スタッフ3人を伴って、ふたたび「amanamana」に行ってきました。
例の、シンギングボールのギャラリー(ノルブリンカ)です。
ボクたちが行ってから、たくさんのお客さんが来て、ほとんどの品が売れてしまったそうです。
次の荷が届くのは来週。
それでも、残っているシンギングボールだけでも見てみたいという、スタッフの希望は見事にかなえられました。
結局、3人とも、お気に入りのボールを見つけて購入でした。
お店の秋山さんは、本当に承認上手。
お話をしていてとても気持ちが良くなります。
そして、ネパールから一時帰国をしている、Kさんもお店に来てくれて、ゆっくり話をすることが出来ました。
彼女は、21歳のときにバックパッカー(最近はあまり聞かなくなった言葉ですが、当時はやりの放浪の旅をする若者たちの呼び名でした)で、1985年のチベット弾圧の現場を見ていたそうです。
そのときに、彼女の心は「チベット」の虜になり、チベットの子どもたちのために活動をすることのきっかけになったようです。
それから現在に至るまで、東チベットの遊牧民の子どもたちのために学校を作り続けてきました。
しかしながら、その地域一体を、中国政府はナショナルパークにすることを決めたため、その遊牧民たちの居場所がなくなってしまうのだそうです。
なんだか、事情がよく呑み込めないけれども、世界的に先住民族の権利が少しずつ回復されているのに、それって・・・・
なんだか、憤りすら感じてきてしまいます。
それでもKさんは、現在居住しているネパールのカトマンズに、孤児の施設や学校をつくるプランを進めています。
日本に帰ってきた目的の一つは、介護の勉強をするため。
ネパールでも高齢化の問題はあるようで、学んだ事を現地で教えていかなければなりません。
「学校の維持費はどれくらいなんですか?」
ボクの問いかけに、千晶さんはにっこりと
「ひと月10万円です」と答えてくれました。
10万円で、子どもたちの学校を維持できる・・・・。
「先生は沢山いるんですか」
「何人でも来て欲しい。ボランティア大歓迎です。短期でも長期でも・・・。アートセラピーも教えてあげて欲しいなぁ」
貧困や病で苦しんでいる国家への援助は、実は経済では救いきれない事は知っています。
「人」なんですよね。
そして、価値観の変容こそが、最も受容なポイントです。
助けてもらう意識から、自らを救い出していく意識へ。
これはボクたちにとっても全く同じです。
ボクは、その話を聞いて、子ども未来研究所の今後の展開を考えました。
今、かかわりのある子どもたちは、比較的経済的にも、家族環境も恵まれています。
もちろん、悲しい現実に直面している子どもたちも日本には沢山いるでしょう。
でも、子ども未来研究所が作り出している喜びを、ネパールにも広げて行きたいと単純に感じたのです。
Kさんに見せてもらった、現地の子どもたちの笑顔が素敵です。
以前、「氷の回廊」についてのブログで紹介した、タムチョス少年の笑顔が思い出されます。
Kさんは、今月末の「響・鼓動」に参加してくれるだろうか・・・。
介護の勉強と重なっていて・・・と、かなり悩んでいました。
一緒に平和への祈りを捧げたらどんなに素敵でしょう。
「Kさん、来年、ネパールに行ってみようかな」
「是非きてください。ヒマラヤも、寺院も、素晴らしい場所に沢山ご案内しますよ。どんなに話をしても、伝わらない素晴らしさがありますから・・・。」
心は、早くもネパールへ・・・・
例の、シンギングボールのギャラリー(ノルブリンカ)です。
ボクたちが行ってから、たくさんのお客さんが来て、ほとんどの品が売れてしまったそうです。
次の荷が届くのは来週。
それでも、残っているシンギングボールだけでも見てみたいという、スタッフの希望は見事にかなえられました。
結局、3人とも、お気に入りのボールを見つけて購入でした。
お店の秋山さんは、本当に承認上手。
お話をしていてとても気持ちが良くなります。
そして、ネパールから一時帰国をしている、Kさんもお店に来てくれて、ゆっくり話をすることが出来ました。
彼女は、21歳のときにバックパッカー(最近はあまり聞かなくなった言葉ですが、当時はやりの放浪の旅をする若者たちの呼び名でした)で、1985年のチベット弾圧の現場を見ていたそうです。
そのときに、彼女の心は「チベット」の虜になり、チベットの子どもたちのために活動をすることのきっかけになったようです。
それから現在に至るまで、東チベットの遊牧民の子どもたちのために学校を作り続けてきました。
しかしながら、その地域一体を、中国政府はナショナルパークにすることを決めたため、その遊牧民たちの居場所がなくなってしまうのだそうです。
なんだか、事情がよく呑み込めないけれども、世界的に先住民族の権利が少しずつ回復されているのに、それって・・・・
なんだか、憤りすら感じてきてしまいます。
それでもKさんは、現在居住しているネパールのカトマンズに、孤児の施設や学校をつくるプランを進めています。
日本に帰ってきた目的の一つは、介護の勉強をするため。
ネパールでも高齢化の問題はあるようで、学んだ事を現地で教えていかなければなりません。
「学校の維持費はどれくらいなんですか?」
ボクの問いかけに、千晶さんはにっこりと
「ひと月10万円です」と答えてくれました。
10万円で、子どもたちの学校を維持できる・・・・。
「先生は沢山いるんですか」
「何人でも来て欲しい。ボランティア大歓迎です。短期でも長期でも・・・。アートセラピーも教えてあげて欲しいなぁ」
貧困や病で苦しんでいる国家への援助は、実は経済では救いきれない事は知っています。
「人」なんですよね。
そして、価値観の変容こそが、最も受容なポイントです。
助けてもらう意識から、自らを救い出していく意識へ。
これはボクたちにとっても全く同じです。
ボクは、その話を聞いて、子ども未来研究所の今後の展開を考えました。
今、かかわりのある子どもたちは、比較的経済的にも、家族環境も恵まれています。
もちろん、悲しい現実に直面している子どもたちも日本には沢山いるでしょう。
でも、子ども未来研究所が作り出している喜びを、ネパールにも広げて行きたいと単純に感じたのです。
Kさんに見せてもらった、現地の子どもたちの笑顔が素敵です。
以前、「氷の回廊」についてのブログで紹介した、タムチョス少年の笑顔が思い出されます。
Kさんは、今月末の「響・鼓動」に参加してくれるだろうか・・・。
介護の勉強と重なっていて・・・と、かなり悩んでいました。
一緒に平和への祈りを捧げたらどんなに素敵でしょう。
「Kさん、来年、ネパールに行ってみようかな」
「是非きてください。ヒマラヤも、寺院も、素晴らしい場所に沢山ご案内しますよ。どんなに話をしても、伝わらない素晴らしさがありますから・・・。」
心は、早くもネパールへ・・・・
来週末の、イベント『響・鼓動』に、少しご報告できると思います。
mihoさんは、いらっしゃいますか?
いずれにしろ、出来る限りのサポートをして行こうと思っていますので、ご協力お願いしますね。
ネパールの子どもたちへの支援ができたら、どんなに素敵なことでしょう。
子ども未来の活動が、どんどんグローバルに広がっていきますね☆