続・切腹ごっこ

~当ブログは更新を終了しました~

刺し違絵

2010-07-31 | ★男の切腹+グロ
刺し違えシリーズ4枚。意図したわけじゃないけど、4枚ともシャツ越しに刃を突き立てる絵になった。この中の1枚ぐらい素肌に突き刺すものにしようかな。

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 左から1枚目、4年前に描いたイラストの描き直し。もっと刀を深く突き刺したかったけど、傷口が見えなくなるのでこの位置に落ち着いた。表情とかを少し変えたけど、構図はほとんど前と変わってない。
 2枚目は仲良し三人組の串刺し。「お前が切腹するなら俺も付き合う」「俺も!」みたいな。連れション的な感じで。以前紹介してもらった「
マッドワールド」っていうwiiのゲームの動画に触発されて描こうと思ってたイラスト。マッドワールドは18歳未満に販売禁止(CERO“Z”指定)で、一般的なwiiのイメージとはかけ離れたグロ満載のゲーム。プレイしたことは無いので動画を見た感想だけど。
 串刺しに使用するのは、日本刀じゃなく長くて太い太刀。何年か前に栃木県の日光東照宮や日光山輪王寺、
二荒山神社に行った時にでっかい太刀が飾ってあったな。宝刀太郎丸っていうらしい。
 3枚目も刺し違えというよりは串刺しか。手前の人はすでにぐったり。このイラストは裸にしてもいいかも。
 4枚目は少年同士の刺し違え。刺し違えって両方の腹が見えるように描こうとすると横向きになりがちだから難しい。筋肉が薄くて胸もない子供の体って、特に真横から描くのは難しいな~

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「THE COVE」の、続き

2010-07-26 | ★レビュー(映像)
 前回の続き。今回は前回以上にだらだらと長くなりそう。

 映画の中で「あんたらは牛を食べる。うちらはイルカを食べる。それは文化だ。」という住民たちの主張が紹介される。これは地元住民だけではなく、日本人の多くの人が持っている意見であり、イルカ漁や捕鯨に反対する人たちに対する主要な反論の一つではないだろうか。「イルカを食べるなといいながら、牛は食べてもいいのか?」「イルカもクジラも牛も豚も同じ哺乳類、同じ一つの命ではないか」と。
 映画の中ではそれに対し、「東京や大坂などでは、イルカを食べる日本人がいるということが知られていない」ことを理由に、それは日本の伝統文化と呼べるだろうか?と反論している。これを牛食に対する反論でもあるとすれば、多くの人が食べている牛は食べてもいいということになるというのだろうか。

 日本人は、いや少なくとも僕は、一頭のイルカと一頭の牛の命は同じものだと考える。知能の高さや愛嬌で、食べても良い悪いを決めるのには同意できない。知能が低く無愛想なら食べてもいいというのは、引いては「アホでブサイクならどう扱ってもいい」という人間同士の差別にも繋がるのではないかと思えるからだ。
 古くから牧畜文化が根付いた地域では、食用の家畜と野生動物の間には歴然とした差があるのが当たり前なのかもしれない。宗教によっては食のタブーというのが存在するし。家畜は神様が保証した「食べてもいい動物」といった感じなのだろうか。
 欧米にはベジタリアンが多いそうだが、倫理的な観点から肉や魚や卵を食べない人は、植物の命についてはどう考えているのだろうか?と思うことがよくある。やはり動物と植物の間にも歴然とした差があったりするのかもしれない。

 僕は、自分は食に関してのタブーは無いと思っている。食べても死なない限り、法に触れない限り、その種の個体数が正常な数に保たれている限り、食べたかったら食べていいし、食べなきゃ死ぬ状況なら食べるしかないと思っている。この考え方は、当然自分以外の人にも当てはめることにしている(別に強制するって意味じゃなくてね)。馬肉も犬肉も食べてもいいと思う。僕は猫が好きだけど、日本のどこかに猫食文化の地域があれば許容すると思う。自分自身は食べるのを極力避けるけど。でも、「猫肉は珍味だから最近食べ始めた」とかいう状況だと許容しくいな…。
 この考え方のもとになっているのは、“人間は食べたいものを食べる業が深い生き物だからしょうがないと諦めていること”と、“一頭まるごと食べ尽くすなら殺した罪も軽くなるという意識があること”の2つがある。主に鯨油を採るためだけに捕鯨するのは嫌悪感を抱くが、鯨一頭まるごと食べ尽くし利用し尽くす漁師は許せると思うのは、この考え方から来ている。
 でも冷静に考えると、油絞って捨てようが、骨まで食べ尽くそうが、一頭殺すことには変わりないんだけどね。殺される生き物の方からしたら、自分が殺されたあと骨までしゃぶってくれるんなら許してあげるっていう意識は多分ないと思うし。

 まぁ、しかしそういうわけで僕は、食べるのが目的ならイルカ食文化も猫食文化も許せてしまうのだと思う。
 でも、「ある狭い地域の食文化ってそんなに大事なのか?」とも自問自答したりもする。その種が絶滅しないからと言って、他の家畜がいるのにその野生動物をどうしても食べなきゃいけないのか、と思ったりもするのだ。しかし、それが人間なのだと思うし、地域の狭い広いは関係ない。それが抗議が必要なほど悪いことだとしたら、もっと許せないことは他にもあるはずだ、とも思う。イルカ目線で考えると不条理な理屈かもしれないが…。もし、人間を捕食する宇宙人か何かがいて、「他に食べ物はあるけど、ワレワレの文化のために人間食はやめない!」と言われたらたまったもんじゃないな~とも思ったりもする。捕食される当事者のイルカに同情できなくはない。
 でも、だからと言って「ザ・コーヴ」の主張に抵抗があるのは、やっぱりイルカ漁反対を叫ぶ人達の多くが、家畜は平気で食べている(と思われる)からだろう。野生動物を捕食するのが人間の身勝手なら、食べる動物食べない動物を自分たちの基準の決めるのも同じく人間の身勝手ではないのか。結局はそこに帰ってくるのだ。

 食べる・食べないの判断において、家畜と非家畜を区別する人(または知能の高さや、愛玩動物か否かで区別する人)たちと、僕のように区別しない人間の意見の相入れる余地はどこかにあるのだろうか?
 ビジネスとしてイルカ解放活動や反捕鯨活動をしている人とは、別に相入れなくても構わない。
 でも、「私はイルカ食べたくないけど、イルカを食べる人がいてもそれはそれでしょうがないよね。生態系が壊れない程度なら。」ぐらいの許容をしてくれる人が増えたらいいなとは思う。

「ザ・コーヴ」という映画や、人間の食肉・非食肉の区別の仕方についてはまだ書き足りない気がするので、思い出したようにまた何か書くかもしれない。

イルカを食べちゃダメですか? 科学者の追い込み漁体験記 (光文社新書)
関口 雄祐
光文社
よくわかるクジラ論争―捕鯨の未来をひらく (ベルソーブックス)
日本水産学会
成山堂書店

「THE COVE」

2010-07-25 | ★レビュー(映像)
 「ザ・コーヴ」を見てきた。感想を書こうと思うんだけど、何から書けばいいのか。
 休日だから映画館(大坂、十三の
第七芸術劇場)前で抗議活動か何かあるかも、なんて思ってたけど何もなく拍子抜けだった。観客の年齢層はバラバラ、子供はいなかったけど。150席くらいの客席は2/3くらいは埋まってたかな。

 とりあえず、映画の概要を。
 この映画は、リック・オバリーという“イルカ解放活動家”の日本での活動を撮影したものだ。この人は若い頃は、ドラマやショー用のイルカの捕獲や調教に関わっていたが、身近な1頭の死をきっかけに悔い改め、イルカショー反対運動に舵を切る。捕獲してある網を切ってイルカを逃がし逮捕されたことも少なくないようだ。太地町のイルカ漁への抗議もこの一環である。
 彼らが訴えるのは、「イルカは知能が高く、自己を認識することもできる。人間の命を助けることもある友人である。イルカショーなどを強制してストレスを与えることは止めるべきで、苦しめた上に殺戮する追い込み漁などはもってのほかだ。イルカの体には食物連鎖の関係から基準を超える水銀が蓄積しており、そういう観点からも食べるべきではない。」ということ。
 映画のクライマックス、オバリーは太地町の住民や漁師たちの妨害を掻い潜って、イルカがされる“隠された入江”(立ち入り禁止区域)の撮影を試みる。そのためにフリーダイバーや撮影班等からなるチームが結成される(監督曰く『オーシャンズ11』にも劣らない)。彼らは監視のいない夜に入江に侵入し、岩場や水中に数台のカメラを設置。据え置きの無人カメラは、イルカ漁の現場と真っ赤に染まる入江の撮影に成功する。
 オバリーたちの姿勢は、世界中のほとんどの人が知らない「こんな残酷なこと」を、隠ぺい(?)しているこの町から全世界に向けて知らしめる!ということで一貫している(僕はイルカ漁の存在を知っていたし、鯨食も有りだという考えなのでショックはなかったけど、知らない人が見たらけっこうショックなのかも)。

