5月がもうすぐ終わる。
時折開く『日本の七十二候を楽しむ』という本がある。
24節季七十二候について、イラスト入りで紹介されている。
季節は、小満から芒種へと移ろいで行く、らしい。
6月に入ると、麦の収穫、ということ。
ボクは、(日本人なのに)農作業をしたことがないので、季節の移り変わりを肌で感じることがなかなかない。
でも、この「麦」という言葉は、二つのことに連想がつながっていく。
一つは、いしいしんじの『麦ふみクーツェ』という、ファンタジー小説。
しばらく、いしいしんじに夢中になっていたころがある。
そのきっかけが、この『麦ふみクーツェ』
なんだか不思議な物語だった。
「ぼく」が主人公で、音楽好きのおじいちゃんと素数にはまっているお父さんと、背が異様にでかいぼく、との物語。
このぼく、の成長の物語なんだけれども、ある朝窓の外を見てみると、そこにはいつもの運河ではなく、麦畑が広がっている。
おまけに麦踏の音まで聞こえてくる。
そう麦踏み。
現代はローラーで一気にやってしまうらしいけど、人が並んで麦を踏む光景をなんとなく知っている。
その物語には、そらからネズミが降ってくる、という場面があるんだけれども、ちょうどその時期に、日本のどこかで空からおたまじゃくしが降ってきたこと、ありましたよね。
それも、一か所だけじゃなくて、何か所かで続いたような記憶がある。
不思議な物語と、不思議な現実、だった。
もう一つの「麦」にちなんだことは、北海道のグロース。
十勝の麦の収穫は、7月半ばから後半。
だから、グロースで士幌に訪れると、ちょうどそれはそれは大きなトラックが収穫した麦を運んでいる。
20年前は、トラックの運ちゃんたちに「あぶねぇぞ!」と怒鳴られていたけれど、最近は、士幌では夏のいつものこととして認識されているのか、子どもたちの横を通り抜けていくトラックに、優しさを感じる。
収穫の終わった麦畑の横を、子どもたちが走り抜けていく様子は、いつも心打たれてしまう。
と、まあ、そんな季節が近づいてきたということ。
グロースの夏は、6月に入るとすぐに、イントラとサポーターのグランディングをする。
これから梅雨がはじまるというのに、ボクの心はもう、気持ちはすっかり夏、なのであります。
時折開く『日本の七十二候を楽しむ』という本がある。
24節季七十二候について、イラスト入りで紹介されている。
季節は、小満から芒種へと移ろいで行く、らしい。
6月に入ると、麦の収穫、ということ。
ボクは、(日本人なのに)農作業をしたことがないので、季節の移り変わりを肌で感じることがなかなかない。
でも、この「麦」という言葉は、二つのことに連想がつながっていく。
一つは、いしいしんじの『麦ふみクーツェ』という、ファンタジー小説。
しばらく、いしいしんじに夢中になっていたころがある。
そのきっかけが、この『麦ふみクーツェ』
なんだか不思議な物語だった。
「ぼく」が主人公で、音楽好きのおじいちゃんと素数にはまっているお父さんと、背が異様にでかいぼく、との物語。
このぼく、の成長の物語なんだけれども、ある朝窓の外を見てみると、そこにはいつもの運河ではなく、麦畑が広がっている。
おまけに麦踏の音まで聞こえてくる。
そう麦踏み。
現代はローラーで一気にやってしまうらしいけど、人が並んで麦を踏む光景をなんとなく知っている。
その物語には、そらからネズミが降ってくる、という場面があるんだけれども、ちょうどその時期に、日本のどこかで空からおたまじゃくしが降ってきたこと、ありましたよね。
それも、一か所だけじゃなくて、何か所かで続いたような記憶がある。
不思議な物語と、不思議な現実、だった。
もう一つの「麦」にちなんだことは、北海道のグロース。
十勝の麦の収穫は、7月半ばから後半。
だから、グロースで士幌に訪れると、ちょうどそれはそれは大きなトラックが収穫した麦を運んでいる。
20年前は、トラックの運ちゃんたちに「あぶねぇぞ!」と怒鳴られていたけれど、最近は、士幌では夏のいつものこととして認識されているのか、子どもたちの横を通り抜けていくトラックに、優しさを感じる。
収穫の終わった麦畑の横を、子どもたちが走り抜けていく様子は、いつも心打たれてしまう。
と、まあ、そんな季節が近づいてきたということ。
グロースの夏は、6月に入るとすぐに、イントラとサポーターのグランディングをする。
これから梅雨がはじまるというのに、ボクの心はもう、気持ちはすっかり夏、なのであります。
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