自分セラピー

「自分を好きでいる」ことは人生を豊かにしてくれます。そこに気づかせてくれる沢山のファンタジー文学を紹介していきます

ワーグナーも、フラクタルも、そして禅の心 あれこれ

2013-07-21 05:30:56 | ボクのクラス
世の中には、自分が知らないことが星の数ほどある。


そしてそのほとんどが、知らないままに生涯を終えていく事になる。


でも、何かのきっかけで知らないことのうちの一つに触れてみて、そこに驚くほど深淵で神聖な発見をする事もある。


それら一つ一つのテーマは全く違っていても、そのことを深めていくと、何かひとまとまりの大きな存在につながっていく。


この週末は、ファシリテーターコースの3回目。


幾つかのテーマがシャッフルカードに書いてあり、一枚引いてそこに書いてあるテーマについて研究発表する。


約2か月間の間に、自分なりの切り口でそれを調べてくるのである。


昨日はその発表の日。


自分に全く縁のなかったテーマを掘り下げていくと、そこにそれを研究する意味のある偶然を発見していく。





それだけでなく、研究していくプロセスで、また新しい関心が生まれていく。


知りたいことがどんどん増えていく。


この知的作業の行先は、やはり共通した「何か」があるような気がしてならない。


河合隼雄さんの著書に、オモシロイ表現がある。


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われわれは通常は自とか他とか、人間と ぞう とか、ともかく区別することを大切にしている。

しかし、意識をずうっと深めてゆくと、それらの境界がだんだんと弱くなり融合してゆく。

そして、いちばん底までゆけば「存在」としか呼びようのないような状態になる。

そのような「存在」が、通常の世界には、花とか石とか、はっきりしたものとして顕現している。

したがって、われわれは「花が存在している」と言うが、ほんとうは「存在が花している」と言うべきである。

中略。

「存在が花している」と言う表現は、私は大好きである。

「あれ、あんた花やってはりますの。わたし、河合やってますねん」とあいさつしたくなってくる気がするのである・・・・・


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昨日のテーマは、宗教、民族、歴史上の人物、香道、音楽、数学理論、児童文学・・・・などなど多岐にわたる。


どれもこれも、共通した「何か」につながっている。


さあて、今日も一日中、講座があります。


今日も元気に「シバサキ やってまいります」

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