 ごく簡単に書くとこんな内容の映画。

 それぞれのシーンの映像から受ける印象は下記のような感じだ。
 まず、幾度となく挟まれる賢く可愛いイルカの映像と、入江で血を流しながら逃げ惑うイルカたちの映像は対照的で、単純にそれだけを見るなら、「なんとかしてこのイルカを救わなければ!」という気持ちが湧きおこってくるだろう。アメリカ人には「わんぱくフリッパー」というイルカと少年の交流を描いたドラマがよく知られているらしく、そのドラマのシーンがよく出てきた。
 撮影を妨害してくる地元住民や警察は、映画を見る限り粗暴でけっして頭が良さそうには見えない(編集によってそんな風に見せている)。映画の後半、入江に侵入するシーンは赤外線カメラなどを使い、スパイ映画のようなノリで、エンターテイメント的な見せ場でもある。海水が、血で文字通り真っ赤に染まるイルカ漁のシーンは確かにインパクト大である。10年ぐらい前にネット上で初めて見たイルカ漁の映像よりもインパクトがあった。
 ただ映画の中で語られる情報については鵜呑みにすることには抵抗がある。1年に捕獲されるイルカの頭数や売却額、イルカの体内に蓄積した水銀の数値などの数値や、イルカ肉をクジラ肉と偽って販売しているという主張など。水俣病のメチル水銀汚染とイルカ肉の水銀蓄積を結びつけようとしているのも違和感を覚えた。1つを疑うと他にも疑いたくなる部分がいろいろ出てくる。

 以前、NHK総合の「クローズアップ現代」という番組で、この映画を取り上げていた。
 オバリーやスタッフたちが太地町で撮影していた時期は、イルカ漁を撮影しようとする外国人たちがたくさん滞在していたらしい。例のシーシェパードが、イルカ漁の映像に懸賞金を出したからだ。そのため地元住民たちが警戒し、映画の中でも過剰に反応しているように見えるのだという。
 また番組では「編集で作られたシーン」というのも紹介していた。血を流しながら網から逃げてやがて死ぬイルカを、フリーダイバーの女性が間近で見て涙する、というシーンがあるのだが、イルカのカットと涙する女性のカットは編集で繋いだだけであるという。別の日に、実際に女性はイルカの悲惨な様子を見たのは事実らしいのだが。
 番組では日本人のイメージする“ドキュメント”と、アメリカ人、少なくともこの映画の撮影スタッフたちがイメージする“ドキュメント”とはかなりかけ離れたものなのかもしれない、と言っていた。この映画のように、自分たちの主張がまず有り、その主張を広めるために必要な映像を編集するのが彼が考えるドキュメントなのかもしれない。事実を淡々と取材し、まとめるという感じではない。
 そして主張を広めるためには手段を選ばないということを、この映画自体が物語っている。立ち入り禁止区域に侵入し、警察にも嘘をつく。悪びれる様子はない。そんな調子なので、イルカ漁に関する情報自体の信ぴょう性を疑いたくなるのだ。

