ちょうど10年前の今日、マグニチュード6.8の大地震が新潟を襲った。
もうすっかり、記憶から遠のいてしまっているけれども、あの時の衝撃はすごかった。
クエストの卒業生のご縁で、ボクたちは小千谷幼稚園にアートセラピーによる支援活動を行った。
その年は例年に比べて雪が多く、雪国の寒さをたっぷりと味わった。
補修が十分ではない関越道がようやく開通したころ、夜行のバスに揺られ、小千谷市に入った。
小千谷幼稚園には、園児が140人ほどいたのを覚えている。
先生たちは、自分たちだって被災者なのに、園児やその家族の安否を確かめるために市内を走り回っていた。
約1年間、小千谷幼稚園に通い、園児や先生たちとアートワークを楽しんだ。
そのころの様子を思い出そうとして、このブログの履歴を調べたら、なんと10年前はまだブログをやっていなかった。
交代で、クエストの卒業生たちを3日間ずつ派遣し、年少、年中、年長の園児たちと共に過ごした。
いろんなことを思い出すけど、ボクの一番の思い出は給食。
とってもおいしい食事だった。
お代わりをするには、ちゃんと食べ終ってからじゃないといけないことを、子どもたちから教わった。
ある時、食べ終ってから
「なんだかデザート食べたいね」っていう話になった。
ボクが、
「そうだ、アイスクリーム食べよう」っていうと、子どもたちは目を丸くして「あるの?」って聞いた。
「あるよ、ほら」と言って、ボクは何もないお皿からアイスを食べたふりをした。
「あー、冷たくておいしい!」
「なーんだ」っていう園児もいたけど、おいしいって言いながら食べてると、次々に、子どもたちが、アイスクリームを食べはじめた。
「ヨーグルトがいい」っていう子どももいた。
先生も一緒に食べた。
みんなで食べた給食もおいしかったけれども、もっともっとおいしいデザートタイムだった。
子どもたちの満足そうな顔が忘れられない。
あれから10年。
今日、長岡市で合同追悼式があるそうだ。
東日本の大地震でさえ、都会では少しずつ風化していってしまっている。
でも、ボクの心の中には、あの園児たちの声や笑顔が、そしてガレージで寝袋にくるまって寝た仲間たちとの時間は、忘れない。


もうすっかり、記憶から遠のいてしまっているけれども、あの時の衝撃はすごかった。
クエストの卒業生のご縁で、ボクたちは小千谷幼稚園にアートセラピーによる支援活動を行った。
その年は例年に比べて雪が多く、雪国の寒さをたっぷりと味わった。
補修が十分ではない関越道がようやく開通したころ、夜行のバスに揺られ、小千谷市に入った。
小千谷幼稚園には、園児が140人ほどいたのを覚えている。
先生たちは、自分たちだって被災者なのに、園児やその家族の安否を確かめるために市内を走り回っていた。
約1年間、小千谷幼稚園に通い、園児や先生たちとアートワークを楽しんだ。
そのころの様子を思い出そうとして、このブログの履歴を調べたら、なんと10年前はまだブログをやっていなかった。
交代で、クエストの卒業生たちを3日間ずつ派遣し、年少、年中、年長の園児たちと共に過ごした。
いろんなことを思い出すけど、ボクの一番の思い出は給食。
とってもおいしい食事だった。
お代わりをするには、ちゃんと食べ終ってからじゃないといけないことを、子どもたちから教わった。
ある時、食べ終ってから
「なんだかデザート食べたいね」っていう話になった。
ボクが、
「そうだ、アイスクリーム食べよう」っていうと、子どもたちは目を丸くして「あるの?」って聞いた。
「あるよ、ほら」と言って、ボクは何もないお皿からアイスを食べたふりをした。
「あー、冷たくておいしい!」
「なーんだ」っていう園児もいたけど、おいしいって言いながら食べてると、次々に、子どもたちが、アイスクリームを食べはじめた。
「ヨーグルトがいい」っていう子どももいた。
先生も一緒に食べた。
みんなで食べた給食もおいしかったけれども、もっともっとおいしいデザートタイムだった。
子どもたちの満足そうな顔が忘れられない。
あれから10年。
今日、長岡市で合同追悼式があるそうだ。
東日本の大地震でさえ、都会では少しずつ風化していってしまっている。
でも、ボクの心の中には、あの園児たちの声や笑顔が、そしてガレージで寝袋にくるまって寝た仲間たちとの時間は、忘れない。


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