団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

常盤平団地の52年145 窓ふき掃除

2017-12-31 22:36:59 | 日記

妻はここ数か月、時間が有ると狭い部屋のアチコチ、例えばTVの廻りとか、本棚の内外、台所は勿論「其処ら中を拭きまくっているみたい」に私には思えます。

29日、30日、そして大晦日とお掃除はエスカレートするばかり、私も何かしようと思うのだけど何をしたらいいのか?ウロウロするばかりであります。そんな中で朝顔の葉も無くなり、枯れ切った蔓が窓一杯に残っている。私「如何する?来年まで此の儘で良いか?」妻は掃除の手を休める事も無く私に「・・良いんじゃない?ゴミはもう出せないんだから・・」そう言われると私も例の反発心(妻の作戦かも?)が起きて朝顔の終戦処理をせねばと(大袈裟)ハサミを取り出して「アッそうそう手袋がいるな」「一番上の引き出しに有る筈よ」引き出しは我が家にも沢山あるけど「何処の引き出し?」なんて聞き返さない私である、幸い玄関正面の引き出しを開けたら一番手前にお目当ての軍手が何組か、チャンと洗濯して仕舞ってあった。

1時間位で枯れ切ってカサカサに乾いた蔓はバラバラにして大き目のゴミ袋に10本ほどの支柱はスンナリ1束に纏めて「これは来年も使えそう」プランターを逆さにして中の土が塊の儘これもゴミ袋に都合5個分、どうやらゴミ一袋分が出来た所で後は外の物置迄3往復・・内心「今年も旨く処理が終わったな~・・」と満足の私であった。

掃除機が気持ち良く辺りのホコリ、ゴミを吸い取ってくれたので1安心・・「そうだガラスを拭かなくちゃ」妻「リースキンの窓用雑巾が有るから使って・・」「そうかウンうん」その雑巾を使って早速窓を拭き始めたが、ひと夏朝顔に遮られて外側のガラス面は油のようなゴミがくっ付いていて斑模様の汚れで、とてもじゃないが乾いた布切れみたいな化学雑巾では全く用をなさない・フッと思いついたのが、車のガラス拭き「シメタこれは使えるぞ」駐車場から湿った不織布のガラス拭きで拭いたら見事に斑模様の汚れも落ちて、面白くなって、隅から隅まズイッーと二枚の窓と一枚の網戸を右にしたり左にしたりして30分程磨き上げて完了・・

ホッと一息ついて、蜜柑を剥いて口に頬張る私、ずっとお風呂掃除の妻が戻って窓の方をチラッと一瞥「アラッ?汚れているわね~・・」「エッどうして?どこが?」ムカッと来た私、でも黙ってもう一度窓を見る・・言われて見ればそんな気がして言葉が出ない・・

いきなり何処からか手にした乾いたタオルでキュッキュッと拭き出したのを、横目にソッポの私、以後沈黙の10分間・・料理が上手な妻、お掃除も一流と認めざるをえません、色々金言が浮かんできましたが1番は沈黙は金なりでした

 妻が拭いた窓ガラス、そんなに変わらんと思うけど

下の芝生と木登り樹とお向かいの団地棟、元日のストレッチ姿はパンツ一枚とはいかない様で・・

「お昼サイゼリアへ行こうか?明日は大晦日だし・・」「そうね~良いよ・・」

そして今日大晦日又サイゼリヤへ誘う、今晩、はテイクアウトの辛味チキンとロゼのワインを1本持ち帰りをと考えたのだが、店員「ロゼは発泡性なので栓抜きすると気が抜けるのでお持ち帰りに向きません」で諦めると「赤ワインなら良いです」「じゃそれで頼みます」持たされた赤ワインは1.5Lの特大瓶「重い重い!(^^)!」ワイン無知が知らざる買い物1080円、お店でも(@_@)「珍しいお客もいたもんだ」かな?

