自分セラピー

「自分を好きでいる」ことは人生を豊かにしてくれます。そこに気づかせてくれる沢山のファンタジー文学を紹介していきます

最近冒険してますか? part.Ⅱ

2006-04-28 14:49:55 | JIPATT
(4/27のつづき)                                                                           ある夏の日、3人で江ノ島の海に行くことになったのです。しゃべらない「おとーさん」と、臆病で泣き虫のボクと、大好きなオカーシャンと。
おそらくボクにとって初めての海でした。
こわいこわーい「おとーさん」に手を引かれて波打ち際を歩きます。
波は、足元の砂をさらっていきます。
ただでさえ「おとーさん」が怖くてボクは泣きそうなのに、足元から地面が消えていく…
とーぜん大泣きです。

少し落ち着いてから「おとーさん」が、砂浜でうつぶせになって寝始めました。
『おしりにすわってごらん。写真撮ってあげるから』と残酷なオカーシャン。
そんなの無理に決まってるじゃん、と思いながらも、母親は根拠のない『ダイジョーブだから』を連発するのです。
おそるおそる「おとーさん」のおしりに座るボク(実はほんのはじっこに座っているフリ)。



緊張して泣きそうな、ボクです。

~~~~~~~~~~~~~~~
ビルボも、冒険に巻き込まれてしまいました。
ボクも母親の強引な誘いにのってこわい「トロルおとーさん」のおしりに座ったわけです。
たったこれだけのことだけれど、これが、ボクの覚えている冒険。
その後のボクは・・・・・相変わらず臆病で泣き虫でしたが。

さて、これが、何度もお話している「安定から、冒険へ」という流れです。このプロセスを何度も何度も繰り返しながら自立を完成させていくのです。
これは物語の持つ特徴であると同時に、人間が自立していく上での自然なプロセスそのものでもあるのです。
母親の元を離れ(居心地のいい場所を離れ)、自分だけしか知らない体験を積み重ねていくこと。これが「自立」への第一歩なのです。でも必ず、この冒険が成功するとはいえません。

前回のブログでご紹介した、私の「オカアシャーーンッ!!」事件は、ボクが旅立つというよりは、家に一人残ったのですが、母親から離れて一人の空間を体験することにおいては同じ「冒険」だったのです。そして、ボクのこの冒険は「完全な失敗」に終わったのです。なにせ自分の力で何とかしたのではなく、隣のおばちゃんに「救出されてしまった」わけですからね。(詳しくは前回のブログを・・・)
もちろん、この「失敗」も大切です。何度も何度も失敗しながら自立をしていくのですから。

みなさんの、幼いころのちょっとした冒険・・・・もし良かったら教えてください。
あなたの幼児体験を、心理構造から説明できるかもしれません。

居心地のいい環境にばかりいると、だんだん居場所が窮屈になってきてしまいます。しまいには、居心地のいいはずの場所が居心地悪くなってしまうこともありますからね。
場所だけじゃありません。人間関係も同じです。付き合いやすい人とばかり一緒にいると、どんどん人間関係の幅が狭くなってきてしまいます。
そう、感じている人も多いんじゃないかな?
自分の活動の周辺領域を広げていくこと。
これが「自立」への大切な一歩です。

ところで、あなたは最近・・・・冒険してますか?


次回は、トロル退治に一体どんな意味があるのか・・・日本では・・・かいじゅうですね。
お楽しみに!!


□○◇・□○◇

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12 コメント

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私の冒険 (nozomi)
2006-05-02 13:48:03
冒険らしい冒険は思い浮かびませんが、ひとつだけドキドキした記憶は、小学校1年生のときのある朝、母に朝食用のパンを買って来るように言われて、初めて一人でおつかいをしたことです。「食パンひと山」っていうのが覚えられず、メモとお金を持たされて否応無しに行くハメになったのを覚えています。「"食パンひと山"を覚えてしまうと行かなくちゃ行けない」=「覚えなければ行かずに済む」って本気で思ったけれど、その考えは甘かったなぁ。

それにしても、お宝写真の柴崎少年の表情が何とも言えませんねぇ。
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食パンひと山 (しばしば)
2006-05-02 17:40:40
冒険は、突然、それも思いもかけずにすることになるんですよね。TVの番組でも、「おつかいシリーズ」はよく見ていました。あの、どきどきした感覚や、お金がなくなってはいないかという心配は、ボクも覚えています。握り締めていたコインで、手のひらに跡が残るくらいだったなぁ。

しかし、「食パンひと山」って・・・・

