続・切腹ごっこ

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衆道者(もの)奇談 稚児の腹切り 八

2005-11-30 | ◆小説・kiku様

 衆道者の最期

騒がしい足音で源吾は気が醒めた。まだ自分は生きているのか。身体はもう動かなかった。周囲を目で探る。雑兵と目が合った。
「見ろ、まだ息がある。」
足で蹴られて仰向けにされた。
「腹を切ったようだがふんどしが緩んでおるわ。」
あざ笑うように、槍の穂先で血に染まった下帯を跳ね除けられた。源吾は虚ろに見上げているしかなかった。
「若い方は見事に果てているとゆうに、こ奴はマラを立てて死に切れぬような。」
見下ろす雑兵たちがどっと笑った。血まみれの男根が天を衝いて猛っていた。
「尻を突いて果てさせてやれ。」
また笑い声が響いた。源吾は四肢を開いて見下ろされていた。
そうじゃ、胡蝶は見事に果てたであろうが。わしの身体はどうしようとも構わぬ、胡蝶には触れるな。男たちに言おうとしたが声にならなかった。

「笑い声が聞こえたが・・・。このようなところで何をしている。先に進まねば斬り捨てる。」
武士が入って来て一喝すると、男たちが慌てて出て行った。一人残った武士が周囲を見渡す。胡蝶を見、源吾を見てさすがに様子がわかる。
「衆道念者でござるか。」
優しい眼差しで武士が言った。源吾が目で頷いて笑う。
「羨ましいご最期じゃな。」
しばらく見詰め合って心が通うた。
「介錯仕ろう。」
見下ろして、武士が槍先を源吾の喉元にあてた。
『かたじけない・・・。』
声にならぬが、見上げて礼を送り目を閉じた。

源吾の脳裏を一瞬の内に夢が駆け抜けた。微笑む胡蝶が現れる。衆道契りを交わした武士が現れ胡蝶丸と重なった。周囲に幾つもの懐かしい顔が笑っていた。
「源吾、ようした。待っていたぞ。」
逞しい体に抱きしめられ貫かれた。快感が全身を走り抜けた。

鈍い音を立てて槍が喉元を貫いた。その瞬間、源吾は目を一杯に開いて武士を見上げた。仰け反りながら口から血が溢れ出す。何かを伝えようと唇を震わせたように見えた。股間にそそり立つ男根が、命水を噴き上げて宙に放った。拡げた四肢を痙攣させながら放ち続け、やがて満足そうに目を瞑った。
「仔細は知らぬが衆道者(もの)には幸せな最期、さぞや縁(えにし)の深い二人であろう。両人ともに、満足そうな顔で果てておられる。蓮の台(うてな)で仲睦まじゅうお暮らしなされよ。」
心の込もった合掌をして武士は部屋を出ていった。
外では、侍達が待っていた。
「何をしておられた。手柄に遅れましょうぞ。」
「よいわ、すでに勝ちは決まった。根切りの手伝いなどはしとうない。ここには誰も立ち入らせてはならぬ。火をかけよ。」
「何を見られた。」
「衆道者が腹を切っておった。」
足軽が周囲から火を放つ。燃え落ちるまで、くだんの武士は動かなかった。
見上げるともう日は高く、最後の砦も落ちようとしていた。

 


          完


あとがき

2005-11-29 | ◆小説・kiku様

 あとがき


稚児というのは平安の頃からあったものです。寺院や武家の女性の入れぬ場所で、男の子が幼い頃から修行を兼ねて日常の奉仕をしました。寺でも有髪のまま、男ばかりの世界で華やかさを競ったといわれます。稚児の上限は十七~十八歳ぐらいまでといわれて、必ずしも男色の奉仕者であったわけでもないのです。
いわゆる小姓というのは、常に武将の身辺の用事を務め、警護の役目もありました。その中でも特別に寵愛を得た者は夜伽の相手もしました。主人の性欲の処理、セックスのお相手をしたわけです。これが「稚児小姓」です。この頃、男色は恥ずべき行為ではなく、歴史文献に残る男色恋愛も少なくはありません。色稚児が職業的に成立していたかは筆者の想像ですが、江戸の頃には男色を専門にした男娼がいたのは事実ですから、戦国の頃になかったとも言えないように思います。

信長の行った根切り(皆殺し)は凄まじかったようで、幼児さえも助ける事を許さなかったといいます。捕らえられた者は戦闘員か否かを問わず、男女構わず殺したといわれています。歴史に残る比叡山掃討はあまりに有名です。
戦場での略奪陵辱は茶飯のこと、生きて捕らえられれば辱めを受けて殺される。雇われ雑兵には軍律などは期待できなかった。根切りとなればその恐怖は想像を絶するものだったでしょう。陵辱を怖れ、自害した者も多かったといいます。胡蝶丸は死を覚悟して、その恐怖を紛らすように自慰をする。死を前にした昂揚が命の燃焼を誘うのは本能かもしれません。男であることの主張であるのかもしれない。死なねばならぬなら男子(おのこ)として死にたいと男性のシンボルを握りしごき精を散らす。蔑まれて生きてきた彼にとっては、腹を切って死ぬのはせめても男としての魂の救いであったのかもしれません。