今妻は紅白見ながら「知らない顔ばかり・・知っているのはゲストだけ・・」でも私が傍に居ないと文句も言えないらしくも向こうの部屋でつくねんとしています。又投稿失敗しない様に・・ゴチソウサマ

 


常盤平団地の52年144 跨線橋からの富士山

2017-12-30 18:00:51 | 日記

千代田線南柏駅側の光が丘歩道橋と命名されている通り立派な跨線橋です、出来た当時?は両サイドは半透明樹脂製の板が張られていて、橋の上からは上り下りの電車もろくに見ることが出来なかったらしいが、誰かがこの板を部分的に壊してしまったので、以来そこからの覗くと直下の線路を走る常磐線、千代田線の全ての電車が見られる訳で、空気の澄んだ暮のこの時期千葉県から東京都、神奈川県を超えて遠い富士山を撮影したのはもう何年も前の事・・今から考えて見れば、この大きな隙間は通行人にも下を通る電車にも相当危険な面も有ったのでしょう、1年か前に歩道橋全体が小さな穴の開いた鉄製の板に張り替えられて今度は富士山は見られてもカメラは鉄板に遮られてどうにもなりませんでした。カメラの腕はカラッキシ、それでも富士山撮りたいよね~・・・

昼間は富士山らしきものは見られない

歩道橋の上で真ん中近く一瞬前後に人が来ないのを確認し、我が老体が行動を起こします、先ず左足先を50㎝程高い橋桁に乗せ、グイっと左手を上の手摺りじゃない橋桁?迄延ばして「エイヤッ」と体が浮いた瞬間、そして目線の前がグッと開けた高い位置、右手高くに持ったカメラを向けてっ「おっとっとっと?レンズが飛び出してない」のに気付いて、慌てて手の平のデジカメ持ち直し、やっとレンズさんが飛び出たのを確認し、富士山方面目掛けてパチリと一発勝負です。すぐ下自転車で通り掛かる何処かのオッサン「何やってんだ、この老いぼれが!・・」と呆れて、それでも苦笑いで通り過ぎて呉れました。お恥ずかしい次第・・

 

 


常盤平団地の52年143 養殖鰤カマ

2017-12-29 22:18:35 | 買い物

28日の朝刊、投資情報のページにぶり大漁の見出し、何だか26年振りの高値だとか、今日は更に高値で大納会を納めたらしいが・・

私にとっては株も金も全く縁なし、見出しを見てを「アレッ鰤?が大漁?、なんだ株か、今が旬の蕪なら味噌付けて食べると美味しいよ」である。

今日のカスミスーパー年末の大売出しで食品売り場の殆どがおせち一色、蒲鉾、伊達巻、キントン、黒豆、数の子等々、さてあのクリスマスシール付きのニワトリ片足の一本一本は、一体次の日は何処へ消えたのだろうか、例えばこれは推測だが売れ残った節分の鬼打ち豆は最近はメーカーが引き取って再加工?してるらしい、昔は節分過ぎて売れ残りの商品が半額で売られていて、私等は二人で毎朝食べるから安い半額大豆を買い占めたものだが最近は半額鬼打ち豆はとんと見かけなくなった。真偽の程は来年の節分の日辺り確かめて見たいと思ってはいるが、節分の豆と、袋に入って遺伝子組み換えでないがどうこう書いて有る大豆と、如何見分けるのか私には自信が無い・・店員に訊けば「変な客?」と云われそうだし・・・

カスミスーパーで今日も養殖の鰤カマが数個並べていた、昨日は一つしか無かったから、年末で縁起の良い鰤も頑張っているみたい・・携帯で妻に恐る恐る「この間の鰤美味しかったね~、鰤が有るけどどう?」「良いわよ、大根も有るし・・」ご機嫌麗わしくOKのお返事戴く、今日は堂々男の買い物である、塩焼きしてくれるのは妻であるから・・私は皿の上の鰤カマの塩焼きを「ウンウン」と頷き乍ら大きなカマの身を口いっぱいに頬ばるのみなのです。

因みに、このお店では天然の鰤カマも売られている、こちらは少し小振りだが値段もズッと安い、以前は天然につられて買っていたのだが、妻が「焼く煙が凄くて、脂がのっているみたいね~」この手で行くと、秋刀魚も養殖で丸々太った特大秋刀魚など出て来ないかしらと夢見る食いしん坊の私です。

お正月は、お付き合いの為、毎年某ホテルのおせちに決まっているから、買い物好きの私でも自分好みのおせちには手が出せない、食いしん坊には辛い歳末、せめて旨い鰤カマで食い納めと致します。ゴチソウサマ

