この方私の存じあげてる、いえ尊敬しているすごい方なんです。
奥様と力を合わせて数10ヘクタールの広い農地の委託を受けて営農なさっていらっしゃる方なんです。
コンバインの作業風景を撮ろうと私が手を振ると笑顔でOKしてくださいました。大型のコンバインはすごい速さで蕎麦を刈りとり脱穀していきます。稲を刈るコンバインではなくてこのような蕎麦や麦などを刈りとるコンバインは初めて見ました。
大型の稲を刈るコンバイン、このような蕎麦や麦を刈るコンバイン、大型で早いスピードで苗を植える田植機、大型のトラクターとそれにつけるいろんなアタッチメントの機械・・などなど、今の農村ではこのような大型の耕作機械を使わなければもうやっていけなくなったんですね。
いま農村は大きな変革の時を迎えています。ある農家のおばあさんは嘆いていました。
「おらえの百姓どもははぁみんなサラリーマンになっちまっただ」
(農業をやっていたうちの家族はみんな農業をやめて町に働きに出ていくようになってしまったんです)
淋しそうにそう言っていました。
昔のように、2~3ヘクタールの耕地を家族全員で力を合わせて耕す稲作農業はもう成り立たなくなっていて、多くの農家では自分の家の農地の耕作を誰かに委託して町に働きに出ているのが今の現状のように見えるんです。
そういう農村の厳しい現状の中で、こういう積極的に大方の耕作機械を使い多角的な農業経営をなさる方が生き残り新しい農業を新しい農村を作っていかれるんでしょうね。
70年昔、私の暮らしていた山あいの小さな農村では、ほとんどの家では5~6反の耕地を耕して暮らしていました。1町歩(1ヘクタール・10反)の耕地を持っている農家は山あいの村では大農の豊かな家と見られていました。
そのような貧しい農村でしたから蕎麦などはこのような肥沃の耕地になどには決して作られませんでした。火野(かの)といわれれる傾斜の比較的緩やかな山の斜面に作られた焼き畑で栽培されました。柴を刈りたおしておき夏に火をつけて焼き払い蕎麦とか粟を蒔き3~4年耕作して、また元の原野に返すのです。
秋稔った蕎麦を刈りとり背負って山を下り家に持ち帰ってさで掛けで乾燥して筵を敷きその上で蕎麦うち棒でたたいて脱穀するのです。私の家などではたぶん一斗(18リットル)くらいの収穫だったと思います。
それを冬になると石臼でごろごろ挽いて粉にするのです。年越しとかなにかのお祝いをする時などに一家の主人がその粉を使ってそば切りを作るのです。そば切りは太くて色が黒く舌にざらつきました。でも蕎麦の薫りが強いのです。だから子どもの頃は嫌いで食べられませんでした。でも大人になるとそのそば切りが薫りが楽しめる最高のご馳走だと分かるようになったのです。
15年ほど前までは古里の知人から毎年石臼で挽いた粉で打った太い田舎蕎麦を送って貰って楽しんでおりました。事情があってその田舎蕎麦が届かなくなって数年後、美味しい生そばを食べさせる蕎麦道場と言われる生そば屋さんが開業なさったと聞いて私もいってみました。私の期待は見事に裏切られました。私は心の中でこれは蕎麦ではないと思いました。
その蕎麦は綺麗に機械で精白され製粉された上品な粉を見事な技術で打たれたほんとに細い細い綺麗な生そばでした。上品な薫りそして舌になめらかな味わい・・蕎麦通と言われる方にはすばらしく美味しい生そばでした。
でもそれは私の蕎麦ではありませんでした。私の蕎麦は石臼で挽いた黒い粉で打たれた太くて舌にざらつき歯ごたえのある蕎麦の薫りの強い田舎蕎麦なんです。貧しい農村で生まれ育った私には上品な薫り上品な味と舌触りはなじまないんですね。
あ、おかしなことを恥も外聞もないことを思わず書いてしまいました。
本当の蕎麦の味の分かる方には会津の蕎麦はおいしいと遠く県外にまで聞こえていると聞いています。この前私の町の水車屋(くるまや)の生そばなどは有名で遠く県外からもたくさんの方お出でになっているとテレビで放映された。爺ちゃんいつか行って見ようとばばちゃん(家内)が言っていました。もう食べることなど出来ない田舎蕎麦など懐かしんでいないで上品な通の味の生そばにもなじんで見なくては近頃思ってはいるんです。どうでしょうかね?