最近よく耳にするのだけれど、いや以前からそうかもしれない、「自己分析が怖い」と言う人たちがいる。
ボク自身、初めて「自分を見つめる」体験をするときはそうだったなぁ。
「自分を知りたい」けれども、どこかで「知りたくない」気持ちもある。
ただ、そのころのボクの場合は、人生に行き詰っていて、もうどうにもならない状況だったから「飛び込まざる」を得なかった。
でも怖かった。
ずいぶん参加者がたくさんいて、この中で「自分がどこまで できるのか試さなければ」みたいな気持で臨んだのも覚えている。
人生の土壇場に追い込まれていたからこそ、だったのかもしれないけど、あの時のボクはよく頑張ったと思う。
結局怖かったのは、講座そのものじゃなくて、「飛び込む勇気のなさ」を思い知ることが嫌だったような気がする。
頭の中では、世界にたった一人の自分なんだとか、自分らしく生きなきゃ、ってわかってはいるのに、結局一歩を踏み出していない自分に直面するのが嫌だっただけ。
今振り返って見ても、あのときに「飛び込んだ」ことが、結局その後のボクの人生を決定づけたってこと。
人生一度きりだから、これが「正解」かどうかはわからないけど、「満足しているかどうか」は自分にもよくわかる。
やりたいことをして、そのことを今日まで続けてくることができて(もうかれこれ27年)、おまけに仕事は今も楽しい。
「自分を知る」ことが、どれほど自分の人生に大きな違いを創りだすのかを、身を持って味わい続けている。
だから、もしかすると「自己分析が怖い」って言う人たちは、だからこそ今がその時なのかもしれないって思うのです。
何であれ、人生に完璧に満足している人たちは、こんなことには興味湧かないですからね。
怖がっているあなた!
どうぞ、ボクのところにいらしてください(^^)
って、近くの誰かに教えあげてくださいね。
ボク自身、初めて「自分を見つめる」体験をするときはそうだったなぁ。
「自分を知りたい」けれども、どこかで「知りたくない」気持ちもある。
ただ、そのころのボクの場合は、人生に行き詰っていて、もうどうにもならない状況だったから「飛び込まざる」を得なかった。
でも怖かった。
ずいぶん参加者がたくさんいて、この中で「自分がどこまで できるのか試さなければ」みたいな気持で臨んだのも覚えている。
人生の土壇場に追い込まれていたからこそ、だったのかもしれないけど、あの時のボクはよく頑張ったと思う。
結局怖かったのは、講座そのものじゃなくて、「飛び込む勇気のなさ」を思い知ることが嫌だったような気がする。
頭の中では、世界にたった一人の自分なんだとか、自分らしく生きなきゃ、ってわかってはいるのに、結局一歩を踏み出していない自分に直面するのが嫌だっただけ。
今振り返って見ても、あのときに「飛び込んだ」ことが、結局その後のボクの人生を決定づけたってこと。
人生一度きりだから、これが「正解」かどうかはわからないけど、「満足しているかどうか」は自分にもよくわかる。
やりたいことをして、そのことを今日まで続けてくることができて(もうかれこれ27年)、おまけに仕事は今も楽しい。
「自分を知る」ことが、どれほど自分の人生に大きな違いを創りだすのかを、身を持って味わい続けている。
だから、もしかすると「自己分析が怖い」って言う人たちは、だからこそ今がその時なのかもしれないって思うのです。
何であれ、人生に完璧に満足している人たちは、こんなことには興味湧かないですからね。
怖がっているあなた!
どうぞ、ボクのところにいらしてください(^^)
って、近くの誰かに教えあげてくださいね。
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