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「外宮」を出てタクシーで「内宮」へ
途中何博物館か忘れましたが、タクシーの運ちゃんのオススメで紙人形で「お伊勢参り」の当時の様子を再現したところに寄ってみました。
タクシーの運ちゃんがまた詳しくていろいろと説明してくれて、またメーターも止めてくれてました。
1階は真珠売り場です。卸だと結構安いですね!
ここを後にして「内宮」到着。
左側は古い町並みの商店が軒を連ねています。
「宇治橋」の前の大鳥居でまず一礼。
宇治橋がまたなんともいえない橋です。
五十鈴川もまた清らかです。
日常から神聖な場所へ渡る掛け橋です。
皇大神宮(こうたいじんぐう)は通称「内宮」とも申し上げ、神路山・島路山を源とする五十鈴川の川上に鎮座しています。ご祭神は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)。このご神名はお祭りに際して神前で畏まって称え申し上げる最高のご名称で常には皇大御神や天照大御神と申し上げています。
わが国最初の正史(せいし)『日本書紀』(にほんしょき)の伝えによりますと、皇大御神は光華明彩(ひかりうるわ)しく、六合(あめつち)の内(うち)に照り徹(とお)らせり、と称えられ、皇孫(すめみま)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を高天原からこの国に降されますときにあたって、尊の御位と地上の永遠を祝福して
豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)のさかえまさんこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし。
と、お言葉を与えられました。また、天と地の続く限り、瑞穂の国が栄え行くために、皇大御神は高天原でご自身がおつくりになっている田の「稲の種」を手渡されました。米をつくるくらしが、この国の繁栄と平和をもたらすとお教えになられたのです。
国の内に隈なく光が照り徹ると称えられる皇大御神の御神体は、八咫鏡(やたのかがみ)で、八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)を加えて三種の神器(じんぎ)と呼ばれます。
この御鏡を代々宮中で天皇ご自身がお祭りされていましたが、崇神(すじん)天皇の御代に皇居の外、大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に神籬(ひもろぎ)を立ててお祭りすることになりました。神籬とは榊のような常緑樹で囲われた神聖なお祭りの場を意味します。そこでは、天皇にお代わりして、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が皇大御神をお祭りされていましたが、垂仁(すいにん)天皇の御代に至って、倭姫命(やまとひめのみこと)が新たに皇大御神をお祭り申し上げるにふさわしい地を求められることになりました。
倭姫命は大和の国を始め伊賀、近江、美濃の諸国を巡られましたのち、伊勢の国の度会(わたらい)の地、宇治の五十鈴川の川上に到られ、皇大御神のお教えのままに「祠(やしろ)」をたててお祭り申し上げることになりました。祠は社とも書き、家(や)や屋(や)の代(しろ)という意味で、大きなお祭りに際してそのつど新たにたてられる建物のことです。
神籬や祠のように臨時にたてられる建物が、神の宮(神の宮殿)、つまり神宮と呼ばれるほどに大きな規模になりましたのは、天武(てんむ)天皇から持統(じとう)天皇の御代にかけてのことです。20年に1度の大祭、神宮式年遷宮もこの時代に始まりました。
内宮の宮域は、5,500ヘクタールの広さで、大別して神域と宮域林とに区分され、さらに宮域林を第一宮域林、第ニ宮域林に分けています。神域とは内宮のご社殿を中心とした付近およそ93ヘクタールの地域で、ご鎮座以来まったく斧を入れることのなかった禁伐林です。参道に立ち並ぶ鉾杉(ほこすぎ)は神域の森厳さを保ち、またモミ、マツ、ヒノキ、カシ、シイ、クス、サカキ、など繁り、暖帯北部の代表的な林相をなしています。第一宮域林は、神域の周辺並びに宇治橋付近、それに市内から遠望される地帯1,000ヘクタール余の地域で、大部分が天然林で、天然スギを主として、シイ、カシ、サカキ等の林をなし、神宮の風致上、大切な区域で、風致の改良、樹木の育生に必要な場合以外は、伐採(ばっさい)しないことになっています。第ニ宮域林は、第一宮域林以外の4.400ヘクタール余の区域で、五十鈴川水源の保持並びに宮域の風致の増進を目的とするとともに、ご造営用材の備林としてのヒノキの植樹が計画的に実施されています。 神宮では、斯界の権威者に委嘱して、神宮境内地保護委員会と神宮自然保護委員会が組織され、神宮の太古のままの大自然をそのままに守っていこうと努力しているのです。
※HPより抜粋。
「内宮」はまたまた神々しいです。
神の宿る場所。不思議なパワーを感じます。
いくつか鳥居を抜けて「正宮」へ
ここでも一瞬立ち止まってしまいました。
また後光が差してます。
石段をゆっくり登って鳥居を抜けて「正宮」正面へ。
言葉では言い表せない凄さがあります。
不思議なパワーが発信されてます。
このパワーの写真を取りたかったのですが撮影禁止なんです。
そして
●荒祭宮
●月讀宮
●瀧原宮
●伊雑宮
●風日祈宮
●倭姫宮
などの「別宮」へ参りました。
途中何博物館か忘れましたが、タクシーの運ちゃんのオススメで紙人形で「お伊勢参り」の当時の様子を再現したところに寄ってみました。
タクシーの運ちゃんがまた詳しくていろいろと説明してくれて、またメーターも止めてくれてました。
1階は真珠売り場です。卸だと結構安いですね!
