カフカの『変身』を読んだことがある。
読んだことのある人も多いはず。
ある朝目覚めると、自分が巨大な虫になっているというおかしな話である。
自分が人間であるという自覚を持ちながら、全く違う生き物になってしまっているわけで、このジレンマは相当なものだとは思うけれど、カフカは暗い話としてではなく愉快な話としてこの物語を書いたとも言われている。
自分の現実を、いったん突き放したところから見てみるという点で、おかしな物語である。
荘子が、蝶になる夢を見たという。
でも、本当は自分が元々蝶で、今は人間になっている夢を見ているだけではないのか。
『胡蝶の夢』と言う説話にある。
現実が本物かどうかなんて誰にもわからない、もしかすると現実と言っているものが夢で、夢が現実かもしれない。
しかしそんなことはどうでもよくて、自由自在に変化しあう世界こそが実在と言うものである、と。
だから、いま与えられている現在を、自分に与えられた境遇としてたくましく肯定し、楽しく過ごせばいいって。
時折、この話を読みながら、ボーっと現実を眺めるのもいいものである。
暖かだったり、寒かったり、そのどちらなのかもわからなくなるような日々が続きます。
このブログも、いったい何の話なのか分からなくなってしまいましたが、ま、こんな日もいいでしょ。
啓蟄の今、「夢虫」と言う候の言葉があるそうです。
雨と風が強くなるらしいですよ、今日の東京は。

読んだことのある人も多いはず。
ある朝目覚めると、自分が巨大な虫になっているというおかしな話である。
自分が人間であるという自覚を持ちながら、全く違う生き物になってしまっているわけで、このジレンマは相当なものだとは思うけれど、カフカは暗い話としてではなく愉快な話としてこの物語を書いたとも言われている。
自分の現実を、いったん突き放したところから見てみるという点で、おかしな物語である。
荘子が、蝶になる夢を見たという。
でも、本当は自分が元々蝶で、今は人間になっている夢を見ているだけではないのか。
『胡蝶の夢』と言う説話にある。
現実が本物かどうかなんて誰にもわからない、もしかすると現実と言っているものが夢で、夢が現実かもしれない。
しかしそんなことはどうでもよくて、自由自在に変化しあう世界こそが実在と言うものである、と。
だから、いま与えられている現在を、自分に与えられた境遇としてたくましく肯定し、楽しく過ごせばいいって。
時折、この話を読みながら、ボーっと現実を眺めるのもいいものである。
暖かだったり、寒かったり、そのどちらなのかもわからなくなるような日々が続きます。
このブログも、いったい何の話なのか分からなくなってしまいましたが、ま、こんな日もいいでしょ。
啓蟄の今、「夢虫」と言う候の言葉があるそうです。
雨と風が強くなるらしいですよ、今日の東京は。

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