団地夫婦の日々

常盤平団地夫婦の54年、団地内で気付いた事を時々に、妻の料理、私の買い物等

常盤平団地の54年 12 安全運転

2019-01-31 09:58:49 | 日記

どんより曇った空模様・・

散歩の途中、梢に止まった小さな鳥、団地内でも雀より小さい鳥を見掛ける事は有りますが、私のデジカメでは止まっている瞬間等はとても無理??・・いえ腕が悪いのです・・

 小鳥はコトリとも動かない??・・・ 「な~んだ葉っぱか・・耳も遠いが眼も霞む・・葉っぱが万札に化けてくれないかな~・・

 2種類のカレーパンを1個ずつ買って来て、例により半分こに・・

食べる前に写真を撮ろうと、アレコレとバックの袋を弄っていたら、ドッチがドッチか解らなくなりました・・どちらも大好きなカレーパンです。ゴチソウサマ

明日から月末日立市です。生まれて初めてオートマの中古軽自動車で行って参ります・・いろんなのが車内にくっ付いていて年寄りにはサッパリ・・慣れないパソコンみたいです・・

給料上がっても節約で軽自動車に乗り換えが増えているそうですが、何十年も給料関係無しの私、只小さい軽自動車に憧れていたのです。

然し、マニュアルウイングロードで安全運転15年「ブレーキとアクセルだけはシッカリと覚えている」のが何よりと・・今年初めての遠乗りドライブ行ってきま~す。

 JAFから新しい中古車に貼るステッカーが送られて来ました。高齢者運転標識の代わり位にはなるでしょうか・・JFA加入39年、後1年でゴールドステッカーだったのに、因みに最高50年も有るようですが、とてもとても・・でも満足です。

 

 

 

 


勝者の美、敗者の美

2019-01-28 15:49:44 | 日記

初場所が終わりました。

モンゴルから来て15年、34才の力士が休みなく1151回も土俵を務めた末に優勝したのは正に立派の一言です。

兎角物議を醸す土俵内外の話題も無く、この人の周りからは日本人力士としての雰囲気さえ感ぜられて、今回優勝して改めて玉鷲関がモンゴルの出身力士と再認識した私です。

関脇玉鷲関優勝おめでとう。

私として、今場所は連敗後の力士の対応が気になりました。

第一は横綱稀勢の里の二場所に渡る8連敗(不戦勝を含む)後の引退です。様々な負けっぷりは無惨でしたが、清々しい印象を残したと思いますし、、連敗中の一番一番に「今日こそ勝つのではないか」と希望を齎して呉れた、或る意味立派な7連敗だったと・・「怪我をしない力士を育てたい」是非とも頑張って下さい。

第二は小結の御嶽海です。2連敗して3日休んで再び土俵に上がり3連勝して8勝、勝ち越した後も千秋楽まで土俵を務めた・・最後の2連敗はもう怪我が深まって足に力が入らなかったのでしょうが・・白鵬を破って殊勲賞は当然です・・只御嶽海関は余り稽古が好きでは無いと聞いております・・もし怪我の原因が稽古不足に有るならこれからでも遅くありません・・フアンも大勢いるようです、どうかご精進を・・

栃ノ心の連敗休場は致し方無いとしても、高安豪栄道の両大関には前半戦での連敗で賜杯争いの興味を奪いました、がっかりですが何も言いますまい・・何しろ大関なのですから・・

第三は横綱白鵬です。この後色々書いたのですが今回は削除しました。

憤慨即高血圧に・・何も良い事有りませんから・・

TV放送の終りごろ「白鵬は稽古を始めたそうです、春巡業には参加云々・・」と・・「おかしいんじゃないか」と一人憤慨しています。

こちらも15年間、34万㎞走行の老ウイングロードが1月29日を最後に引退ならぬ廃車になります。廃車です、敗者では有りません。良くぞ走って呉れました、支えてくれた自動車工場の社長専務に感謝しています。

 

 

 


常盤平団地の54年 11 平日の休日

2019-01-27 17:41:28 | 夫婦

本日天気晴れ 風強し

  団地内で唯一目についた早咲きの?・・ 

散歩から帰ってパソコンを覗く・・休日なのに机に向かって仕事中の妻が立ち上がり話しかける・・

どうゆう訳か私は昼間コーヒーを飲むと、その晩寝付かれないのです。

「何か飲む?昨日どうだった?コーヒー、カフェインゼロだったのだけど寝れた?・・」

「ウン、寝れた、トイレに1回行ったきりで、6時半迄グッスリだった・・・でも夕べの晩飯に濁り酒飲んだのが効いたのかも?・・」

1月3日の高血圧騒ぎ以来私はアルコールは一口も口にしていない(週一のサイゼリアのワイン100mmだけは別ですが)のです。

「今夜は濁り酒夕べの倍飲んで見るか・・もっとグッスリ・・かも・・」冗談で有ります。

「お茶で良いよ・・」「ハイ・・」

一杯分飲み残しの有る濁り酒白川郷ですが、今晩は日曜日サイゼリアでワインを少々です。

今少し前に大相撲千秋楽が終わりました。ハラハラ依りハラ立つことが多い初場所でしたが・・

どうやら風も納まったようです・・サイゼリアへ行って来ます。 

 

 

 


