教育の森の遊歩道は私の足で40分ほどの山の遊歩道です。
昨年の今頃は美しいヤマユリの花があちこちで咲いていて私の心を和ませてくれました。
今年もそのヤマユリの花を楽しもうと訪れてみました。なんということでしょう、ヤマユリの花はたった1輪を柴藪の中に見つけることが出来ただけで昨年あった数輪のヤマユリはすっかり消えてなくなっていました。
5年ほど昔私は旧スキー場跡の林の中で数輪のシュンランの花を見つけて写真に撮りブログに投稿しました。
次の年の春そのシュンランの花を見るのを楽しみにその場所を訪れてみました。なんということでしょうシュンランはきれいに消えていました。
一昨年尾根道できれいなリンドウの花を見つけてその美しさに感動して写真に撮りブログに投稿しました。
次の年訪れてみました、道脇のあちこちに咲いていたリンドウは消えていて数輪のみすぼらしいリンドウの花だけが咲いていました。
かつては少し海抜が高くて綺麗な水が湧いている湿原ではマルハモウセンゴケやサギソウやトキソウが咲いていましたけど、今は特別に保護されている湿原でなければ見ることが出来なくなりました。
クマガイソウやエビネは今は特別に保護されている場所でしか見ることが出来なくなっています。
かつてミズバショウの群落地の少し乾燥気味の場所にはザゼンソウがよく見られました。でも今はザゼンソウは少なくなって中々見つけられなくなりました。ザゼンソウって形はおもしろいんですけど色は暗い赤茶色で決して美しくなどありません、それに悪臭がします。ただ形がおもしろくて数が少ないということでなんでしょうか私が若かった頃私が山歩きが好きなことを見込んで見つけたら是非採ってきてくれないかとよく言われました。もちろんザゼンソウなぞ見つからないと断っていましたけど。
栽培種の花ではなくて山野草を愛する人の気持ちは分からない訳ではありません。美しかったり珍しかったりする山野草を採取して自分のものとして鉢植えなどにして楽しみたい、その気持ちはよく分かります。事実山野草の展示会などを見るとりっぱな鉢に奥ゆかしい美しさで作られている山野草を見るとさすがと感嘆したくもなります。
しかし、美しかったり珍しかったりする山野草が姿を消していくのを見るとわびしくて小さな怒りさえ感じてしまう私です。私は美しい野の花は野にあってこそ美しい。と思うんです。美しい野の花を許可もなく掘り採るのは盗掘だと私は思うんです。盗掘採集する人を私は憎みます。山野から美しい野の花が消えていくのが侘びしくて悲しいからなんです。