ボクにとって、この作家は名前だけの存在でした。
聞いたことのある名前。
スタッフのマッキーに、薦められ本を借りて読んでみました。
昨年読んでみたのが、『デミアン』
そして、今年は、『車輪の下』
どちらも有名な作品だし、多くの人が読んだことがあるでしょうが、若いころにボクは全く興味もわかなかったし、読む機会もありませんでした。
こんな年齢になって読んでみて、感銘を受け、わが青春のころに読んでいたらどんな印象だっただろう・・・と、感じます。
もっとも、ボクの青春時代は、毎日テニスに明け暮れていましたから、読む暇もなかったんですけどね。
体育会のテニス部で、しごきは当然のように毎日のことでした。
ある秋の日、コート整備を終え、ごみも落ち葉も一つも落ちていない状態になって集合がかかります。
「シューゴーッ!」
一年坊は横一列に整列します。
「オマエラ!ソージしたのかよっ」
「しましたーっ」
「フザケタコト言ってんじゃネェヨ、後ろ見てみろよぉ」
非常にも、落ち葉が何枚も舞い降りています。
グランド回ってコーイ!」
こんな理不尽さが、体育会のしごきでした。
今となっては、笑い話ですが。
そんなボクの青春期と比べて、『車輪の下』のハンス・ギーベンラートも、『デミアン』のエーミール・シンクレールも、少年でありながら、深く感じ、自分を見つめ、痛みとともに生きています。
それに比べてボクは、毎日学校に通い、不良にもならず、いじめにも合わず、母親を悲しませないために「よい子」として、生きていました。
迷惑をかけないように生きる
そうやって、自分のことは考えないようにして生きていたのです。
結局ボクは、30過ぎてからそのツケをはらうことになるんですけどね。
本当の自分を見つめ、自分らしさを取り戻すための必死な戦いをすることになったというわけです。
「準備ができた時に与えられる」
ボクにとっては、青春期ではなく、この年齢がジャストタイミングだったのでしょうか。
いずれにしろ、人は必ず、自分自身を見つめなければならない瞬間を迎えるんですよね。
センデン!自分ヲ見つめるコトヲヒタスラシテイクノガボクのクラスです。ドーゾイラシテクダサイ
聞いたことのある名前。
スタッフのマッキーに、薦められ本を借りて読んでみました。
昨年読んでみたのが、『デミアン』
そして、今年は、『車輪の下』
どちらも有名な作品だし、多くの人が読んだことがあるでしょうが、若いころにボクは全く興味もわかなかったし、読む機会もありませんでした。
こんな年齢になって読んでみて、感銘を受け、わが青春のころに読んでいたらどんな印象だっただろう・・・と、感じます。
もっとも、ボクの青春時代は、毎日テニスに明け暮れていましたから、読む暇もなかったんですけどね。
体育会のテニス部で、しごきは当然のように毎日のことでした。
ある秋の日、コート整備を終え、ごみも落ち葉も一つも落ちていない状態になって集合がかかります。
「シューゴーッ!」
一年坊は横一列に整列します。
「オマエラ!ソージしたのかよっ」
「しましたーっ」
「フザケタコト言ってんじゃネェヨ、後ろ見てみろよぉ」
非常にも、落ち葉が何枚も舞い降りています。
グランド回ってコーイ!」
こんな理不尽さが、体育会のしごきでした。
今となっては、笑い話ですが。
そんなボクの青春期と比べて、『車輪の下』のハンス・ギーベンラートも、『デミアン』のエーミール・シンクレールも、少年でありながら、深く感じ、自分を見つめ、痛みとともに生きています。
それに比べてボクは、毎日学校に通い、不良にもならず、いじめにも合わず、母親を悲しませないために「よい子」として、生きていました。
迷惑をかけないように生きる
そうやって、自分のことは考えないようにして生きていたのです。
結局ボクは、30過ぎてからそのツケをはらうことになるんですけどね。
本当の自分を見つめ、自分らしさを取り戻すための必死な戦いをすることになったというわけです。
「準備ができた時に与えられる」
ボクにとっては、青春期ではなく、この年齢がジャストタイミングだったのでしょうか。
いずれにしろ、人は必ず、自分自身を見つめなければならない瞬間を迎えるんですよね。
センデン!自分ヲ見つめるコトヲヒタスラシテイクノガボクのクラスです。ドーゾイラシテクダサイ
のは大好きです。
自分って、イチバンキョウミブカイイキモノなので。
毎日そんな興味深い自分と一緒にいるのに、そのことを忘れてしまうこともありますが・・・。
今日から二日間、20期生のファイナルです。
イッテキマース