車で外出、年寄りおしっこが近い、若い頃は都内あちこちに有った公衆トイレを覚えていて、我慢して用を足していた。次はパチンコ屋さんのトイレ、最近はコンビニ、セブンイレブンのトイレ、これが最高に良い、清潔、最新式、個室風(小の方もゆっくりできる)買わないと悪いから何でも一つ二つ買ってレジに断ってトイレをお借りする、先方も商売、トイレを買う人は必ず何か買ってから借りるから、お互い持ちつ持たれつなんだろう。昔恩師とドライブに出掛けて夜帰り道、年寄り同師オシッコしたくてトイレに困り、何処かの都内のコンビニに飛び込んだら、店内が狭くて先生と二人店内の奥の方をを探したがトイレが無い!一回りして「先生、ここトイレが無いや・・」ガックリ又我慢してお互い漏れそうで大変困った、結局吉祥寺(先生の家近く)の何処かの暗がりで二人立小便した(軽犯罪?最近は言わないようだ)苦い思い出がある。未だ今のようのコンビニ乱立の時代では無かったから、先生は亡くなられたが、トイレが近くなったのはコンビニが近くなったのに比例するようで嬉しい限りである。これからは寒くなって冷える日が多く、コンビニトイレ様様の私である。真っ白な壁に「今日も綺麗にに使っていただいて有難う」ここではトイレを使うお客様は神様なのである。
ビックリは仮想お砂場の映像、子供たち映像の中で砂遊びをしている風景、映像の昆虫や動物が出てきて子供達が遊ぶ・・3分間100円だと!お砂遊びにお金が掛かる?私には信じがたい映像でした。確かに手は汚れないし今の子等は、若い親達は安心かも・・私達80代が常盤平団地に入居してた頃は1DK(6畳+ダイニングキッチン、トイレ浴室小さな玄関付き)5階建ての箱物が満室、親子4人が暮らして賑やか、当然この1地区が団地の中心でありパワーであった。今は静かである、子供が生まれて2DK、3Kに引っ越す、子供が親離れすると親は其の儘残る、今は老人が多い2DK、3Kは永い年月、諸々の家具に囲まれて一人暮らしだったり、私みたいに老夫婦がそれでも仲良く?住んでいる。今1DKにどんな人達が暮らしているのか解らないが子供が居ない事は事実である。当時建物と同時に、作られたお砂場、遊ぶ子供達の姿はなく、親が子供たちを見守ったであろうベンチは錆びて・・お役目ご苦労さんとしか言えないのか、最近商店街の真ん中の公園が整備されて綺麗になり休日にはイベントも行われて老人達が生き生きとしているのが見られる。がこの公園を皆の憩いの場所にするには何かが足りないようだ。
又NHKでサツマイモの話題、紅東だったと思う。昨日仕事で成田経由で一般道を小見川へ向けて走行、途中、空港の駅とかで公園になってるようで車から見ると人だかり、どうやら飛行機が離着陸する風景が見られるらしい、今度寄って見ることにして、小見川へ直行かと思ったら、道の駅くりもとの案内板、新しい一般道はこれだから止められない。ワクワクしながら道の駅に到着、近頃何時も行く道の駅が少し物足らなく感じていた私、初めての道の駅くりもとはその名も紅小町の郷、今が収穫の盛りか、入り口近くに集中的に集められたサツマイモの売り場は圧巻としか言いようもない。箱に無造作に入ったサツマイモ、一箱一箱並べられて箱の上が空いてるから品物が目で確かめられる、小袋に入ったそれぞれの種類のサツマイモ、手頃な奴を籠に入れて、今日は今迄で道の駅一番の重い買い物、ついでに小粒のサトイモも百円也、一旦レジを出てさっき目にした大学芋2百円也、サツマイモは持って帰って今日は食べられないが、妻と今日の出来事を語らいながらの楽しみに・・・私の悪い処、夢中になるとカメラに収めることを忘れる事、当日は買ったものを車に積むとウキウキして笹川の土前旅館から利根川沿いの道を走れば秋の夕暮れ、遠く高くジェット機が帰りの旅客を乗せて成田の空港へ次々に降りて行く・・・今日もお互い無事に家路に着けるよう願いつつ、道の駅くりもとのサツマイモの収穫に大満足の私でした。
この他に安納芋も有ったよな・・どれから食うか?と言っても料理は奥様がご担当・・でも妻も便秘気味なのでウキウキかな?
この他に安納芋も有ったよな・・どれから食うか?と言っても料理は奥様がご担当・・でも妻も便秘気味なのでウキウキかな?