 映画の中で「あんたらは牛を食べる。うちらはイルカを食べる。それは文化だ。」という住民たちの主張が紹介される。それについて書きたいが、話が長くなるので次回に続く⇒

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三木合戦

2010-07-22 | ★男の切腹+グロ

 「三木合戦」という戦いがあった。西暦1580年、現在の兵庫県三木市付近で行われた、三木城主別所長治と、羽柴秀吉など織田軍との約2年間に渡る戦い。織田信長の命を受けた羽柴秀吉による毛利攻め、播州征伐の一環である。
 秀吉は三木城を取り囲み、別所勢を兵糧攻めにする。最終的に別所長治一族の切腹自害を条件に城兵の命は助けることで決着する。この時、切腹または自刃したのは、城主別所長治(23)、その妻子、実弟友之(21)とその妻(17)ら。若い!大学生ぐらいの歳の戦国武将一族って、すぐにイメージしにくい。若いってだけで妄想が膨らむ。
 城主が兵の命を助けるために犠牲になり、また秀吉も無駄な殺生は行わなかったということで、三木城降伏の話は美談として語り継がれてきた。

 しかし、最近その話を覆す見解が発表された。
 地元紙に掲載されたその記事によると…、「秀吉は別所一族切腹の後、残った城兵を大量に殺戮した」のだとか。実際に秀吉自身がそういったことを書状に書いていること、織田方の武将宇喜多直家がそういう報告を受けたこと等々が根拠に挙げられている。詳しくはこちら(神戸新聞)

 これでは若い城主一族の切腹は犬死になってしまうし、秀吉は命を賭した約束を守らなかったことになる。これまで定説とされてきた美談が根底が覆されてしまうだけに地元の人は少なからずショックを受けてるかも。

 そういえば最近第2シリーズが始まったアニメ「
戦国BASARA弐」。もとのゲームをやったことないので基本的な世界観がよく分からないんだけど…、キャラクターはともかく、時間軸の設定は無きに等しいものなんだろうか。
 信長はすでにいないらしいんだけど、その割に武田信玄も上杉謙信も元気だし。秀吉の参謀
竹中半兵衛もまだ生きてる。ちなみに、史実では竹中半兵衛は上記の三木城包囲の最中に病死する。なので、信長よりも死ぬ時期が早いはず。宮本武蔵も登場するみたいだけど、まだ生まれて間もない頃なんじゃないの?
 このアニメ・ゲームに関してはそういう意見は無粋なのかもね。

別所一族の興亡―「播州太平記」と三木合戦 (のじぎく文庫)
橘川 真一,西川 卓男
神戸新聞総合出版センター
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刺青切腹

2010-07-19 | ★男の切腹+グロ

 全54枚のうち、下書きができていない、もしくは気に入らないのが、あと6~7枚ぐらい。下書きができていてももうちょっとネタを詰めたいものもある。
 最近あんまり筆が進まなかったけど、描き始めると気に入るものがいくつか描けた。

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 左から、1枚めは全裸シリーズ。もっと股間見せてもいいかも。初めて刺青を描く。刺青と切腹の組み合わせは、伝統的な男性切腹絵だとけっこうあるはず。
 2枚目は、pixivで見つけた「遅刻狩り」っていうイラストのパクリ…もとい、影響を受けたもの。あのイラストは女子高生で、竹ヤリは背後から胸を貫いていた。
 3枚目は十文字腹。縦切りが下から上へ切るタイプは今まで描いたことないかも。
 4枚目はラガーシャツ姿の切腹。もっとそそられる筋肉を描けるようになりたい。

 さっさと下書きを済ませて、気持ちが繋がってるうちに着色を始めたい。今年中に完成させたいけど、着色を始めてみないとどれくらい時間がかかるか見当がつかない。

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pixiv年鑑編集部
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切腹する人の再現

2010-07-17 | ★レビュー(映像)
 最初はたしかアニメ版「お~い!龍馬」の動画がないか探してたんだっけか。寅之助の切腹シーンが見たかったんだけど、結局OPとEDの映像しか見つからなくて。1993年放送の「幕末高校生」の映像を見たり(武田真治と山本太郎が高校生役をやってることに月日の流れを感じる)しているうちに、こんな動画を見つけた。
 学ラン姿の男子中学生?(高校生かも)が、学ランを脱いで長袖カッターシャツ(ワイシャツ)姿で切腹する動画。場所は学校の教室かな。塾か何かの可能性もあるかも。情報欄には「切腹する人の再現」とある。

