団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

常盤平団地の54年 Y君に又叱られる 

2019-11-29 08:06:01 | 夫婦

Y君に叱られた2回目は恩師S先生がなくなって数年後のクラス会の席です。

T君は趣味がカメラでクラス会の〆に撮る集合写真も彼の毎年の役目みたいなもので・・

尤も当人は「これが俺の道楽だから・・」が口癖で丹念に写真を撮り、皆に出来上がった写真も出席者全員に自費で送ってくれる有り難い存在では有りました。

今回Y君の葬儀でも斎場などでカメラを構える姿が有ったのは当然です。

私はと言うと何故か亡くなった恩師S先生とは、食い物で馬が合い、私の車で一緒に国内のあちらこちらに年に一二回程旅行を楽しんで・・

旅行中は先生と云っても、卒業してから後は教師と生徒の関係を解放された自分にとって、先生とは半ば一友達のような付き合い方で・・

先生もそんな付き合い方を受け入れてくれたようで、食いしん坊の部では私が先生役?みたいで・・

偶然先生と誕生日が同じ日で、二人共戌年ですから、ひと回り12才の差があったという事なのですが・・

旅行に行けば、私はデジカメになる前のバカチョンカメラで、先生はもっと古い変に平べったい箱カメラを大事そうに使っていましたが・・

先生が亡くなった後、祭壇に飾る写真も旅行中に私が先生を撮ったフイルムをT君に送って・・

T君は伸ばし、焼き付け、アルバム作りと、写真は道楽と自称するだけあって、それはセミプロ級の仕事ぶりだったのです。

その年のクラス会で、丁度末席だった二人はT君の写真と私が先生から戴いた葉書やら手紙を互いに見せ合って・・

それは初めヒソヒソ話から次第にエスカレートして、夢中に、なり過ぎて・・

「あ~こんな事も!」「いや~こいつは面白いや・・」

フッと気が付いたら、隣に座っていたY幹事がこちらの二人を睨みつけて・・

押し殺したような小声ですが「二人だけで何やっているんだ!」と叱正です。

Y先生?に叱られてチョッと萎れた二人ですが・・

顔を見合わせると、同時に下を向いて思わずペロリと舌をだして「又後でな・・」「ウンそうしよう・・」

この年のクラス会もT君の呼びかけで最後に集合写真を撮って無事お開きに・・

「又来年元気なら来てね~・・」

思えばY君はクラスのリーダーで、時には先輩、更に先生役迄された兄貴でありました。

そんなY君には「な~に直ぐ追いつくから、それまで、もチョッと娑婆の空気を吸わして下さいな・・」

 高校時代修学旅行で修善寺韮山反射炉の前でD組と先生方と・・

生き残りも少なくなりましたが虫眼鏡で見ると今でも一人一人の面影は残っています。 

S先生、O君、Y君、そして他の亡くなられた友に合掌・・D組クラス会一同より・・

 雨続きで4階の階段踊り場に雨水?が・・「市に云って来て貰えば・・」と・・

妻の一言で頂戴したお菓子を戴いています。ゴチソウサマ

今日から日立へ・・中華青龍へ・・暫らく勝手におやすみです・・ささのは拝。

 

 

 

 


常盤平団地の54年 Y君と香典の話

2019-11-28 16:55:52 | 夫婦

私には20年も前に香典の事でY君に怒られた苦い思い出が有ります。

当時は未だD組担任のS先生も元気な頃の話です。

ある時、クラスのO君が亡くなって葬式に行くことになったのですが・・

幹事のY君に「処で香典幾らにしたら良いのだろうか?」

Y君「自分で決めたらいいだろう・・」

私、「そうは云ってもクラスの皆が行くのにバラバラでは何だかおかしいし・・1万円でどうだろうか?・・」

当時は近所で2千円とか会社で5千円、1万円とか金額がマチマチでしたね。

Y君「飽くまで本人が決める事だから・・そう自分で決めたなら、それで良いんじゃないか・・俺も1万持って行くと決めてはいたけど・・」

電話ではO君の話からクラスの誰々の事やら話をしたけれど・・

そのあと今度はS先生から電話が有って・・

S先生とは二人で旅行をした直後の事で・・

色々O君の話をして「処でお前香典幾ら持って行くんだ?・・」先生も幾らにしたらと迷ってたらしい?

