世の中には、自分が知らないことが星の数ほどある。
そしてそのほとんどが、知らないままに生涯を終えていく事になる。
でも、何かのきっかけで知らないことのうちの一つに触れてみて、そこに驚くほど深淵で神聖な発見をする事もある。
それら一つ一つのテーマは全く違っていても、そのことを深めていくと、何かひとまとまりの大きな存在につながっていく。
この週末は、ファシリテーターコースの3回目。
幾つかのテーマがシャッフルカードに書いてあり、一枚引いてそこに書いてあるテーマについて研究発表する。
約2か月間の間に、自分なりの切り口でそれを調べてくるのである。
昨日はその発表の日。
自分に全く縁のなかったテーマを掘り下げていくと、そこにそれを研究する意味のある偶然を発見していく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/4d/1dea9b6e4ccdd2345de05186fd5d5048.jpg)
それだけでなく、研究していくプロセスで、また新しい関心が生まれていく。
知りたいことがどんどん増えていく。
この知的作業の行先は、やはり共通した「何か」があるような気がしてならない。
河合隼雄さんの著書に、オモシロイ表現がある。
:::::::::
われわれは通常は自とか他とか、人間と ぞう とか、ともかく区別することを大切にしている。
しかし、意識をずうっと深めてゆくと、それらの境界がだんだんと弱くなり融合してゆく。
そして、いちばん底までゆけば「存在」としか呼びようのないような状態になる。
そのような「存在」が、通常の世界には、花とか石とか、はっきりしたものとして顕現している。
したがって、われわれは「花が存在している」と言うが、ほんとうは「存在が花している」と言うべきである。
中略。
「存在が花している」と言う表現は、私は大好きである。
「あれ、あんた花やってはりますの。わたし、河合やってますねん」とあいさつしたくなってくる気がするのである・・・・・
:::::::::
昨日のテーマは、宗教、民族、歴史上の人物、香道、音楽、数学理論、児童文学・・・・などなど多岐にわたる。
どれもこれも、共通した「何か」につながっている。
さあて、今日も一日中、講座があります。
今日も元気に「シバサキ やってまいります」
そしてそのほとんどが、知らないままに生涯を終えていく事になる。
でも、何かのきっかけで知らないことのうちの一つに触れてみて、そこに驚くほど深淵で神聖な発見をする事もある。
それら一つ一つのテーマは全く違っていても、そのことを深めていくと、何かひとまとまりの大きな存在につながっていく。
この週末は、ファシリテーターコースの3回目。
幾つかのテーマがシャッフルカードに書いてあり、一枚引いてそこに書いてあるテーマについて研究発表する。
約2か月間の間に、自分なりの切り口でそれを調べてくるのである。
昨日はその発表の日。
自分に全く縁のなかったテーマを掘り下げていくと、そこにそれを研究する意味のある偶然を発見していく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/4d/1dea9b6e4ccdd2345de05186fd5d5048.jpg)
それだけでなく、研究していくプロセスで、また新しい関心が生まれていく。
知りたいことがどんどん増えていく。
この知的作業の行先は、やはり共通した「何か」があるような気がしてならない。
河合隼雄さんの著書に、オモシロイ表現がある。
:::::::::
われわれは通常は自とか他とか、人間と ぞう とか、ともかく区別することを大切にしている。
しかし、意識をずうっと深めてゆくと、それらの境界がだんだんと弱くなり融合してゆく。
そして、いちばん底までゆけば「存在」としか呼びようのないような状態になる。
そのような「存在」が、通常の世界には、花とか石とか、はっきりしたものとして顕現している。
したがって、われわれは「花が存在している」と言うが、ほんとうは「存在が花している」と言うべきである。
中略。
「存在が花している」と言う表現は、私は大好きである。
「あれ、あんた花やってはりますの。わたし、河合やってますねん」とあいさつしたくなってくる気がするのである・・・・・
:::::::::
昨日のテーマは、宗教、民族、歴史上の人物、香道、音楽、数学理論、児童文学・・・・などなど多岐にわたる。
どれもこれも、共通した「何か」につながっている。
さあて、今日も一日中、講座があります。
今日も元気に「シバサキ やってまいります」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます