ボクが幼いころに、ちいさなブロンズのお地蔵さんを持たされました。
一緒に生活することのなかった父が、ボクにと言って
「ナムジゾウダイボサツ、ヲンカカカビサマエイソワカ、と毎朝7回唱えなさい。」
もう50年以上、その習慣を繰り返しています。
父は、もう子供のころに両親を亡くし、思春期の頃から青年期を、放浪してた時期がありました。
大正から昭和に変わるころですから、今では想像もつかないような世の中だったと思います。
お寺で一宿一飯の世話になったり、大工仕事を手伝ったりと、何とか生き抜いていたらしい。
時折父親が言っていた言葉が今でも耳に残っています。
「困ったときにふと見ると、四つ辻にお地蔵さんがいた」
お地蔵さんを何体も造り、人にあげたり寺に奉納したり、お地蔵さんをこよなく愛し大切にしていました。
その影響もあって、ボクもお地蔵さんが大好きです。
菩薩でありながら、この世界にとどまり迷いの人たちを救い続ける。
父親が残してくれたお地蔵さんは、オフィスにも一体、自宅にも一体あります。
時折、青山に行くことがあるのですが、昔父親の会社があった場所に今でも一体あります。
表参道から墓地方向へ行き、ヨックモックの手前を右に入るとmiumiuのショップがあります。
この土地を売却した時に、PRADAさんがお地蔵さんもそのまま引き受けてくれたようなのです。
可愛いお地蔵さんが、最先端ファッションブランドのビルの前に、服を着せられて鎮座しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/c5/b17ee72b0b8df2b1a629505dd00a7eb6.jpg)
どなたかが、お世話をしてくれているのですね。
もう一体は、東急本店裏のBUNKAMURAの通り沿い。
ここにも、以前父が所有していたオフィスビルがあり、その玄関に鎮座しています。
最近では、「四つ辻の地蔵さん」はあまり見かけません。
でも、父の残したお地蔵さんが町の人に愛されているのを見ると、なんだかうれしいやらありがたいやら。
今日も、誰かを見守ってくれています。
南青山に行く用事のある時には、どうぞ見てあげてください。
ナムジゾウダイボサツ、ヲンカカカビサマエイソワカ
一緒に生活することのなかった父が、ボクにと言って
「ナムジゾウダイボサツ、ヲンカカカビサマエイソワカ、と毎朝7回唱えなさい。」
もう50年以上、その習慣を繰り返しています。
父は、もう子供のころに両親を亡くし、思春期の頃から青年期を、放浪してた時期がありました。
大正から昭和に変わるころですから、今では想像もつかないような世の中だったと思います。
お寺で一宿一飯の世話になったり、大工仕事を手伝ったりと、何とか生き抜いていたらしい。
時折父親が言っていた言葉が今でも耳に残っています。
「困ったときにふと見ると、四つ辻にお地蔵さんがいた」
お地蔵さんを何体も造り、人にあげたり寺に奉納したり、お地蔵さんをこよなく愛し大切にしていました。
その影響もあって、ボクもお地蔵さんが大好きです。
菩薩でありながら、この世界にとどまり迷いの人たちを救い続ける。
父親が残してくれたお地蔵さんは、オフィスにも一体、自宅にも一体あります。
時折、青山に行くことがあるのですが、昔父親の会社があった場所に今でも一体あります。
表参道から墓地方向へ行き、ヨックモックの手前を右に入るとmiumiuのショップがあります。
この土地を売却した時に、PRADAさんがお地蔵さんもそのまま引き受けてくれたようなのです。
可愛いお地蔵さんが、最先端ファッションブランドのビルの前に、服を着せられて鎮座しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/c5/b17ee72b0b8df2b1a629505dd00a7eb6.jpg)
どなたかが、お世話をしてくれているのですね。
もう一体は、東急本店裏のBUNKAMURAの通り沿い。
ここにも、以前父が所有していたオフィスビルがあり、その玄関に鎮座しています。
最近では、「四つ辻の地蔵さん」はあまり見かけません。
でも、父の残したお地蔵さんが町の人に愛されているのを見ると、なんだかうれしいやらありがたいやら。
今日も、誰かを見守ってくれています。
南青山に行く用事のある時には、どうぞ見てあげてください。
ナムジゾウダイボサツ、ヲンカカカビサマエイソワカ
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