続・切腹ごっこ

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熊本城

2011-09-27 | ★城跡探訪

 先日、出張で熊本へ。空き時間使って熊本城を攻めてきた。時間がなかったので西の丸から天主閣周辺を大急ぎで回るのがやっとだった。

 西の丸駐車場から西大手門をくぐって本丸入り口へ。入城口である頬当御門を通って、まず天守を目指す。
  
 ↑左から1枚目、西大手門外から戌亥櫓(城の北西)を望む。水が溜まっている部分はもともと空掘だったらしい。長塀と高い石垣に圧倒される。2枚目は南大手門。これも規模が大きい。3枚目は頬当御門を見下ろす位置にある隅櫓。
  
 本丸入り口から石垣越しに見える大天守。渋いオジサンのような佇まい。2枚目は天守西側の広場から撮ったもの。左側の小天守に登るのは涙を飲んで省いた。
  
 時代がいつ頃のか見なかったが、城下町まで再現された緻密なジオラマ。プロの仕事っぽい。2枚目は昭和35年に天守を外観復元する際に製作された10分の1模型。3枚目は最上階から望む宇土櫓。
   
 大天守、小天守と並んで第3の天守とも呼ばれる宇土櫓。そう呼ばれるだけあって三層五階の大きな櫓で、他の城にあれば天主閣として充分通用するぐらいのもの。
 大天守、小天守は残念ながら明治初期の西南戦争の折に焼失してしまったのだが、この宇土櫓は他の11の櫓とともに加藤清正が創建した当時の姿を留めている。直線的な破風が特徴で、最上階には安土桃山時代の様式である高欄が配されている。
 熊本市の南、現在の宇土市にあった城の天守を移築したという伝承から、こういう呼び名になっているそうだが、近年の調査により最初から熊本城内に建てられたものであることが判明したそうだ。一櫓にしては立派過ぎるという感想から広まった伝承かもしれない。

 最後は宇土櫓最上階から城の西方向、最初にくぐった西大手門と傍の南大手門を望む。
 熊本城は規模が大きく、復元されたものも含めて大きな櫓や長い塀、高い石垣など見どころも多い。今回は城の傍のビジターセンターみたいな所も行けなかったし、次回来る機会には1日かけて城内をゆっくり巡りたい。

熊本城 (PHPムック)
西ヶ谷 恭弘,西ヶ谷 恭弘
PHP研究所
1/700 名城No.1 熊本城 400周年記念
フジミ模型
フジミ模型

嫡子切腹

2011-09-23 | ★男の切腹+グロ

 元服すると同時に切腹すること前提に、元服するまで10年間ほど生かされ、15歳で元服したその日に切腹したり、ってこともあったかも…などと妄想してみる。


 ―門扉が固く閉ざされた古い屋敷に住む少年、祐之介。けして屋敷から出ることが許されず、武家の子息だが藩校に通ったりすることもなく、いつも独りで書物を読んだり剣術の稽古をしたりしている。
 周囲の大人たちは皆、祐之介の父が十年前、同輩を切り殺してしまい直後に自刃したことを知っている。代わりに責めを負うことになった祐之介が十五歳で元服した後切腹することがすでに決まっているということも。しかし祐之介と同年代の子供たちには知らされてはいない。祐之介が元服、そして切腹する日(日付としては、祐之介の父が刃傷沙汰を起こし直後に自刃して果てた日)が一年後に迫っていた。

 古い屋敷に自分たちと同年代の少年が住んでいるらしいというのを、周辺に住む武家の子供たちはなんとなく知ってはいるが、直接言葉を交わしたりした者はいない。その中の一人和馬が「屋敷に住む少年の父は昔大罪を犯した後に自害した」ということを知る。和馬はそれを友達数人に言いふらした後、屋敷に忍び込んで罪人の息子とはどんなやつか見てやろうと企てる。
 「何者だ…!名を名乗れ!」ある日、独り剣術の稽古をしていた祐之介と、忍び込んだ和馬たち三人が顔を合わせる。罪人の息子と軽蔑する和馬たちと、他人は何をか言うだろうが誇りだけは失うなと育てられた祐之介は最悪の出会い方をした。
 罵る和馬たちを祐之介は木刀で打ちのめす。思わぬ反撃に遭いほうほうの体で逃げ帰った和馬たちは、次の日真剣を携えて祐之介に仕返しをしに行く。しかし向けられた真剣を恐れるどころか木刀で立ち向かってくる祐之介に、和馬は驚き振り回した真剣で怪我をさせてしまう。
 その場は慌てて逃げ帰った和馬だったが、数日後どうしても祐之介の様子が気になり、再び屋敷に忍び込む。書物を読む祐之介の腕には包帯が巻かれていた。和馬に気づいた祐之介は木刀を手に取るが、痛みに木刀を取り落とす。和馬は怪我をさせたことを謝り、怪我をさせたのは本意ではなく、ただ脅す目的だったと白状する。さらに真剣を向けられて恐くはなかったのかと聞く。祐之介は、命などもともと無いものだと思えば何も恐くはない、ただ武士としての誇りを失いたくはないのだと話す。
 祐之介の堂々とした態度に、憧れに近い感動を覚えた和馬はそれから毎日祐之介の屋敷へ向かうようになる。ある時は剣術を教えてもらい、ある時は屋敷の外の様子などを話して聞かせた。和馬の誘いで他の二人も屋敷に通うようになり、祐之介と和馬たちはもとからの幼馴染のように付き合うようになった。

 しかし、しばらくして屋敷に通っていることが和馬の親に知れてしまい、和馬たちは屋敷に通うことを禁じられる。それでも周囲の目を掻い潜って久しぶりに屋敷に忍び込む三人。祐之介には会えたのだが、祐之介の態度がこれまでと違ってよそよそしい。少しも話さないうちに理由も告げず帰ってくれという。屋敷からの帰り道、憤慨しもやもやした気持ちを抑えきれない三人。
 その夜、和馬は親に今日祐之介の屋敷に行っていたことを叱られ、祐之介はもうすぐ切腹するということを告げられる。気が動転し、家を飛び出す和馬。屋敷に向かおうとするが、それもできず町はずれの河原に立ちつくす。
 切腹の期日が迫り、屋敷の前には見張りが立つようになる。和馬たち三人は今まで以上に厳しくなった監視の目をなんとか掻い潜り夜陰に紛れて屋敷に忍び込む。
 庭に祐之介が独り佇んでいた。すでに前髪は落とされ、月代が剃られている。和馬は供に逃げようと祐之介に百姓の着物を押し付ける。祐之介は首を横に振る。「自分は武士の子として生き、武士の子として死ぬ」と。「俺はお前を失いたくない、俺も武士を捨てるからお前も一緒に来い」和馬の顔は紅潮し大粒の涙が溢れる。祐之介も涙をこらえ、「この一年は一生分の思い出になった、来世でもまた和馬たちに会いたい」と言う。和馬はいきなり持ってきた短刀を抜き腹に突き立てようとするが、寸でのところで祐之介たちに押しとどめられる。「祐之介と供に生きられないというのなら供に死ぬ」という和馬に、祐之介は「俺の分まで生きて俺という武士の子がいたということを忘れないでいてくれ」と言う。「俺のことを知っているのはお前たち三人だけだから」と。
 「誰かそこにいるのか!」見張りが近づいてくる。崩れ落ちるように泣く和馬を抱えて夜陰に紛れて行く二人の顔も涙でぐしゃぐしゃになっていた。
 翌日、祐之介は作法通り腹を一文字にかき切って果てた。屋敷に赴いた検死役の話によると、歳十五ながら少しも取り乱すことなく介錯人にも気を使い、右脇腹まで短刀を引き回した後は微かな笑みすら浮かべていたという。武士の名に恥じぬ見事な切腹であった、と。

 祐之介切腹の数日後、和馬が行方知れずになる。いずこかで追腹を切ったとか、武士に嫌気が差して出奔したとか、いろいろな噂が流れたが定かではない。


 切腹という死刑執行まで10年間猶予期間がある、っていう状況はたぶんありえなかっただろう。若くして人に死を強制されるっていうことが分かっていながら10年生きるっていうのは残酷過ぎる。
 それはさておき。この話、エロ要素グロ要素は極力省いてみた。エロ要素を入れるんなら、祐之介と和馬の付き合いの中で、和馬がウブな祐之介に千摺りを教えてやったりとか、切腹前日の夜、初めて二人が結ばれたりしてもよかったかも。
 長い話にするんなら、事情を何も知らない和馬たちが祐之介に切腹の作法を教わったり、祐之介の日課である切腹の作法の復習をしたりする場面なんか入れてみたい。祐之介が「遅かれ早かれ俺は腹を切って死ぬんだから」と自棄になり短刀を腹にあてがって、しかし踏ん切りがつかず思い悩む場面なんかも。

使ってみたい武士の作法 [増補版]
杉山 頴男
並木書房
ハラキリと男根開示―男とは何か?男性性で読み解く日米の戦争と平和 (歴史から学ぶ)
巨勢 逆
彩流社

生類憐みの令

2011-09-19 | ★男の切腹+グロ

 深夜、ABC放送(テレ朝系列・関西ローカル)でやってたタモリ倶楽部の、びびる大木と藤本美貴と豊田エリーが出てた“日本史に関係するスイーツとクイズ”の回(途中からしか見てなくて、公式HPがないので企画名自体不明)。

 犬公方などとも呼ばれた徳川五代将軍綱吉が下した「生類憐みの令(複数の法令をまとめて呼んだもの)」。犬などの獣の他、鳥や魚、果ては蚊の保護まで奨励し、違反した者には死罪をも命じたという。しかし、令の影響があったのはせいぜい下級武士までで、それ以上の身分の者に処分は下らなかったとか。
 番組で出題されていたのは「噛みついてきた犬を切り殺したとして増田兵部の家来に下された処分は?」という問題。「代わりに犬になる」とか「切ったので繋げる」という誤答の後、豊田エリーが「わかった!切腹!」と正解。その場の雰囲気は明るかったけど、思えばなかなか不条理な話だ。

