小説家と言う職業に憧れる。
と言うよりも、彼らのふんだんな想像力がうらやましい。
いったいどこから、物語が引き出されて来るのか、その秘訣を知りたいものだ。
村上春樹は、自分の深い深い心の奥底にアクセスしなければ、物語は生まれてこない、と言ったようなニュアンスの言葉を語っている。
おそらく、集合無意識の世界のことだと思うけれど、河合隼雄との対談本はとても面白かった。
無意識を探すと、そこにはファンタジーがある。
そのファンタジーを、現実の言葉に置き換えていくのが彼らの仕事なのであれば、常に神の領域と接点を持つわけだから、それはまるで瞑想しているような作業にも見える。
カール・ユングもこんなことを言っている。
" Without this playing with fantasy no creative work has ever yet come to birth. The debt we owe to the play of the imagination is incalculable."
まさに、「ファンタジーなしでは、創造的な事柄は生まれ来ない」のである。
そして、この作家、重松清。
この人の作品はずいぶん読んできた。
『きよしこ』 『とんび』 『流星ワゴン』 『きよしこ』 『あの歌がきこえる』 『トワイライト』・・・・
多作の作家で、たくさんの作品がある。
それだけ、毎日、いや瞬間瞬間イメージの中をさまよっているに違いない。
それじゃなきゃ、あんなに物語が生まれてくるはずもない。
スタッフのマッキーが貸してくれた
『みんなのうた』を読んだ。
これと言って、ドラマティックなことが起きる物語でもないのに、物語のなかに引き込まれて新幹線の往復で一気に読んでしまった。
主人公のレイコさんは、東大浪人生。
3年チャレンジして、挫折して実家のある田舎に帰る。
傷ついた心が、田舎の人たちとの絆を取り戻しながら癒されていく様子が、「人間っていいなぁ」って気分にさせてくれる。
癒そうとか、守ってあげるとか、励ますとか、そんな事じゃなくて、その田舎の原風景やら季節やら、そこに住まう人たちの日常が、そのまま人の心を回復させるんだってことを、感じさせてくれる。
でも、それはずっとそこにいたんじゃ気づけない。
安心で安全であっても、それがマンネリになっていると自我意識は退行したくなる。
そのうちに、一歩踏み出すことさえ面倒になってしまう。
だから今安穏としている現実から、たまには外に出てみることはとても大切なこと。
そのうえで、丸ごと受け止めて包み込んでもらえる「家」に帰ればいい。
こういったプロセスが、傷ついたこころを、少しずつそして着実に癒していくんだと思う。
田舎がないボクにとっては、「ふるさと」をイメージさせてくれる物語だった。
と言うよりも、彼らのふんだんな想像力がうらやましい。
いったいどこから、物語が引き出されて来るのか、その秘訣を知りたいものだ。
村上春樹は、自分の深い深い心の奥底にアクセスしなければ、物語は生まれてこない、と言ったようなニュアンスの言葉を語っている。
おそらく、集合無意識の世界のことだと思うけれど、河合隼雄との対談本はとても面白かった。
無意識を探すと、そこにはファンタジーがある。
そのファンタジーを、現実の言葉に置き換えていくのが彼らの仕事なのであれば、常に神の領域と接点を持つわけだから、それはまるで瞑想しているような作業にも見える。
カール・ユングもこんなことを言っている。
" Without this playing with fantasy no creative work has ever yet come to birth. The debt we owe to the play of the imagination is incalculable."
まさに、「ファンタジーなしでは、創造的な事柄は生まれ来ない」のである。
そして、この作家、重松清。
この人の作品はずいぶん読んできた。
『きよしこ』 『とんび』 『流星ワゴン』 『きよしこ』 『あの歌がきこえる』 『トワイライト』・・・・
多作の作家で、たくさんの作品がある。
それだけ、毎日、いや瞬間瞬間イメージの中をさまよっているに違いない。
それじゃなきゃ、あんなに物語が生まれてくるはずもない。
スタッフのマッキーが貸してくれた
『みんなのうた』を読んだ。
これと言って、ドラマティックなことが起きる物語でもないのに、物語のなかに引き込まれて新幹線の往復で一気に読んでしまった。
主人公のレイコさんは、東大浪人生。
3年チャレンジして、挫折して実家のある田舎に帰る。
傷ついた心が、田舎の人たちとの絆を取り戻しながら癒されていく様子が、「人間っていいなぁ」って気分にさせてくれる。
癒そうとか、守ってあげるとか、励ますとか、そんな事じゃなくて、その田舎の原風景やら季節やら、そこに住まう人たちの日常が、そのまま人の心を回復させるんだってことを、感じさせてくれる。
でも、それはずっとそこにいたんじゃ気づけない。
安心で安全であっても、それがマンネリになっていると自我意識は退行したくなる。
そのうちに、一歩踏み出すことさえ面倒になってしまう。
だから今安穏としている現実から、たまには外に出てみることはとても大切なこと。
そのうえで、丸ごと受け止めて包み込んでもらえる「家」に帰ればいい。
こういったプロセスが、傷ついたこころを、少しずつそして着実に癒していくんだと思う。
田舎がないボクにとっては、「ふるさと」をイメージさせてくれる物語だった。
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