「私は1万円包む心算でいますが・・Y君も・・」私の軽い一言が後でY君の怒りを呼んだのです・・

S先生との電話をして間もなくY君から又私に電話が・・

「お前!先生に俺が香典1万円出すと話しただろう!先生から電話が有ったぞ・・」

O君のお葬式は無事に済んだのですが・・

翌年の新年クラス会で隣に座ったY君はムッツリとして一言も口を聞いてくれません。

やっと怒りの原因が先日の香典の事と解って・・

当時、左程私は悪い事を言った覚えは無かったのですが・・

新年早々のクラス会と言う事もあって・・

「ゴメン俺が悪かった謝る、アンタの気持ちが解らなかった俺が悪い、謝るからこれから仲直りしてくれ、頼むよ!」

両隣のクラスメートにも聞こえたかも知れませんが、真剣に仲直りを迫る私に・・

「ウン、これから仲良くしよう・・解ったからもういいよ・・」

やっと二人は仲直りの酒を酌み交わして・・

香典は金額では無く、自分の気持ちだと主張するY君の考えは正しい・・

と思う一方で、今でも冠婚葬祭の祝儀、特に不祝儀に幾ら包むか迷っている私がいます。

Yくんには、S先生が亡くなられた後も、T君と私揃って叱られた?事があります。

D組クラスの誇りY君を失って残念でなりません。

勿論、今回Y君の通夜に包んだ香典は私と女房以外誰にも相談しませんでした。

 今日は牛乳の代わりにトマトジュースが・・

「コレ美味しいね・・」「ウン生協の・・」今日は木曜日生協の日です。ゴチソウサマ

 

 

 


常盤平団地の54年 Y君のお通夜 2

2019-11-27 20:55:48 | 夫婦

 

来る日も来る日も雨ばかり、デジカメで綺麗な落ち葉模様が撮れる日が来るのでしょうか・・

 去年の落ち葉です。

亡くなったY君は同級生で有りながら、何故か私から見ると羨ましい程兄貴のような先輩のような感じでした。

感じ?、いえ良い幹事です。

祭壇にライオンズクラブからの花輪が一対、大学のグリークラブで歌を、水引の仕組みにも詳しく、小型ですがクルーザーを持ち(船は2年前のクラス会で身辺整理で売り払ったとか言っていましたが、若しかすると自分の健康状態を知っての事かも知れません)勿論ネットもブログも全て先取りの逸材?と言うより何と言ったら良いか・・とにかく特殊な頭脳の持ち主だったようで・・

そのY君が或る年の暮に貰ったクラス会の案内の文章が少し変だったので、私がその事をY君に当日指摘しました際の返答がさっぱり要領を得なかったのです。

「何かおかしいな?」と感じた私ですが、その後一二年して会費と引き換えに貰う、楽しかった短信便りも渡されなくなり・・

クラスの友達も気が付いた時は既に認知症が進んでいたようです。

あの聡明なY君が認知症に成るとは・・

信じられないが厳しい現実があったのです・・

そののち、突然、幹事が現幹事のN君に変わった事を知らされて・・

翌年の正月には弱った体で杖をついて奥様に付き添われながら皆の前に出て来てくれて・・

勿論全員大歓迎で迎えたのですが・・

ご本人は只ニコニコ笑顔で、然し最後まで無言のままで・・

会が終わって、又迎えに来られた奥様に抱えられるように帰ってゆく姿が今でも印象に残っています。

宴の途中もクラス仲間はY君の様子を心配していましたが、皆大凡の事情は察知したらしく、そんなY君には普通に接して、普通に飲み食いして大いに喋り合う例年通りのクラス会でした。

