さらに、ボクは、ナイトハイクの道のりを歩くことにしました。
去年、みずならの大木まで再開通した道を歩きます。
誰もいない、大自然の林の中を歩く気分は静かで心が落ち着きます。
ナイトハイクでは見ることができない、見慣れない昼間の景色が広がります。
すぐそばに広がる牧場。
奇妙な形をした樹木。
木々の合間に見える空。
そして、明るい陽ざしの中で見上げるミズナラの大木。
地元の御神木です。
おととしの台風で、一部の幹が折れてしまいました。
いまだに、そばに横たわっています。
竹村真一さんの「Cosmic Tree」の中で、こんな一節があります。
「あるいは倒れた巨樹残された切株からは、またその子供・孫・曾孫の代の樹木が幾層にも折り重なって生えている。
どれが現世代の生きた樹木なのかを見分けようとしても無駄だ。
そこでは、どれも現世代であると同時に、旧世代でもあるという一見あたりまえの重層構造がとんでもない密度で展開しているために、私たちの時間の重力場に大きな歪みを生じさせる。
もちろん、もっと見えやすいかたちとしても、自らは死してなお、その胎内に豊富な水を湛え、根を張って、周辺の木々の生長を支える安定した地盤を提供しているものもある。」
みずならの大きな幹が倒れたことを聞いた時のショックは、この一節で、癒されました。
そうか、みずならは今も、生きている。
これからも、ずっと。
そして、それは何世代にもわたって繰り返されてきたつながりのほんの小さな出来事にすぎないんです。
人間として生きる時間の感覚からは、見ることのできない、「時間」がそこに流れているのです。
しばらく、ボクは、みずならの大木の前にたたずんでいました。
耳を開くと、子どもたちの声といっしょに、みずならの声が聞こえてくるようでした。
いよいよ明日、子どもたちは士幌にやってきます。
去年、みずならの大木まで再開通した道を歩きます。
誰もいない、大自然の林の中を歩く気分は静かで心が落ち着きます。
ナイトハイクでは見ることができない、見慣れない昼間の景色が広がります。
すぐそばに広がる牧場。
奇妙な形をした樹木。
木々の合間に見える空。
そして、明るい陽ざしの中で見上げるミズナラの大木。
地元の御神木です。
おととしの台風で、一部の幹が折れてしまいました。
いまだに、そばに横たわっています。
竹村真一さんの「Cosmic Tree」の中で、こんな一節があります。
「あるいは倒れた巨樹残された切株からは、またその子供・孫・曾孫の代の樹木が幾層にも折り重なって生えている。
どれが現世代の生きた樹木なのかを見分けようとしても無駄だ。
そこでは、どれも現世代であると同時に、旧世代でもあるという一見あたりまえの重層構造がとんでもない密度で展開しているために、私たちの時間の重力場に大きな歪みを生じさせる。
もちろん、もっと見えやすいかたちとしても、自らは死してなお、その胎内に豊富な水を湛え、根を張って、周辺の木々の生長を支える安定した地盤を提供しているものもある。」
みずならの大きな幹が倒れたことを聞いた時のショックは、この一節で、癒されました。
そうか、みずならは今も、生きている。
これからも、ずっと。
そして、それは何世代にもわたって繰り返されてきたつながりのほんの小さな出来事にすぎないんです。
人間として生きる時間の感覚からは、見ることのできない、「時間」がそこに流れているのです。
しばらく、ボクは、みずならの大木の前にたたずんでいました。
耳を開くと、子どもたちの声といっしょに、みずならの声が聞こえてくるようでした。
いよいよ明日、子どもたちは士幌にやってきます。
士幌の町は緑もきれいで、住んでいる方々もあたたかいですね。
なんか今回のグロースブログを読んでて、たくさんの事が思い出されうまくコメント書けません。
でも写真からですが士幌の緑、そして広大な自然が見れて嬉しいです。
毎回違う体験ですが、このブログで一緒に旅をしながら体験してみてくださいね。
次のブログは明日アップできるはず。
お楽しみに。