人とも生きているだけでも幸運なのかも知れません。

私達男子校のクラス会のメンバーも奥様が元気でおられる友が多いようで・・

S君の奥様もどうやらお元気なようで・・

今度、夏場にでもお逢いして4人一緒に、現在の美味しいアイスクリームでも食べながら昔話に、その事を話したいと思う私です。

 今はチョコレートも少し食べても満足の私です。ゴチソウサマ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


常盤平団地の55年 ラグビー大好き85才

2020-01-21 18:20:23 | 夫婦

昨年日本中が盛り上がったワールドラグビーのお蔭で・・

TVでの中継が確実に増えて85才の老人としては嬉しい限りです。

もう、この年では秩父宮ラグビー場迄足を運ぶ事は出来ませんが・・

集団疎開と戦後の食糧不足の中で5人の兄弟と共に両親の愛情を受けて、一貫の中学高校生活を過ごしましたが・・

高校の時に、ラグビーの好きな先生がいて、体育の時間にコンクリート敷きの校庭で、何故か40人位の生徒が二手に分かれてラグビーゴッコみたいな事をやらされた?覚えが有りました。

男子校ですから当時から野球は皆が知っていましたが・・ラグビーは名前ぐらいで・・

クラス内でもチョッと体格が良くて、失礼ながら成績が余り良く無い生徒がラグビー部員で、然も部員が四~五人しかいなかったと記憶しています。

競技と云っても、別にルールが有る訳でも無し・・

只楕円球を前後左右に人から人へ次々にパスして前に進むように・・

競技の最中に先生が、今、私の立っている場所を指さして「Sよ!お前そこに立ってろ」と指示されたのです。

私は先生の言われた通りに、その地点でボールを待ち受けしていました。

ボールが生徒から生徒に渡って校庭のアッチコッチに移動して・・

先生の手に渡ったボールが私目掛けてパスされて・・・

次の瞬間・・横から飛び出して来た一人の生徒がアッと言う間もなくボールを横取りして・・

素早く私の目の前を走り過ぎたのです。

・・その場で呆然と立ち尽くす私・・

パスした先生も呆気に取られて・・

私は、その時先生が私の方を見て「貴様!このウスノロメ~・・」と睨みつけたようで・・

その後のボールがどうなったか、先生も私も又ボールを追う場面に戻ったのかは記憶に有りません。

あれから何十年も経ちますが・・

今迄も折に触れて思い出すのは、屈辱の、あの瞬間・・目の前でカットされて消えたボールの行方・・

あのラグビーボールだったのです。

ラグビーは高校卒業後、秩父宮ラグビー場へ母校の試合を見に行って、スタンド最前列でウイングが快速で疾走する姿を目の前で見てから、男のスポーツとしてスッカリ大フアンになりましたし、今もラグビーを楽しみ愛する気持ちは誰にも負けないつもりです。

ところが、最近になって気が付いた事が有りました。

あの屈辱の一瞬の出来事・・

ラグビーは15人全員でする団体競技です・・

お互いに連携してプレーする・・

特に隣の選手同士は・・

あの時、パスした先生にもミスが有ったのではないかと・・

カットする生徒に気が付かないでパスした先生も先生だと思うのです。

何十年も経て、気が付いた私ですが・・

あの時、先生も自分のパスミスに気が付いて・・

今思えば私が勝手に先生から非難の目で見られたと思っていたのかも知れません・・

愚かにも85才になって、その事に気が付いてからはラグビーが一層好きになった私です・・

今年は新設の国立競技場で6万の大観衆を集めて行われた伝統の早明戦で母校が対抗戦の仕返しをして、涙と共に歓喜の荒ぶるの合唱が・・

私も嬉しかったのです。

トップリーグの中継も楽しみ、学生ラグビーの復活で、此れも年寄りには活ッが入ります。

後何年楽しめるかは解りませんが・・85才がワクワクしているのですから愉快です。

 先日「温州ミカンは終買」と宣言した食いしん坊ですが、西友スーパーさんは未だ未だ頑張って下さるようで・・

蜜柑調達は私の役目「蜜柑・・未だ有ったの?良かったね~」ゴチソウサマ