ケーキみたいなサツマイモ、生協で妻が取り寄せたのだが味はサツマイモの味、サツマイモも日本全国で色々作られて、今時は流通もネットでと種類も多いらしい、サツマイモも改良されて更に旨いお芋が出てきそうだ。紅赤金時も当時の極端な食料事情で美味しかったのかも知れない、紅赤金時は紅東に代わって仕舞ったらしいのだが甘さは兎に角ホクホク感は無いのと違うか。現代は菓子でもケーキでも甘いものが多すぎて(甘さを控えめになんてのが流行りだが)サツマイモの自然の甘さが物足りないのかも、でもお店で売られてるサツマイモ、結構高いような気もするが、待て待て何処かの外国産が出回っても困る、そこそこの値段で口に入る内が良いのかも・・秋刀魚のように横取りされても困るが・・・
NHKで三芳町の紅赤サツマイモの収穫を報じていた。近頃耳慣れない名前だが私には懐かしいあの紅赤である。戦後間もなくの頃、母が近所のお友達と一週間に一度買出しに行ってはこの紅赤と言う上手いサツマイモを5貫目位リュックサックに背負って帰って蒸した紅赤を頂いたものだ。やがて母はその友人と仲が悪くなったようで私を連れて以後二人で西武線(当時は高田馬場が終点で有った、従って西武新宿線とは言わなかった)で川越の一つ手前の駅、南大塚で降りて歩いて入間川を渡って(当時は橋が無かった、歩いて川を渡ったような記憶が有る)又、歩いて一軒の農家にたどり着く。母は5貫目(1貫目は3.5㎏?)私が3貫目それぞれのリュックに背負って夕暮れ道を駅まで無言で歩いた気がする。母は後ろから私を何時も気遣って呉れてたようだが・・・
それまでは西武線東村山駅の近くの農家で菊芋と言う農家が配給用に作った収量の多いサツマイモが買出しで買える芋で有った、そんなサツマイモでも母は必死に食い盛りの男の子5人(兄が中学、私が2番目以下一つ置きに5人の男の子、母も大変だったろう)を食わせなければならなかった。父が仕事をしてたが機械職人で当時買出しに来た事は無かった。それが不思議では無かったのは今でも解らない、父とはそう言う者だと思っていたようだ。話が逸れたが東村山の農家で、若い嫁さんがいて、ある時買出しに行った時、母に「明日は金時を掘るよ・・」と教えてくれた。途端に母は「えっそうなの?明日又来て良い?」翌日私は学校が有るので母一人出かけて金時芋を何貫目か買ってきて、これはご馳走で有った、今でもその金時芋の事は忘れない。でもその農家ではそれからも菊芋しか分けてくれなかった。自家用に美味しい芋を、供出用には供出用の芋を、それがその農家では普通で有ったようだ。いつの間にか母は川越に近い南大塚駅から入間川の先のこんな遠い農家に(若しかしてそこが三芳村だったのかも)買出し先を見つけたらしい・・それが紅赤であり紅赤金時と言う美味しい美味しいサツマイモなのである。そうそうその時、時々その農家でカンロク(たいはくとは違う)と言う中が白いのに蒸すとホクホクしてして、冷たくなっても美味しいサツマイモが有ったが、あれは如何したのか、もう作られてはいないのか三芳町の農家の人「教えて下さいませんか?」
それまでは西武線東村山駅の近くの農家で菊芋と言う農家が配給用に作った収量の多いサツマイモが買出しで買える芋で有った、そんなサツマイモでも母は必死に食い盛りの男の子5人(兄が中学、私が2番目以下一つ置きに5人の男の子、母も大変だったろう)を食わせなければならなかった。父が仕事をしてたが機械職人で当時買出しに来た事は無かった。それが不思議では無かったのは今でも解らない、父とはそう言う者だと思っていたようだ。話が逸れたが東村山の農家で、若い嫁さんがいて、ある時買出しに行った時、母に「明日は金時を掘るよ・・」と教えてくれた。途端に母は「えっそうなの?明日又来て良い?」翌日私は学校が有るので母一人出かけて金時芋を何貫目か買ってきて、これはご馳走で有った、今でもその金時芋の事は忘れない。でもその農家ではそれからも菊芋しか分けてくれなかった。自家用に美味しい芋を、供出用には供出用の芋を、それがその農家では普通で有ったようだ。いつの間にか母は川越に近い南大塚駅から入間川の先のこんな遠い農家に(若しかしてそこが三芳村だったのかも)買出し先を見つけたらしい・・それが紅赤であり紅赤金時と言う美味しい美味しいサツマイモなのである。そうそうその時、時々その農家でカンロク(たいはくとは違う)と言う中が白いのに蒸すとホクホクしてして、冷たくなっても美味しいサツマイモが有ったが、あれは如何したのか、もう作られてはいないのか三芳町の農家の人「教えて下さいませんか?」