食いしん坊の私、パチリの前にクチりとやっちゃいました、失礼しました

 

 


常盤平団地の52年142 野水仙

2017-12-24 16:47:16 | 日記

気候温暖の千葉県では先日房総半島南の冨浦町の水仙が見頃になったとTVの映像が流れてました。

団地前の大きな欅の根元には今年も可憐な水仙が咲いています。以前放置バイクに無惨に潰された株の場所とは違い樹の根元に、寄らば大樹の陰とでも云う処です。

2年前の放置バイクのは撤去されました。

ずっと昔の事、60代の頃でしょうか、年末になると房総半島の白浜、千倉、鴨川と春の花を求めてドライブして団地のご近所に配って自分もご近所の人達にも喜んで頂いていた時期がございました。何拾年か前に私のこんな歳末行事も終わりましたが、千倉町で小菊を分けて戴いた或る小さな農家の奥さんとお婆ちゃんのお家のすぐ前の土手には、今見頃の沢山の野生の水仙が咲いていました。お婆ちゃんが「幾らでも生えてるから持って行きなさいな」「エッ良いんですか、それじゃ少し戴こうかしら・・」

私は、お婆ちゃんから鎌をお借りして、早速咲いている水仙を戴く事にして一株二株水仙を左手に持ち始めてフッと「そうだ近所の皆にも分けてあげよう」と思い着いて小さな土手の水仙を片端から切り取って、気が付いた時は、その辺りに咲いていた花の四半分を戴いて跡はポッカリ何もない一画が出来て仕舞い、やや呆然の私・・嬉しくて何度も「お婆ちゃん、こんなに戴いちゃって有難とうさんでした」・・その年のお花はスプレーカーネーション、1本物カーネーションを始めカスミソウ、百合、ストック等に、お婆ちゃんの小菊が丁寧に束ねられて、帰宅後狭い団地の小部屋イッパイに広げ分けて束ねて新聞紙に包み、妻がご近所にお分けして、沢山の花が飾られて楽しいお正月を迎える我が家の年末行事だったのです。

然し翌年も又同じ頃に房総の花集めに出掛けたのですが、お婆ちゃんのお家に寄って、その年も前の土手の野水仙を戴こうと楽しみにしていた私なのですが・・水仙の花が殆ど無いのです、翌年の為に根を残して、お花だけを戴いたのに、周辺にも水仙はパラパラと咲いているのですが、とても去年のような群落とは言えない有様だったのです・・心の中でお詫びしました「去年私が取り過ぎた為に、今年の水仙は見る影も無く寂しい土手の水仙になって仕舞った、本当に申し訳けありませんでした」と・・・

然しお婆ちゃんも、若いお母さんも、去年と変わらずニコニコして私を迎えてくれて、「今年は小菊の出来が悪くて、とてもお金を戴くのは気が引ける・・」とオマケに若奥さんの作った、菜花の束10個入りを1箱も戴いて、水仙の事も気にしてた私は申し訳けないと思って予定の金額に少しだけ多くお金を渡そうと差し出すと「こんなに、とてもとても戴けない、本当に小菊の出来が悪くて、来年はもっと良い小菊を・・・」

差し出したお金を何とか受け取って戴けたのが私にとって僅かな救い、以後自然に咲いた水仙を戴くのは止め様と「お花さんゴメンナサイ」とお婆ちゃん若奥さんに見送られてその年も房総を後にした私です・・

あれから何年経ったか、その後も何回か花集めは続きましたが土手の野水仙が元に戻った風景の記憶がないのです、今は10年以上続いた懐かしい仕事の合間の房総半島の花集めのドライブでしたが、その後、私達も年も取り楽しい筈の花集めも大変になり、或る年の暮、その年のお花を届けながら「今年で終わりにさせて戴きます、いえ私が好きでやって来たこと・・」とご近所に話して、次の年から、あの小菊のお婆ちゃんと菜花の奥さんとも連絡が途絶えましたが・・・そう確か佐久間さんと云うご一家で、ご主人は館山駅の駅長さんだったようです、お会いした事は有りませんでしたが本当に暖かい房総半島館山駅長さんのご一家でした。

今は「そんな事もしていたんだな~」と団地前の水仙の花をみて昔の若い頃を思い出している私の年の暮れなのです。