Nonsection Radical

撮影と本の空間

違う人と付き合う

2009年07月05日 | Weblog
某月某日
同じ事をしている人、たとえば趣味だとか、と話すのは共通の話題もあり話しやすいのだが、はたしてそれでいいのかと最近思うようになった。
といってもsatoboは友だちも少ないし、愛人もいない。
だから交友関係は狭いのでいろいろな人と話す機会には恵まれないのだが、自分と違う事をし、自分と違う考えを持つ人と話したいという気持ちは深い。
昔からいろいろな事への興味はあるのだが、それは自分がしたいからという事でなく、単に知的興味として知らない世界を知りたいというレベルのものである。
知らない事を知ると、単純に「すごいなぁ」と感心するだけで、相手にとっては刺激にもならないのだろうが、こちらは刺激を受ける。
それがどのように作用していくかなどとは考えないのだが、世の中にはいろいろな人がいろいろな事を考え、いろいろな事をしているというだけで了見が広がる気がするのだ。

なんてことをなぜ考えるようになったのかと自問すると、先日ある集会で(同好者が集まるような)堂々巡りになるような事を話す人がいた事からだろうと思う。
一概には言えないが、年寄りの方が昔の事を知っている。
昔何があったか、どうなったかなど、リアルタイムで体験した事があるわけだ。
もちろんそれが一方的な体験で、事実の断片を体験しただけなのだろうが、それでも時代の流れというは感じていたはずだ。
すでに解決のついている事、解決がつかない事が判明した事などは若い人は知らないかもしれないが、年寄りは知っていたりする事もある。
そういう話題を若い人が持ち出すと「今更ジロー」と思ってしまうのはイケナイルージュマジックなのだろうか。
内輪の話は外に広がっていないので、内部だけで解決出来ない事をいつまでも持ち続けるのだ。
そういう「論」というのはツマンナイんだよねsatoboは。
もっと垣根を越えて自由な発想をした方が面白いし、他の人も面白いと感じると思うんだよね。

そのためにも他の人ともっと付き合わないといけないなぁと思うのだ。
さてこの年になって、どうやってそういう機会を持とうかと思案橋なのだが、まずオヤジギャグから止めた方が良いのではと感じる。(笑)
そして外に飛び出していくしかないと思う。
だってジジイに外から寄ってくる人などいないからね。
新しい出会いを求めて新しいアプローチ方法を探る事になる。
コメント (5)
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