とばばちゃんが言うんで山茶花ラーメン食べに行ってきました。
二人で風を引いてようやっと治ってのささやかな全快祝いみたいなものなんです。
私は市販の「葛根湯」を飲んで、ばばちゃんはかかりつけの町の医院の先生の診察を受けて薬をもらって治しました。
ばばちゃんは「秋山先生のところに行って診察を受けていたら、「89歳にもなったばばちゃんが付き添いの人の世話にもならずに一人で医院にくるなんてすごい」とみんなに言われたというんです。
私は「ふ~ん」と思いました。だってばばちゃんは足の関節の痛みの治療で整形外科の先生の診察治療を受ける時だって、眼科の先生の治療を受けるときだって私や息子たちの世話にならずにタクシーで一人で行って見てもらっているし。
私だって会津若松の病院で3ヶ月ごとに受ける定期診察治療だって息子たちの嫁がつきそうというのをうるさいと断っている。それがあたりまえのことだと思っている二人なんだからなんです。
そういえばこの前のオリンピックが終わったとき、この次のオリンピックは見ることができるかどうかはわからないよねと話しあっていた二人なのに今はNHKの大河ドラマ「韋駄天」を見ながらごく当たり前のように次の東京オリンピックを楽しみにしている二人なんです。
来年は私は93歳、ばばちゃんは90歳です。それなのにばばちゃんのデーサービスも二人の病院通いも二人とも息子たちや介護の方たちの世話になろうなどとは思っていないんです。これは私たちにとってはごく当たり前のことのように思えるんですけど。周りの人から見ると珍しく不思議のことのように思えるでしょうね。
私はラーメンを食べてるばばちゃんを見て「元気でいてくれてありがとう」と思っているんですけど、ばばちゃんも私を見ておなじように思っているんだと思っているんです。
○○○○世に憚る・・て聞いたことがあるような気がします。はて○○○○ってなんのことだったんでしょうね。思い出せません。ボケました。