自分セラピー

「自分を好きでいる」ことは人生を豊かにしてくれます。そこに気づかせてくれる沢山のファンタジー文学を紹介していきます

「うち」という自分

2014-05-29 04:47:49 | ひとり言
最近、ある大学生と話をする機会があった。


相談したいこと事がある、ということだった。


事前に話を聞いたときに


「うちが、もうぐちゃぐちゃで・・・」


ということだったので、家族とのことで何か問題があったのだろうと、気になっていた。


しかし、「うち」は「家」のことではなくて、「自分」のことだった。


つまり、「うちが、もうぐちゃぐちゃで」は、「私の頭が混乱して」という意味だったのである。


この、自分のことを「うち」と呼ぶ人は結構多い。


関西圏では普通のことだろうけれども、東京でも若者の間ではよく使われている。


ボクには、違和感があるのだけれども、「はやり」ということなのかもしれない。


自分のことを表現する言い方は、いくらでもある。


ボクは、「ボク」とか「オレ」というい方をする。


名前で呼ぶ人もいるけれど、さすがに「カズタカはね」とは言わない(ジブンガキモチワルイ)


はやりのことばは若者たちの特権で、日本語はそうやって変化し、発展も?してきている。


20年ほど前は、(もうほとんど遺物となっていると思うけれども)「語尾揚げ」が流行っていた。


なんとかでなんとかで


何か質問されているような錯覚をした記憶がある。


数年前は、「じゃないですか」も流行っていたような気がする。


「ボクって、コーヒー好きじゃないですかぁ」(シラネェヨ)と突っ込みを入れたくなるような言い回しだった。


コンビニのレジでは、一万円札をわたすと、「一万円からお預かりします」もあった。


そのたびに、「からってなんだよ」と心の中でつぶやいていた。


最近は聞かなくなっちょうな気がする。


レストランに二人で入ると、


「お二人でよろしかったでしょうか」と過去形を使う。


これも違和感があるけれども、だいぶ減ってきたような気がする。


「美しい日本語を!」なんて言ったところで、しょせん、言葉は変化していくもの。


こんなことを気にするなんて、ボクもずいぶん年を取ったってことなんでしょうかねぇ。





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