 もしかして有名な動画で今さらだったらスルーして下さい。

 実は「切腹」と言っても、なぜか三方はヤカン、短刀はマイク(?)なのだ。なぜに??
 マイクを乗せたヤカンの前に正座した学ラン少年はまず、学ランを脱ぐ。下からボタンを外していくのだが、詰襟のホックがなかなか外れない^^;。この、ボタンを片手で下から外していくというのは、「憂国」の三島由紀夫をマネたものかもしれない。いったん脱いだ学ランをまた羽織直す。自分としては学ランは特に必要ないのだが。神妙な面持ちでマイクに奉紙を巻き、ヤカンを背後に回して尻の下に敷く。この辺りの動作も、切腹のシーンをちゃんと見てないと再現できないかもしれない。短刀の代わりのマイクの持ち方にも独特の拘りがあるようだけど、元ネタがよく分からない。ヤカンとマイクにももしかしたら何か意味があるのかも。深読みし過ぎかな?そしてマイクをカッターシャツ越しに腹に突き立てる。そして右へ切り回し、突っ伏す。倒れた後の表情がおバカっぽい。演技に入る前の素の表情もカワイイな。

 それにしても、憂国のマネといい、拘りの有りそうな動作といい、ふざけてるのか何なのかよく分からない。もう一回本物の三方と模造刀で撮り直して欲しい。そして演出をさせてほしい。

長内健太郎

タイトルで検索してみたけど、いくつかの掲示板にこの名前で投稿があるだけだった。タイトルが、動画の人の名前なのかは不明。

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「櫻 VOL.2」その弐

2010-07-14 | ★レビュー(本)
 前前回の続き。

 2.切腹を題材にした小説の紹介
 尾中作太郎という人が昭和36年に「白妙」(雑誌?)に発表した「東京女性切腹倶楽部」という作品。

 ―若い娘や未亡人たちが、秘密厳守を前提に集まる倶楽部。毎週1日だけ集まって切腹画を見せ合ったり、切腹フォトを撮り合ったりする。そして会員の中から毎月1人、投票で決まった女性が切腹自殺を遂げる。切腹の場となっている地下室には、今までここで果てていった女性たちの切腹している途中の写真が掲げられている。写真は、セーラー服姿での一文字、和服姿の立ち腹、ブラジャーとパンティ姿の二文字腹など、様々。
 今日は、幸子という18歳の少女が全裸で切腹自殺する。幸子は先月の投票でT字に切腹することが決定し、1ヶ月間の猶予期間を経た後、覚悟が揺らがなかったので予定通り今日切腹することになった。ウイスキーで別れの盃を交わした後、幸子は白鞘の短刀でT字に切腹、最期の瞬間は1枚の写真として残った。

 著者が小学5年の時、仲良しの少女の姉がT字に腹を切って自殺するという事件があったのだという。それ以来、その少女と「お姉さんのように」と下腹を切る遊びをするようになったそうだ。大人になってからその事を思い出したことがこの短編小説を書くきっかけの一つになったのだとか。
 中康氏は、この小説の中では倶楽部の女性たちが切腹する理由について言及されていないことを評価している。

3.論考
 (1)切腹の描写とその用語の解説
 切腹に関する読み物に出てくる単語などの分類と解説。下腹、鳩尾などの腹部の名称。鮮血、細腸などの内臓の名称。切り回す、貫くなど動作の表現。ずぶり、キリキリなど動作の形容。悶える、呻吟など苦痛の表現。悶死、知死期など死の表現。
 (2)大正末期の新聞記事に見る切腹例
 どれぐらいの期間の記事を集めたものか分からないが、切腹という形の自殺方法を選んだ人が多いなという印象。本人は「切腹」と意識せず、ただ錯乱状態の中で刃物を胴体に突き立てただけ、という例もあるだろうけど。
 (3)切腹雑考
 介錯や思い指しなどの論考。文章から、著者は少年(美少年)の切腹が好きなんじゃないかと思えてくる。自分がその部分に特に注目しているだけだろうか?
 (4)アンケート
 切腹に興味ある若い女性にとったアンケート。
 Q.演劇、TVドラマ、映画、文芸で切腹について感動した例は?また史上の人物は?などというアンケートが16問ほど。
 応えとしては…、A.白虎隊の少年たちの切腹場面は感動的。(大学18歳) A.昭和60年12月30日31日の忠臣蔵浅野内匠頭の切腹。切腹ののち、青い画面に白い桜が大きく映り散ってゆくのが象徴的できれい。(高校17歳)などなど。この冊子が発行されたのが1986年らしいので、この時期の高校生ということは現在の40歳ぐらいということか。
 
