ネット開通。やっとまともにインターネットができる。
先日、妙国寺に行ってきた。妙国寺は、西洋世界に“ハラキリ”を印象づけた「堺事件」の舞台だ。観光案内のおじさんの解説と資料室の見学込みで拝観料が400円。おじさんが話し上手で話が分かりやすかった。
逸話その一。
安土桃山時代。織田信長が妙国寺には立派な蘇鉄(熱帯原産の幹の太い植物)が生えているという話を聞きつけ、蘇鉄を引き抜き安土城に運ばせた。しかし蘇鉄は「堺に帰りたい…寺に帰りたい…」と夜な夜な泣くのだという。信長が森蘭丸に命じて蘇鉄の幹を斬ると、まるで血のように赤い樹液が噴出し蘇鉄はのたうち回った。さすがの信長も気味悪がって、蘇鉄を妙国寺に送り返したという。
寺に戻った瀕死の蘇鉄を住職が蘇生させると、龍神が住職の夢枕に立った。蘇鉄の化身だという龍神は寺の守護神になることを誓ったという。
逸話その二。
慶応四年(1868年)、砲台偵察のため堺港に上陸したフランス兵と、それを尋問しようとした土佐藩士の間に小競り合いが起き、土佐藩士の銃撃で仏兵十一名が死亡した。仏公使レオン・ロッシュは新政府に対し抗議し、遺族への賠償金や殺害に加わった者全員の斬罪などを要求。土佐藩は名乗り出た二十九名の中から、くじ引きで切腹する二十名を決めた。
仏側の要求では切腹は殺害現場で行われることになっていたが、当時の慣例通り非公開で寺(妙国寺)の境内で行われることになった。藩主拝領の装束で藩士たちは次々と切腹。といっても、一人が切腹すればその場を血の一滴も残さずキレイにしてから次を行うので、時間は相当かかったらしい。十一名の切腹が終わったところで、仏側から残り九名の助命嘆願を受けて、九名の切腹は中止された。
切腹した十一名のうち、二人以外は皆下士身分だったそうだ。名乗り出て切腹すれば自分の家はその後上士として扱われる。解説のおじさんによると、皆喜んで名乗り出たのだとか。藩士たちはその後まもなく武士という身分さえ日本から無くなってしまうことなど想像もつかなかっただろう…というのもおじさん談。
資料室には藩士たちの遺髪や、切腹時に使用した血のついた三方や、短刀が展示されている。
妙国寺は皇室ゆかりの寺であるため、犯罪人である十一名を埋葬することができず、隣の宝珠院に運ばれ埋葬された。周辺には「土佐藩士十一烈士の…」という石碑があちこちに建っている。