某月某日
相馬泰さんの写真展へ行った。
この写真展の情報が朝日新聞のアート欄に出ていたのだが、気になる文言があり、それを本人に確認しようと思った。
写真展の紹介には「見過ごされがちな何げない街角の風景」とあった。
その「何げない」が理解出来ないのだ。
一般的に街角の景色を撮影し、そこに具体的なものが写っていない場合に、「何げない」と表現する事が多いのだが、多くが何げないわけではない。
中にはホントに何げないのもあるが(笑)、少なくとも相馬さんの写真は何げないわけがない。
それはsatoboにしては珍しく作者の視点を見つける事ができる写真であり、相馬さんの写真を見ていて、「あるあるこの場面」とか、「この光と間合いに感じたのだな」などと同一の視線で見る事が出来て楽しいのだ。
その相馬さんの写真を「何げない」と表したわけを知りたくて突入したのである。
ご本人とディレクターの方とにお話を伺ったのだが、紹介の文言は新聞社側で作成したものであった。
相馬さんとも話したのだが、「さりげないが、何げなくはない」という点で一致。
satoboもヘタッピながらも写真を撮っているので撮影者側からの視点を多少は持っていると思うのだが、撮らないで見る側の人の視点では、その辺のところはどのように感じているのだろうか。
何げないと感じて見ているのだろうか?
ありふれたそのへんの風景ととらえているのだろうか?
その辺りが知りたい。
このブログの画像は「さりげなく、何げなく」である(笑)
相馬泰さんの写真展へ行った。
この写真展の情報が朝日新聞のアート欄に出ていたのだが、気になる文言があり、それを本人に確認しようと思った。
写真展の紹介には「見過ごされがちな何げない街角の風景」とあった。
その「何げない」が理解出来ないのだ。
一般的に街角の景色を撮影し、そこに具体的なものが写っていない場合に、「何げない」と表現する事が多いのだが、多くが何げないわけではない。
中にはホントに何げないのもあるが(笑)、少なくとも相馬さんの写真は何げないわけがない。
それはsatoboにしては珍しく作者の視点を見つける事ができる写真であり、相馬さんの写真を見ていて、「あるあるこの場面」とか、「この光と間合いに感じたのだな」などと同一の視線で見る事が出来て楽しいのだ。
その相馬さんの写真を「何げない」と表したわけを知りたくて突入したのである。
ご本人とディレクターの方とにお話を伺ったのだが、紹介の文言は新聞社側で作成したものであった。
相馬さんとも話したのだが、「さりげないが、何げなくはない」という点で一致。
satoboもヘタッピながらも写真を撮っているので撮影者側からの視点を多少は持っていると思うのだが、撮らないで見る側の人の視点では、その辺のところはどのように感じているのだろうか。
何げないと感じて見ているのだろうか?
ありふれたそのへんの風景ととらえているのだろうか?
その辺りが知りたい。
このブログの画像は「さりげなく、何げなく」である(笑)