1995年1月17日の朝。
飛び込んできたテレビからの映像に驚愕した。
今でもはっきりと記憶しています。
阪神淡路を襲ったあの地震は、3.11とは違う印象として心に強く残っています。
早朝から、出版社の社長さんから電話をもらい、
「今だからこそ出版しなければ」と、強く勧められ、4月にボクの最初の本である『やすらぎの扉』が出版されました。
その前の月の3月には、地下鉄のサリン事件があり、世の中の混乱はヒートアップしていった。
6月から検査入院した父親が、7月に旅立ったのもこの年でした。
大地震からちょうど半年たった、「17日」でした。
さらに、その年の暮れ、長年かかわっていたセミナーの会社の役員を下り、クエスト総合研究所を設立した。
激動の1995年。
この年は、ボクの厄年でもありました。
ボクにとっての、大きな節目の年であり、1月17日は忘れられない1日でもあるのです。
いつ、何が起きるのかわからない。
そんな当たり前のことを、目の前に突き付けられた体験を、今日は思い出します。
今日の一日を、丁寧にそして意志の力を持って生き抜いていきましょう。
飛び込んできたテレビからの映像に驚愕した。
今でもはっきりと記憶しています。
阪神淡路を襲ったあの地震は、3.11とは違う印象として心に強く残っています。
早朝から、出版社の社長さんから電話をもらい、
「今だからこそ出版しなければ」と、強く勧められ、4月にボクの最初の本である『やすらぎの扉』が出版されました。
その前の月の3月には、地下鉄のサリン事件があり、世の中の混乱はヒートアップしていった。
6月から検査入院した父親が、7月に旅立ったのもこの年でした。
大地震からちょうど半年たった、「17日」でした。
さらに、その年の暮れ、長年かかわっていたセミナーの会社の役員を下り、クエスト総合研究所を設立した。
激動の1995年。
この年は、ボクの厄年でもありました。
ボクにとっての、大きな節目の年であり、1月17日は忘れられない1日でもあるのです。
いつ、何が起きるのかわからない。
そんな当たり前のことを、目の前に突き付けられた体験を、今日は思い出します。
今日の一日を、丁寧にそして意志の力を持って生き抜いていきましょう。
なんせうちはこの日最愛なる父の葬儀でした(;_;)
葬儀が終わり一息ついてテレビを付けたら凄いニュースが飛び込んで来て目を閉じれませんでした(>_<)
あれからそんな月日がたつんですね(∋_∈)
今思えばあの時あたしは被災者の方に何もしてあげれなかったかも(;_;)
それが今は逆の立場になり受け身に(;_;)
恥ずかしい限りです(∋_∈)
沢山の方にお世話になり感謝仕切れない程有り難みを受けました(;_;)
いつかこのご恩を何かの形に変えて返せたらいいなと(≧ε≦)
阪神淡路は、初めて見る大災害でしたからね。
ところで、いつからブログ読んでくれてたの?
雪解けのころには、飲みましょうね。