 いろんな企画があって読み物として面白かった。退屈せずに一気に最後まで読めてしまった。

スカル&ボーンズ―秘密クラブは権力への通路
Alexandra Robbins,太田 龍
成甲書房
NHK「その時歴史が動いた」コミック版 忠臣蔵編 (ホーム社漫画文庫)
NHK「その時歴史が動いた」取材班,谷口 敬,ながい のりあき,小川 おさむ
ホーム社

武市の三文字腹

2010-07-11 | ★レビュー(映像)
 大河ドラマ「龍馬伝」の武市半平太の切腹シーンは思ったよりも生々しく迫力のあるものだった。

 浅葱色の裃を肌蹴て、短刀に奉紙を巻いて、腹に構え…、まではよく見るシーン。しかし、そのあと、短刀を白装束越しに腹に突き立ててもカメラのアングルが変わらず、武市を正面から捉え続けている。左下腹に突き立てた短刀を、両手でギリギリと押し切っていく。この段階では血が滲んでいるような感じはなかった。「血はやっぱり見せないのかな」と思った。
 アングルが替わり、介錯人が刀を振り下ろそうとするが、武市が一括、二文字目を掻き切る。アングルが武市正面に戻り、赤黒く染まった白装束の腹部が映し出される。ここまで装束を血に染める演出をするとは思っていなかったので、ちょっと吃驚した。
 雷鳴が聞こえ、突然の夕立が武市たちを打つ。妻である富が武市からの手紙を読むシーンと、岡田以蔵の斬首シーンとが入れ替わりながら進み、最後に血だまりに突っ伏す武市が映し出される。介錯は無かったように見えた。

 腹こそ見せなかったが、血に染まる白装束が見られたのは驚きだった。リアル志向の「龍馬伝」ならもしかしたら、とは思っていたけど、予想以上だった。斬首された以蔵の倒れた死体も後ろから映すシーンがあった。

 「龍馬伝」は来週から第3部に突入する。岩崎弥太郎の「(喜びや悲しみ、出会いや別れを経験して)龍馬は、“あの”坂本龍馬になっていく」というナレーションが印象に残った。

新装普及版 武市半平太伝
松岡 司
新人物往来社
雨に添う鬼 武市と以蔵
秋山 香乃
講談社

「櫻 VOL.2」

2010-07-10 | ★レビュー(本)
引き続き、以前に戴いた書籍群の中から「櫻 VOL.2」(1986年発行)を紹介する。

 これは切腹研究の大家、中康弘通氏が切腹の歴史・文芸・芸能の研究伝承を意図して発刊されたそうだ。VOL.1は手元にない。
 内容は、1.中康氏の創作した短編小説、2.その他作者の作品紹介、3.切腹の描写と用語の解説、4.アンケート、5.あとがき、となっている。