今ボクが頼まれても、とまどうなぁ。

どれくらいのことなんだろう???



あぁそのときの健気な"nozomi"に shanti-supreme!!

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こんばんは (ゆみこ)
2006-05-02 20:34:22
すっごく久しぶりに、夢日記をつけはじめました。

それで、ふとクエストのホームページを覗いてみたら、

しばしばのブログ発見!

なんだか嬉しいです。



たまちゃんとかyokoさんのコメントもあって、

ひとりで盛り上がってしまいました。



これからも楽しみにしていまーす。





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柴崎少年、、たまんない。 (yoko)
2006-05-03 13:03:18
冒険。

3歳の入園式の日に、そこで知り合った同い年の男の子と、入園式を抜け出し、園庭で二人で遊んでいました。親や先生が慌てて探していたようです。

4歳くらいの時に、近所の同い年の男の子と一緒に、家から少し離れた場所で何やら語っていました。でも、時間は結構経っていたみたいで、親達がかなり心配して探しまわっていたようです。

(突然、消えてしまうことが多い子供だったようです。)

大学の時、帰り道に友人と家まで近道する為に、山の中を抜けようとなりました。でも夕方だったから道もすぐに見えなくなり、木も生い茂っているから、あっという間に漆黒の闇。怯える友人の手を引き、なんとか手探りで抜けました。あんな暗闇は生まれて初めてでした。でも抜けた時はかなり勇気リンリンでした。

(近道する為に、子供の頃から田んぼや畑や人が通らなさそうな所を通るのが好きでした)



しかしこれ、冒険ではないですかね…。

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漆黒の闇・・・・ (しばしば)
2006-05-03 15:27:37
突然消えてしまう子ども・・・・これは、神隠しのテーマですね。親や先生たちにとっては、とても怖い体験だったでしょうね。当の本人たちは、すっかり楽しんでいたのですし、「隠された」わけじゃなかったから、よかったですね。

このケースは「冒険」というよりも、母子一体の状態での、周辺の領域が広がっている状態とでも言いましょうか。子どもにとっては、振り返ればそこに母親がいるという感じかな。安心の中に居続けていますからね。

大学時代の山の中は・・・・冒険というよりも、「無謀」ですよ。遭難しなくて本当に良かった。

しかし、この「漆黒の闇」は、私たちの恐怖の根源を刺激するものです。怖いからこそ、人間はみなこの闇が大好きです。物語でも、映画でも、このテーマは人気が出ますからね。

『ホビットの冒険』にも出てきますし、漆黒の闇を人工的に作り出すワークショップもあるほどです。夏の、グロースセミナーでも、子どもたちが体験するし・・・あぁ語ればいくらでも出てきます。

次回か、いやもう少し後になるけれかもしれないけれども、ブログで「漆黒の闇」について紹介しますので、お楽しみに。



「無謀な」yokoに   shanti-supreme

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冒険~ (あっぷん@osaka)
2006-05-03 20:06:57
私の思い出す冒険は、遠方の小学校への入学。

周りのお友達と同じ小学校に行きたかったけど、勝手に決められてた。せっかく新調してもらっていた赤いランドセルが無用になった。一人でバスに乗らなきゃいけないと知って、家が揺れるくらい泣いた。

通学中に見たことあるおばさんと会ったら、ご挨拶。恥かしがり屋の私には「こんにちは」がすんごい冒険。

学校に行ったらクラスメートは知らない人ばかり。休み時間も大冒険。初めて「ジャングルジム行こう!」って誘ってくれた女の子は神様に見えた。全校集会では「おしっこいきたい」が言えなくておもらし。

先生がそんな私を見かねたのか、2年生で学級委員に任命されて、上級生と一緒に委員会。初めてみんなの前で話す時は、手が震えて心臓が飛び出るかと思った。が、そのうちだんだん態度がでかくなってきて、「恥かしがりや?どこが?」と言われるまでになったが、今でも分かる人に分かるみたい。
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一人でバス (しばしば)
2006-05-04 05:25:28
小学校に交通期間を使って通うのは、確かに大きな冒険ですね。ビルボ・バギンス君は馬に乗って冒険に旅立ちましたが、自分で何とか制御できます。でも、あっぷん@osaka の場合は自分の力ではなく、機械が自分をどこかに連れて行ってしまうわけですから、不安はつのりますね。

しかし、その分、社会性はどんどん育っていくわけです。自我の成長はスピードアップされたのかもしれませんね。