 ウィキペディアによると、旗本の秋田采女季品(中奥小姓秋田淡路守季久の嫡男) が吹矢で燕を撃ったため、代理として同家家臣多々越甚大夫が死罪、になったとか。なぜ代理として家臣が死罪になったかは不明だが、これもけっこう不条理。
 家臣が代理になった理由としては、この秋田某が年若で元服前だったため、遊び役としていつも傍にいた同年代の家来の中から一番年長の者(といっても歳は10代)が選ばれて、もしくは自分から名乗り出て切腹した、とか妄想してみる。旗本といえば将軍にも拝謁できる身分なので、本人には比較的軽い処分で死罪までは至らず、燕を撃った時傍に居た家臣の方が責めを負ったとか。

 元服前の少年が切腹に値する罪を犯した場合、特別に早めに元服を済ませ、形だけでも大人の武士ということにして切腹させるということもあったとか。少年本人ではなく、父親が罪を犯した場合も処罰の前に父親が死亡したりすると、その嫡男が父の代わりに罪を被り切腹したそうだ。
 少年があまりにも幼い場合はどうなったんだろう?死罪は免れ仏門に入れられたり、親戚の家に預けられたり、有無を言わさず斬首されたり…?

タモリのTOKYO坂道美学入門
タモリ
講談社
藤堂高虎伝 虎視眈々元服編 (キングシリーズ 漫画スーパーワイド)
神江 里見
小池書院

随天

2011-09-13 | ★その他

 来年の大河ドラマの撮影が進んでいるようだ。
 タイトルは「平清盛」で、主人公清盛役は松山ケンイチ。ネット上のニュースによると、加藤浩次演じる兎丸という架空の人物が重要な役どころとして登場するとか。その記事に対するコメントには「架空の人物なんか邪道だ」みたいなコメントがいくつかあった。しかし歴史上の人物が主人公の物語でも架空の人物が出てくるのはよくあること。わざわざ登場させるからにはそれなりの意味があるのだ。
 過去の大河ドラマでもたくさんそういう例はある。自分の印象に残ってるのは「信長KING OF ZIPANGU」の随天という妖しい人。予言や祈祷をしたり、殺されかかってもしぶとく生きてたり、信長の実母と不倫したり。信長とは何かにつけて対立し追放されたりするのに、また呼びもどされたり。裏の主人公はこの人なんじゃないかと思うほどインパクトがあって、信長という人のキャラを際立たせる上でこのドラマの中では重要な役どころだった。平幹二郎を知ったのがこのドラマだったので、この後しばらくは平幹二郎を見ると妖しい随天のイメージがダブった。
 そもそも架空の人物が主人公の大河ドラマなんかもあるしね。歴史上実在した人物だけで極力史実に忠実に作るとしても、何かの書物や文書を研究した結果が反映されるわけで、何がホントにホントの史実なのかと言われて答えられる人はいないだろう。

 そういえば「平清盛」の撮影シーンで、「海賊王になるゾ~!!」って叫んでる映像をチラッと見たんだけど、あれは本編映像??www 本編映像だったらいいな。こういうの好きだ。

NHK大河ドラマ大全―50作品徹底ガイド完全保存版 (教養・文化シリーズ)
NHK出版
日本放送出版協会
源平武将伝 平清盛 (コミック版日本の歴史)
水谷 俊樹,中島 健志,加来 耕三
ポプラ社

10年前

2011-09-11 | ★男の切腹+グロ

 2001年の同時多発テロから今日で10年。
 …10年かぁ…早いなぁ~ もう10年か~ あの頃はまだ学生だったんだよなぁ…しみじみ
 夜の10時ぐらいかな?たしかTSUTAYAで借りたレンタルビデオ(VHSね)見てたら、父親から電話かかってきて「TV見ろ」って言われて。あの晩はほぼ徹夜でテレビ見てたな。

 あの頃は大学ノートに切腹マンガ描いてた延長で、紙に切腹イラスト描いてた。色も色鉛筆と絵具(血のみ)で塗ってたな。切腹マンガの方はこの時期に飽きて中断したままになっている。超黒歴史だけど(そんなこと言いだしたら切腹絵全てがそうなんだけど)pixivにアップしようかな…どうしようかな… ♂×♀のエロシーンを見られるのが恥ずかしい…大学ノートに描いたから横線を消すのが大変だし。
 SM雑誌に1回だけイラストを投稿したのもこの時期だったかも。
 で、PCを買ったのが次の年だったかな。それからは、下描きはアナログだけど彩色はフォトショップでするようになった。

 あの頃から10年経ったけど、イラストのレベルは上がってるんだろうか。技術は上がってると思うけど、「なんかよく分からないけどとにかく描きたい!」っていうエネルギーは10年前はもっと高かった気がする。

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9・11の標的をつくった男  天才と差別―建築家ミノル・ヤマサキの生涯
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