ここを後にして「内宮」到着。
左側は古い町並みの商店が軒を連ねています。
「宇治橋」の前の大鳥居でまず一礼。
宇治橋がまたなんともいえない橋です。
五十鈴川もまた清らかです。
日常から神聖な場所へ渡る掛け橋です。
皇大神宮(こうたいじんぐう)は通称「内宮」とも申し上げ、神路山・島路山を源とする五十鈴川の川上に鎮座しています。ご祭神は、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)。このご神名はお祭りに際して神前で畏まって称え申し上げる最高のご名称で常には皇大御神や天照大御神と申し上げています。
わが国最初の正史(せいし)『日本書紀』(にほんしょき)の伝えによりますと、皇大御神は光華明彩(ひかりうるわ)しく、六合(あめつち)の内(うち)に照り徹(とお)らせり、と称えられ、皇孫(すめみま)・天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を高天原からこの国に降されますときにあたって、尊の御位と地上の永遠を祝福して
豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫、就(ゆ)きて治(しら)せ。行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)のさかえまさんこと、まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし。
と、お言葉を与えられました。また、天と地の続く限り、瑞穂の国が栄え行くために、皇大御神は高天原でご自身がおつくりになっている田の「稲の種」を手渡されました。米をつくるくらしが、この国の繁栄と平和をもたらすとお教えになられたのです。
国の内に隈なく光が照り徹ると称えられる皇大御神の御神体は、八咫鏡(やたのかがみ)で、八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)と草薙剣(くさなぎのつるぎ)を加えて三種の神器(じんぎ)と呼ばれます。
この御鏡を代々宮中で天皇ご自身がお祭りされていましたが、崇神(すじん)天皇の御代に皇居の外、大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に神籬(ひもろぎ)を立ててお祭りすることになりました。神籬とは榊のような常緑樹で囲われた神聖なお祭りの場を意味します。そこでは、天皇にお代わりして、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が皇大御神をお祭りされていましたが、垂仁(すいにん)天皇の御代に至って、倭姫命(やまとひめのみこと)が新たに皇大御神をお祭り申し上げるにふさわしい地を求められることになりました。
倭姫命は大和の国を始め伊賀、近江、美濃の諸国を巡られましたのち、伊勢の国の度会(わたらい)の地、宇治の五十鈴川の川上に到られ、皇大御神のお教えのままに「祠(やしろ)」をたててお祭り申し上げることになりました。祠は社とも書き、家(や)や屋(や)の代(しろ)という意味で、大きなお祭りに際してそのつど新たにたてられる建物のことです。
神籬や祠のように臨時にたてられる建物が、神の宮(神の宮殿)、つまり神宮と呼ばれるほどに大きな規模になりましたのは、天武(てんむ)天皇から持統(じとう)天皇の御代にかけてのことです。20年に1度の大祭、神宮式年遷宮もこの時代に始まりました。
内宮の宮域は、5,500ヘクタールの広さで、大別して神域と宮域林とに区分され、さらに宮域林を第一宮域林、第ニ宮域林に分けています。神域とは内宮のご社殿を中心とした付近およそ93ヘクタールの地域で、ご鎮座以来まったく斧を入れることのなかった禁伐林です。参道に立ち並ぶ鉾杉(ほこすぎ)は神域の森厳さを保ち、またモミ、マツ、ヒノキ、カシ、シイ、クス、サカキ、など繁り、暖帯北部の代表的な林相をなしています。第一宮域林は、神域の周辺並びに宇治橋付近、それに市内から遠望される地帯1,000ヘクタール余の地域で、大部分が天然林で、天然スギを主として、シイ、カシ、サカキ等の林をなし、神宮の風致上、大切な区域で、風致の改良、樹木の育生に必要な場合以外は、伐採(ばっさい)しないことになっています。第ニ宮域林は、第一宮域林以外の4.400ヘクタール余の区域で、五十鈴川水源の保持並びに宮域の風致の増進を目的とするとともに、ご造営用材の備林としてのヒノキの植樹が計画的に実施されています。 神宮では、斯界の権威者に委嘱して、神宮境内地保護委員会と神宮自然保護委員会が組織され、神宮の太古のままの大自然をそのままに守っていこうと努力しているのです。
※HPより抜粋。
「内宮」はまたまた神々しいです。
神の宿る場所。不思議なパワーを感じます。
いくつか鳥居を抜けて「正宮」へ
ここでも一瞬立ち止まってしまいました。
また後光が差してます。
石段をゆっくり登って鳥居を抜けて「正宮」正面へ。
言葉では言い表せない凄さがあります。
不思議なパワーが発信されてます。
このパワーの写真を取りたかったのですが撮影禁止なんです。
そして
●荒祭宮
●月讀宮
●瀧原宮
●伊雑宮
●風日祈宮
●倭姫宮
などの「別宮」へ参りました。
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