おもらししてしまった、あの気分。ボクも経験があります・・・・shanti-supreme



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すごくいい (ちゃい)
2006-05-06 16:37:09
写真。すごくすごくいい!!!!

何度も何度もみてニマニマしました。

私の冒険も。。。

私の実家は大学の寮の敷地の中にありました。だから庭の前は私の背の倍くらいの大学の仕切りの金網がありました。家は長屋つくりでうちが長屋の中央にありました。そして隣の家との庭がずっと続いていました。

私の冒険はその金網沿いに端っこの家まで行ってみることでした。距離にして、400メートルくらいでしょうか?



幼稚園時代最初は金網の内側を。。。庭の樹をかきわけ、くもの巣をはらい、どんどん進みます。

小学低学年その金網の外側を外側はかなり危険。私の家の側からだと1階だけど反対側は地理の関係上、2階の位置になっています。金網を登り反対側へ行くのは地上3階くらいになります。しかも金網は古くてガタガタいいました。



一番の難関が、お寺の尼さん。

お寺の前を金網沿いにとおると必ず。「こらー」

目の前に住むおばさんもめざとくて、「えりちゃんだねー」と。しかられたものでした。



しかも母の情報網はすごくて、どこで私が何をしていたか、ママネットでいつも知られていたような記憶があります。



冒険しても結局手の中。孫悟空のようです。
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庭の金網 (しばしば)
2006-05-10 06:02:44
『大脱走』という映画を思い出しました。今考えると、凄い俳優たちが出演していたアメリカ映画でした。知ってますか?

スティーブ・マックィーン、ジェームズ・コバーン、それから名前を忘れちゃったけど「うーむ、マンダム・・・」の宣伝の俳優も。

第2次世界大戦で、捕虜になったアメリカ兵たちが、地下を掘って金網の向こう側に脱走するという迫力満点の映画です。



金網もしくは、囲いは「安全」の象徴でもあるし同時に「守る」事の象徴でもありますね。



この中にいれば、何も変わらずに安全でいられるのです。



しかし、この内側にいる存在の中に、この安全をよしとしない存在が出てくるのです。

グリム民話などで必ず登場する、「王様の3番目の息子」のような存在です。

「バカ息子」のような伝えられ方をしていますが、実際はこの内側の環境の危険を知らせる大切な存在なのです。



私たちが成長する過程で、「今の安全のままではいけない」という信号が内側から発せられます。これが、「母子分離への始まり」ともいえるのです。



ちゃいは、この象徴的な金網を何年も内側から探索し、ついには外へ脱走し、それを繰り返しながら成長してきたんですね。



それにしても、そんなチッチャイ頃から、「お寺」に縁があったんですねぇ



脱走兵のちゃいへ・・・・南無南無南無
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大失敗☆ (はちみつ)
2006-05-12 20:37:40
小学校にあがってすぐくらいの頃。

幼稚園は、送迎バスでの通園だったのですが、ある日私は歩いて園まで行ってみたくなりました。

手際よく旅の仲間を集め、いざ出発!!

と 思ったら。途中で仲間のHちゃんのお姉さんに遭遇。風邪気味なんだから遊んでいないで早く帰りなさいと言われているのです。

私としては、こんな大冒険に、体調の悪い子を連れて行く訳にいかない!と、真剣に思いHに「今日は帰りな!!」と言い放ち、私のウチに置いてきた荷物も忘れないように伝えました。

改めて、いざ出発!!一歩一歩進む度に、大きくなる自分を感じるような、誇らしい気分でした。

ところが・・・意外とあっさり着いてしまったのです。

拍子抜けしたような感覚の中、それでも懐かしい園庭がうれしかったのを覚えています。

中から、見たことのない先生が出てきて「よく来たね!!」と 焼きたてのクッキーをくれました。

この上なくおいしかった。Hちゃんも、ここにいればよかったのになぁ…と思いました。

そして帰宅すると・・・

待っていたのです。鬼のようなトロルが!!

私は、ナイショで幼稚園に行ったことで怒られているのだと思っていたら、そんなことより「いじめられた」とHちゃんが泣きながら戻ってきたことが大問題になっていたのでした。

武勇伝を話すハズだった母には背を向けられ、大好きなお友だちのハズのHちゃんを裏切る結果となってしまったという、はた迷惑な大冒険でした。

当時の私は、何でこうなっちゃったのかよくわからないケド悲しくて大泣きでした。



あーあ。







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