 1.短編小説「冷たい夜」
 17歳の若原咲子は、慰問公演で宝塚歌劇の少女たちが演じた「少年白虎隊」の切腹の場面が忘れられずにいた。もしアメリカ軍と本土決戦になり最期の時が来たら、自分もあの少女たちのようにお腹を切りたいと思っていた。
 咲子は軍需工場の監督官である若い陸軍将校の家に住み込み、家事の手伝いをすることになった。咲子はすぐにでも自分の体は独身の中尉に奪われるものと思っていたが、そんな気配は全くなかった。やがて終戦になり、ただ一夜だけ中尉は咲子を抱き、早朝には褌一枚だけの裸身で切腹して果てていた。あとには咲子宛ての遺書と通帳と短刀が遺された。
 戦時中に父母も兄も行方知れずとなり、身寄りが無くなった咲子は兄の友人と結婚したが、ほどなくして夫は闇市のいざこざから腹を刺されてあっけなく死んだ。自分と関係した男が二人とも腹を刺して死んだことに何か因縁めいたものを咲子は感じた。
 色街で働き始めた咲子は、30歳になる前に中尉が遺してくれた短刀で切腹すると決めていた。咲子は、ある兄妹の切腹に立ち会ったという男と出会う。胸を患った兄は余命幾ばくもなく、妹が進駐軍相手に体を売って生活をしてしたが、二人で死ぬと決めたという。冬の満月の夜、河川敷で、先に兄が、続いて妹が腹を切り、二人とも介錯もなく逝った。友人である男は最後までそれを見守った。
 咲子はこの男に自分の最期に立ち会って欲しいと思い、数年前に兄妹が切腹した河川敷で、切腹した日付の日に自分も切腹して死ぬと告げた。
 当日の夜、男は約束の場所に現れなかったが咲子は気にしていなかった。咲子は白虎隊を演じた少女たち、そして監督官の中尉のことを思い出していた。「監督官どの、お側へ参ります」白いブラウスをたくしあげ、短刀を左下腹に押し込んだ。血がずらした下着に飛ぶ。腹を切りたいから死ぬという思いを貫き、咲子はその人生で一番充実した瞬間を通り過ぎた。
 最期を見届けるはずだった男は、約束の場所に急ぐ途中バイク事故に遭い人事不省で病院に運ばれていた。


 …ちなみに男が死んだという記述はない。この物語の真髄は最後の「死にたいから腹を切るのではなく、腹を切りたいから死ぬ…云々」という一文に尽きると思う。なぜなのか理由は分からないが切腹に魅入られた女性が、自分の夢である切腹を実行に移す。将来を悲観したのではなく、生きることに何の未練もなく、ただ切腹したい、と。擬似的なものではなく本物の。
 現代の宝塚歌劇で白虎隊をテーマにした演目をやることはあるんだろうか?忠臣蔵をやってるのをTVで見たことはあるけど。もしやってるんなら見に行ってみたいな。

続きは次回の記事で。

TAKARAZUKA REVUE 2010
宝塚ムック
阪急コミュニケーションズ
短刀9寸(黒塗り)
岐阜県関市
岐阜県関市

「日本お伽噺 白虎隊」

2010-07-06 | ★レビュー(本)

 前回に続き、3年前に戴いた書籍の中の一冊を紹介する。

 11年前に亡くなったうちのお祖父ちゃんはたしか明治42年生まれだった。この冊子はお祖父ちゃんが生まれるさらに8年前に発行されたということになる。凄く貴重な物なんじゃないだろうか。うちには江戸時代からある蔵みたいなもんはないので、この本より古い物って他にあんまり無いだろう。
 藁半紙みたいな薄いページをめくるとパリパリ音がして、昔うちにあった「子供文学全集」っていう分厚くて古い本と同じ匂いがする。

 “諸君!諸君が初めて國民軍に成るのは、十七歳の時ですが眞個(ほんと)に兵籍に入れられるのは、満廿一歳の時でありましやう。
 其処でこの白虎隊の、勇壮活発なる少年達が、己に兵式の進退に通じて、初陣の功名を為た揚句、あの飯盛山の頂邊で、勇ましい最後を遂げたのは、實に何歳の時でありましたらう?”
 (↑当時の難しい漢字が見当たらないので現在の漢字で表記してる部分もあります)

 …という書き出しで始まる白虎隊の読み物。字の大きさや文章の簡単さ、漢字全てに仮名が振ってあることを考えると小学校低学年向けの冊子だと思われる。
 大政奉還や鳥羽伏見の戦い、上野の彰義隊の話を経て会津戦争へ。鶴ヶ城が一ヶ月の籠城に耐えたこと、白虎隊の少年たちが勇ましく戦い立派な最期を遂げたことが、難しい単語を使わず簡単な文章で書かれている。戦いの場面の文章はテンポが良く、声に出して読むと講談調になりそうな感じだ。