それがY君が出席した最後のクラス会だったのですが・・

在学中担任のS先生と私達全員が彼を頼りにSクラス会が続けられて来たのです。

10年も前にS先生が亡くなって以降も彼の幹事は続いていたのです。

昨日の告別式には現幹事のN君がクラスを代表して通夜に続いての出席です。

恐らく「長い事ご苦労さんでした。安心してくれ、後の幹事は俺に任せて・・」

ご冥福をお祈りいたします。

思い出しました、認知症になる20年も前に、Y君は癌の手術で胃の半分程を切除しています。

偶々宴会で席が隣り合わせに並んだ際に話の中で「術後は1日3度の食事を少しづつ6回に分けて食べているんだ」と聞かされました。

食いしん坊の私等にはとても耐えられ無い事です。

1万円(現在は8千円)の会費で出て来る料理屋のご馳走をY君は如何したのか?

勿論幹事ですからお店のご主人もY君の事は百も承知していたと考えられますが・・

最後まで、皆と同じ献立で特別に区別したとは聞いた事がありません。

そして「食事を何回にも分けて取らなければならない」と私が本人から聞いたのは、後にも先にもコレ1度しかなかったのです。

 今夜は小振りな豆腐1丁です。他にもいろいろ食べたのですが・・ゴチソウサマ

 

 

 

 

 

 

 

 