胡蝶丸は自分の出自を語りません。彼が切腹して果てたいと思ったのは、彼の血に武家の血が流れていると想像させます。源吾に腹切ると誓わせた武士の生まれ変わりだったのかもしれません。あるいはかの武士の魂が乗り移ったのかもしれない。いずれにしても、彼が源吾に運命的直感を感じるのは、潜在意識に刷り込まれた前世からの因縁であったと思わせます。

胡蝶丸は元々同性愛者ではありません。色稚児は生きる手立て、女の相手もしたかもしれない。衆道契りを結んだ経験から、源吾は男色に偏見がなかったと思えますが、彼も男色者ではありません。死の予感と男同士の交わりから、抑えていた過去の記憶がよみがえり始めます。胡蝶丸がその記憶をより鮮明に浮かび上がらせる。過去の記憶と胡蝶丸の存在が絡み合い、導かれるように源吾は腹切る覚悟を求められます。

衆道というのは、武家の間で行われた男性同性愛の事といわれますが、恋愛感情だけではなかったようで、戦場で生死を共にする契りであったともいわれています。互いに男として生命の飛沫を迸らせて契り誓うのです。互いの血を吸って交わす、義兄弟の誓いがイメージとして近いかもしれません。片方が女性的に受け入れる男性同性愛のセックスとは、趣を異にする交わりであったのではないかと思われます。

源吾は勇敢な戦闘者です。体中の傷がその勇敢さを示しています。しかし彼には、自分が腹も切れぬ卑怯者との負い目がありました。忘れようとして心の底に沈めていた記憶があります。胡蝶丸の手で男根(おとこね)をしごかれ、男同士の交わりから腹切る契りを思い出します。胡蝶丸のものを含んだ時には、彼もすでに運命的な出会いを感じていたのかもしれません。戦場でなで斬りに殺される予感から、彼の腹切り死にたいという願望がよみがえり始めます。しかし、源吾はすぐには気付きません。胡蝶丸を誘いながらまだ生きる道を探そうとします。若者が嬲(なぶ)られ辱められて殺されるのを見て、胡蝶丸に男として誇りを失わずに死なせてやりたいと思います。その時彼の脳裏に過去の自分と胡蝶丸が重なります。彼に腹を遂げさせることは自分自身の負い目を消すようにも思えます。

源吾は胡蝶丸に衆道契りを求めます。それは彼を自分と同化させる儀式と思えるのです。胡蝶丸もそれを感じとり受け入れます。彼は性の奉仕者としてでなく、一人の男として源吾に契り応えたといえます。男女の性交は、互いの情愛を交わし確かめる行為といえますが、彼らのそれは互いの覚悟を確かめ魂を同化させる儀式だったといえます。その時二人の魂は重なったでしょう。互いの生を共有していると実感できたのです。

腹を切るには相当の気力と体力を要するといいます。意思はあっても、色稚児であった胡蝶丸には切腹は難しかったでありましょう。源吾に励まされ、彼の中に潜む血の記憶が彼に切腹を遂げさせます。彼らはこの時、別の肉体を持ちながら既に魂は一つに溶け合っていました。周囲を囲む魂に見守られて、本懐通り男子(おのこ)として胡蝶丸は死を迎えます。源吾は彼の最期を見届け、宿年のわだかまりが解けた思いの中で死を迎えようとします。

源吾の最期を見届けた武士は、衆道の情愛を知るとみえます。彼の「羨ましい」という言葉に、契りを交わしながらも想いを遂げられなかった過去を感じさせます。源吾と契りを交わした武士が乗り移っていたのかもしれません。源吾の命が消える瞬間、すべての魂が重なり溶け合います。

彼らにとって切腹腹切りは、男としての誇りを保ったまま死に臨む唯一の方法と思えるのです。腹に刃を突き立てる時、既に此の世のすべてのしがらみ屈辱は消えて、男として死に立ち向かうピュアな精神だけが彼らを支配するのです。自らの肉体に加える苦痛こそは、ただ無垢な魂を昇華させるための闘いであったように思えます。

筆拙く、このような言い訳を付け足す事をお許しいただければ幸甚に存じます。
最後にこのような拙作に連載挿絵の労をお取りいただいた「切腹ごっこ」様に、感謝の言葉を述べさせて頂きます。ありがとうございました。


       kiku 拝