 発行年の明治34年とは、20世紀最初の年。昭和天皇が生まれた年で、与謝野晶子が「みだれ髪」を発表した年。ノーベル賞が創設され、ABO式血液型が発見された年でもあるそうだ。血液型による性格判断は少なくともこの年より以前にはなかったのだ。
 この頃には白虎隊の逸話は一般に知られていて、賊軍という扱いも無くなっているようだ。逆に若年ながら大人以上の働きをしたと誉め讃えられている。
 文章中、飯盛山で自刃したのがなぜか19人となっている。蘇生した飯沼貞吉(文章中では改名後の貞雄となっている)も数に入っているので、誰か1人名前が抜け落ちているようだ。19人の名前が書いてあるので調べてみると、津田捨蔵の名前が無かった。自刃した者としてまだ認識されていなかったのだろうか。

 冊子の後半は兎の親子と白鷺を擬人化した文字通りのお伽噺が掲載されている。

幕末烈士伝チョコ BOX (食玩)
バンダイ
バンダイ
幕末・明治美人帖 (新人物文庫)
ポーラ研究所
新人物往来社

「武士道無惨伝」

2010-07-03 | ★レビュー(本)
 嗚呼、いつの間にか7月だ。今年がもう半分過ぎてしまった。

 「武士道無惨伝」(平田弘史)という漫画を読んだ。以前、プレゼントされた「切腹」や「白虎隊」に関係する書籍のうちの一冊だ(
一覧はこちら⇒)。著者平田弘史については説明する必要もないと思う。本物の戦国時代・江戸時代はこんなんだったんじゃないだろうか、と思えるほど実写時代劇よりも重厚で迫力のある絵を描く御仁。
 このハードカバーの本の表紙には上半身もろ肌脱ぎになった壮年の武士が両手で掴んだ大刀で立腹を切っている姿が描かれている(凄い表紙^^;)。
 9話の短編が収録されており、どの話も武士の生きざま(というか死にざま)の凄まじさを感じさせる。そして必ずと言っていいほど腹を切る場面がある。少年が切腹する場面のある話も3話あるが、その中の一つのあらすじを紹介する。

「悲愴の父」
 病床の若君鶴千代の傍に仕える市之丞は、「若君が他界あそばされたならば追い腹を切る覚悟」と父新九郎に告げる。新九郎は一計を案じ、市之丞が心労から発狂したことにして、抵抗する息子を無理矢理座敷牢に閉じ込める。
 「市之丞、発狂」の報告に不審を抱いた家老松倉民部は、篠宮小四郎に確かめてくるように命じる。切れ者の小四郎は新九郎の嘘を即刻見抜き、新九郎は老いてから授かった一粒だねを失いたくないと白状する。小四郎は新九郎に同情し、市之丞は確かに発狂していたと報告。さらに、鶴千代が十四歳の若さで他界すると、「追い腹無用である」と藩主右京太夫に宣言させる。
 しかしそれを快く思わない家老松倉民部はその触れを握り潰す。そのせいで追い腹を切る者が出てしまう。小四郎は自ら馬を走らせて「追い腹無用!」と各家を触れて回るが、臆病者呼ばわりされるばかりで追い腹を切る者が続出。鶴千代に仕えた息子に無理矢理腹を切らせる父親まで現れる。
 そんな中、市之丞発狂は嘘ではないかと新九郎への風当たりは強くなる。新九郎は小四郎に伴われて藩主右京太夫に全てを打ち明けるが、右京太夫は新九郎を責めることはなかった。新九郎が家に帰ると市之丞が座敷牢を抜け出し刀を振り回す騒ぎを起こしていた。「市之丞発狂は真であった」という噂が広まり、新九郎を責める者はいなくなる。
 追い腹騒動は鎮静化し、新九郎、市之丞父子に静かな日々が訪れたのだが…、市之丞はいつか鶴千代が来てくれると信じ庭を掃き続ける。


 物語はまさに“無惨”といった感じだ。市之丞は鶴千代に会えぬ苦しみにとうとう精神を病んでしまった。
 この話には前髪を落とす前の少年の切腹が二場面描かれている。この少年の髪型は
角前髪と呼ばれるものなんだろうか?この髪形の生首というのは、すぐに「=少年」と断定できるだけに凄惨さを増幅させる。
 介錯を受けて転がる小さな首や、倒れた華奢な体が何とも言えず萌える。

※戴いた切腹・白虎隊関係の書籍の一覧を掲載した記事「切腹100年史」は、
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