お袋の妹のご主人太さんが2月3日に脳梗塞で88歳で亡くなった。
葬儀のため6日早朝にかみさんと紀州へ向かう。
葬儀の挨拶で太さんはお父さんが米国で生まれ、一時帰国して
米国に向かおうとしてお父さんが渡米直前に亡くなったので、
こちらに残り、お袋の妹と一緒になったようだ。釣りが好きで
船を持っていた。昔、帰省すると話があると言って、「おまえの
親父は60過ぎていて、いつ死んでもおかしくない。早く結婚しろ」と
時々説教された。たぶん30過ぎた俺を、親父かお袋にお願いされて
説教したんだと思うが、振り返ればありがたかったし、いい思い出だ。
帰る途中、新宮市内で白装束の人をみた。2月6日は神倉山のお灯祭りだった。
来年は是非見てみたい。
斎場での葬式。その後、お墓で納骨。
納骨後、檀家の延命寺で供養。親父が亡くなった時には延命寺で葬儀だった。
住職が息子に変わっていた。先代の住職のお経が好きだった。
南海地震の津波に耐えて?千年続く寺。親父が亡くなった5月頃には
藤の花がいっぱい咲く。
葬儀のため6日早朝にかみさんと紀州へ向かう。
葬儀の挨拶で太さんはお父さんが米国で生まれ、一時帰国して
米国に向かおうとしてお父さんが渡米直前に亡くなったので、
こちらに残り、お袋の妹と一緒になったようだ。釣りが好きで
船を持っていた。昔、帰省すると話があると言って、「おまえの
親父は60過ぎていて、いつ死んでもおかしくない。早く結婚しろ」と
時々説教された。たぶん30過ぎた俺を、親父かお袋にお願いされて
説教したんだと思うが、振り返ればありがたかったし、いい思い出だ。
帰る途中、新宮市内で白装束の人をみた。2月6日は神倉山のお灯祭りだった。
来年は是非見てみたい。
斎場での葬式。その後、お墓で納骨。
納骨後、檀家の延命寺で供養。親父が亡くなった時には延命寺で葬儀だった。
住職が息子に変わっていた。先代の住職のお経が好きだった。
南海地震の津波に耐えて?千年続く寺。親父が亡くなった5月頃には
藤の花がいっぱい咲く。