常盤平団地の54年 10 私とラーメン4で終ります

2019-01-26 16:11:38 | 食いしん坊

戦後復興が目覚ましい東京高田馬場周辺ではサラリーマンや学生相手の飲食店が沢山出来ていました。

その中の1軒、高田馬場駅横町の有る中華そばの大成軒迄は家から500m位です。

私が話をしたので興味を持ったのか、或る日初めて母と中華そばを食べに大成軒へ行きました。

店内は混雑の時間を外したお蔭でカウンター中央に二人並んで座ることが出来ました。

お店の調理場はL字型のカウンターの前に遮るものは無く、年配のマスターが中央に構えて湯気が濛々と立ち込めるオープンな雰囲気です。

注文を聞いてマスターが中で動き始めた時です。

いきなり母が席から身を乗り出してマスターの手元を覗き込んだのです。中をジッと見つめていましたが、安心したように、又腰を座席に下ろしました。

私も改めて中を覗き込んだのですが、マスターの右側には私には見慣れた大釜の8分目程迄黒っぽい液体の中に、白い根っこの付いたネギと青いネギの葉っぱが浮かんでいるのが見えました。

きっと黒い大釜鍋の底には秘伝のラーメンスープのエキスが一杯溜っているのでしょう。

マスターが定番の器にお玉で大鍋から赤みを帯びたスープを注ぎ、二度三度湯切りした麺を器の真ん中に置いて、その上にチャーシュー、メンマを乗せれば出来上がりです。

私達二人は看板娘の運んで来た中華そばを美味しく頂いたのは間違い有りませんが・・私は何時も食べているから・・横で黙々と食べている母の方が気になって、確か「どう?・・」「ウン美味しいね・・」言ってくれたのが嬉しくてニッコリとして・・又麺を啜りスープを飲みつくして・・そのあとの事は覚えていないのです。勿論勘定は私が払ったのだと思いますが・・親子が対等で食べた最初で最後の中華そばだったのかも知れません。

若しかして母が身を乗り出してマスターの手元を覗いたのは「中華そばってどうやって作るのだろうか・・」と考えたからだと思います。と言うのは・・

小学校のPTAで何人かの女友達と地元の蕎麦屋さんに行って親子丼の作り方を教わり、私達兄弟に食べさせてくれたあの時は、親子丼を何度か繰り返して作り直して、遂には私の友達に迄、親子丼を作ってご馳走した際には「おばさんコレ旨いよ、お店でも充分お金戴けますよ」と言われて「Kさんはお世辞がうまいからね~・・」と恥ずかしそうでしたが、嬉しそうでもあった母です。近所で独り暮らし下宿していたK君は我が家の賑やかな家族の日常生活に、きっと自分の故郷新潟柏崎の事を思い出していたのでしょう。

 明治生まれの母が東京の下町育ちという事は解っているのですが詳しい生い立ちを語る事は生涯有りませんでした。戦後の貧困生活を乗り越えて両親と5人兄弟、父は65才で母に先立ち、10才年下の母は87才で無くなりましたが、父無きあと30年余りの年月、例え自分は食べなくとも子供達兄弟5人のすきっ腹を満たして育ててくれた母、私達の両親に感謝と尊敬の言葉を贈る兄弟とお互いの連れ合いは、現在年は取っても現役人生で平成最後の1年を平和の内に過ごしているのです。

それにしても私の食いしん坊も若しかすると母親譲りなのかも知れません。

この十年、私達夫婦にとっては行き付けのラーメン屋さんが再開の芽もなく、次々と閉店に追い込まれて往きました。時代とは言え寂しい限りです。

いつか近所でラーメン屋さんが新規開店したら、若しかして新装開店したなら、ラーメン大盛りを注文して、、、ラーメンスープを全~んぶ飲み干して・・「ゴチソウサマ~」って言いたい私達です。

 血液サラサラ、サラダ玉葱のサラダです。ホントに甘いです、かつお節掛けたら最高に美味しいです。ゴチソウサマ

 

 

 


常盤平団地の54年 9 私とラーメン3

2019-01-24 20:11:38 | 食いしん坊

大久保駅の近くの町工場で朝8時から夕方5時まで工員として働き乍ら早稲田の第二商学部(夜間部ですが現在は無いようです)へ通う毎日、学費を払った残りで手に入れたカメラがマミヤ6です。

リコーの二眼レフと共に当時6×6判のフィルムは引き延ばしには画面が大きくて35㎜フィルムより鮮明に映るので人気のカメラでした。子供達が悪戯して変なシールが貼られていますが・・

 高田馬場駅前を左折してガード沿いに有った中華そばの店、確か大成軒と言うラーメン店です(今でも有るのかは分かりませんが)自分で稼いだお金でカメラを手に入れて、この店の常連になり看板娘のお姉さん(当時は私より年上だったかも)に「日本髪を撮らして」と営業中にお店の外へ連れ出してマミヤ6で撮った一枚の写真・・古いアルバムの中に残っていました。

チャーシュー一枚が乗った中華そばが35円、確か週刊誌が30円の頃です。

正月飾りの奥で、中華そばの暖簾に書かれた4文字は「ばそ華中」と今とは逆になっています。

勿論大成軒の中華そばが旨くて(当時も今も何を食べても美味しい旨いの私ですから当てにはなりませんが)一人で良く通ったものです。どうゆう訳かチャーシュー友食いのS君と行った記憶は無いのですが・・

少し大人になった頃、母を連れてこの大成軒へ行った話は次回に・・

お昼はカップ焼きそばでした。刻み野菜が隅にこびり付いてる一人前の焼きそばは焼いて無いのに何故焼きそばか?でも焼きそばと言われれば焼きそばの味・・舌が可笑しいのかサッパリ解りませんが焼きそばは大好きです・・ゴチソウサマ