
私は幼いころ、このトンボを「クルマトンボ」と呼んでいました。夏の終わり頃空いっぱいに群れて飛んでいました。親指と人差し指ではさみを作った手を高く空に上げているとトンボがすぐに人差し指に止まって休むのでおもしろいように捕れました。
木の枝などに止まっているトンボを見つけると手を大きな輪から小さな輪になるようにくるくる回しながらトンボに指を近づけるとトンボは目を回して動けなくなるのでおもしろいように捕れました。子供って残酷の面もあるんですね、捕まえたトンボの羽を短く切って池に投げ込むと飛べない羽を激しく動かして水の輪をつくります、すると大きな鯉がやってきて大きな口でぱくりと食べてしまいます。
群れの中には真っ赤なトンボもいました。
小学校に入ると童謡の「夕焼け小焼けの赤とんぼ・・」を知りました。そして「クルマトンボ」は「赤とんぼ」になりました。子供の私は「追われて見たのはいつの日か」と思って歌っていました。夕焼けの道を歩んでいると赤とんぼの群れが追ってくるようにたくさん飛んくると思っていたのです。
そうじゃなくって、子守の女の子に背負われて夕焼け空いっぱいの赤とんぼを見ていたんだと知ったのはお恥ずかしいことについ最近のことなんです。子守子というと貧しい家の幼い女の子が口減らしために他人の家の子守奉公に出された悲しみを歌った「おどまぼんぎりぼんぎり・・」の五木の子守歌が思い浮かびます。でもこの歌詞では自分の幼かった頃可愛がって子守をしてくれた女の子へ懐かしみの心が歌われていますね。
私が幼かった昭和初期にはもう子守奉公などという風習ありませんでした。小学校の6年が義務教育になっていましたから。でも当時の農家では両親が仕事に忙しいので生まれたばかりの幼い子供は兄や姉に背負わせて子守をさせる風習が残っていました。
私は一番先に生まれましたから背負われて子守された思い出は全くありません。私の家は農家ではありませんから兄に弟たちを背負わせて子守をさせる必要はまったくないはずなのに私の母は厳しい人で子供のしつけのためと思ったんでしょうね、小学校3~4年の私が学校から帰るとすぐに弟を背負わせて子守をさせました。冬スキーを履いて身軽に楽しむ友達を見て、背中に弟など背負わないで身軽にスキーを乗って見たいといつも思って母を恨んでいました。五木の子守歌の悲しい心がわたしにも少しは理解出来るんです。
でも、あの頃の弟は丸顔のぽっちゃりした可愛い子どもでした。いまは80歳間近の爺いですけど弟は私に会うと「兄貴に背負われてスキーに乗ったのは楽しかったな」などというんです。 白髪頭の爺いになった弟ですけど、もうぽっちゃりとした丸顔の弟ではありませんけど、いまも弟の名前を呼び捨てにして可愛いと思うから不思議です。
羽化したばっかりの綺麗なトンボにいろんなことが思い浮かびました。あっ、そうそうこのトンボの本当の名前は「ミヤマアカネ」というんだそうです。会津マッチャンさんに教えてもらいました。