常盤平団地の54年 Y君のお通夜 1

2019-11-26 15:43:34 | 夫婦

中学高校D組クラス会の現幹事から電話が有ったのは丁度同じクラスのK君の喪中はがきを手にしていた時でした。

「Yが亡くなった・・Yの奥さんから・」「そうか・・」あとが続かない・・

夕べ都内の葬儀場で行われた通夜に参加する・・

団地自宅を出る時は雨も上がっていたのに、池袋からメトロ有楽町線で小竹向原駅で地上に出たら天気が変っていた・・

小雨の中を傘も差さないで歩きながら途中何度も通る人に道を尋ねながらも斎場に着いたのは定刻の5分前・・

通夜式には現幹事N君が声を掛けて、知った顔のクラス友達が8人余り・・

皆今年の正月に顔を合わせた者ばかり・・

然し、クラスの元幹事の通夜と有れば、沈んだ雰囲気の中でも、私を含めて余計年老いて見える同輩もいて・・

読経も進み・・ご遺族、参列者30人足らずの焼香も終わって・・僧侶が退場します。

「これにて故Yの通夜儀式を終了させて戴きます」で・・

遺族が残り、参列者達はコートを羽織ったり自分の傘を持ってソロソロと出口の方へ・・

出口の辺りでクラスの友らは静かに微笑んで小声で、お互いに何か短い言葉を交わして一人、又三人と夜の環状七号線交差点の方へ立ち去って行きました・・

私は斎場近くのコンビニでビニール傘を買い、降り続く雨の中を地下鉄入り口迄歩いています・・

都会の街路灯が行く手を照らし・・

500m程の雨に濡れた冷たい遊歩道にはぺったりと落ち葉が貼り付いて・・

暗闇の先に歩いて行く3人連れの黒い人影は・・

どうやら私と同じ会葬お礼の袋を手にしているのは、先程斎場で別れたクラス友達の様です・・

少し足早に直ぐ後ろ迄、追いついた私ですが・・

どうやら三人のうち二人は足が大分弱っているらしくて・・

一人杖をついているのはK君かも知れません。

何か穏やかに会話を交わし乍ら、ゆっくりと歩く3人の中に割って入るのを私は戸惑っていて・・

そのまま後ろについて私も一人、黒い歩道の落ち葉を見ながら、一層歩幅を狭めてゆっくりと歩き続けました・・

やがて明るい地下鉄の入り口迄辿り着いた私達・・

追い越してから振り向いて三人の友だちに声を掛けて・・

「私は向こうの入り口から乗りますから・・」

三人とは別れて200m先の同じ地下鉄駅の入り口迄歩いて行ったのです。

有楽町線で乗り換えたJR池袋駅では、ホームに止まっていた電車に乗ったのですが・・

「只今、新宿駅の線路に人が入って緊急信号が・・この電車は安全が確認され次第発車致しますのでそのままお待ちください・・」

暫らくして「安全が確認されましたので間もなく発車します・・」

間も無くドアが閉まり「この電車は約5分の遅れで当駅を発車致しました。大変申し訳ありません」

内心「こんな日に人身事故で無くて良かった・・」と・・

途中日暮里駅までの、どの駅だか覚えていないのですが・・

ドアが閉まって発車直後にアナウンスが「閉まるドアを手で開けて入らないで!・・」

怒りを押し殺したような声で・・

毎日通勤する人達の大変さを昔の自分と重ねて思い出した私です。

PM9時帰宅、昼間歩いて稼いだ歩数が今日だけは余分だったようです。

「お疲れさん、どうだった?・・何人位の人が来たの?・・」

「あ~疲れた・・お風呂に入るわ・・」

 お歳暮第一号、今晩は”えてがれい”です。

友達と故人Y君の話で、折角供養出来ると思って出掛けた私、その心算で気遣いもしてくれた奥様です。

冷たくても美味しいカレイと疲れを癒してくれるワインが気持ちの高ぶりと眠りを速めてくれたのです。ゴチソウサマ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


常盤平団地の54年 さらばスマート秋刀魚さん

2019-11-25 11:14:56 | 夫婦

毎年、夏の終りごろから秋刀魚を巡ってケチな食いしん坊は一喜一憂致します。

 秋刀魚高値で手が出ない、駄目なら鰯じゃどうだろう?と・・

半額目刺しの鰯は千葉産で、此れはこれで旨かったので取り敢えずケチと食いしん坊は満足でしたが・・

 何はともあれ初秋刀魚をと選んだ2匹のスマートさ・・

秋刀魚はメタボに限ると嘆いていたら・・

 こんな情報を戴だいて、再び喜び勇んでスーパーへ・・

ケチの極みは1匹98円の値札、直ちに4匹も買って帰って、我が妻に煙たがられる筈なのですが・・

「煙は出ないし、脂が燃えて火が燃え上がる事も無い・・ヤッパリ今年の秋刀魚は・・」

奥様は望みが高い?私は兎に角スマート秋刀魚でも秋刀魚の味を楽しんだのです。

それと私としてはトングでトロ箱一杯の秋刀魚を掻き分けて、一匹一匹大きそうな奴を選んで来た心算なのですが・・

どうしてスーパー売場の秋刀魚は私の見る限りキチンと寸法が均一に揃えて有るのでしょう?

蜜柑のばら売りの方が余程大きいのが選びやすいように思うのです。

 結論「今年しゃ秋刀魚を諦めた・・さてお次は何にする?・・」

その後秋刀魚の価格は地元のスーパーで通常サイズ1匹120円程で安定はしているようですが、不思議な事に今度は魚売り場で秋刀魚を見ても余り食べたいと思わなくなって仕舞いました・・

秋刀魚の出回り時期と私の食い気がズレて来ているのかも知れませんね・・

 だけど今度はこの記事「鯵さんよ遂にお前もか?・・ア~漁業日本の行く末は如何に?・・一巻の終わりか!」と嘆く食いしん坊に・・

 昨日、早々と今年のお歳暮第一号が贈られて参りました。

こん中に鯵の開きも入っていたようです~・・ゴッツアンです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岡山からお歳暮が届きました。

お歳暮の時期は12月と思っていましたが、贈る方にも事情が有るのでしょう。