アフロデティの怒りはおさまるはずがありません。
なんせ、欲しくてもってこさせたわけではないですからね。
ただの意地悪に見えますが、女性の自立には欠かせない大きなそしてふかーいテーマが隠されているのです。
ここには、母(もしくは義母)と娘の葛藤というテーマが内在しています。
女性の自立には、この母親との葛藤を乗り越えていかねばならないという普遍的なテーマがあります。このあたりは、「絵本・おとぎ話講座」で詳しくお話ししますので、興味のある方は参加してください。
さて4番目の難題は
「冥界に行って、ペルセフォネ(冥界の王ハデスの妻)に、美しさを一日分だけ借りてきなさい」・・・・・といって小箱を渡されるのです。
地獄に行って、地獄の美をわけてもらって来いというわけです。
地獄に行くお話は多々ありますね。
日本ではイザナギとイザナミ。やけどをして死んでしまったイザナミに会いたくて、黄泉の国へ行ったイザナギ。見てはいけないといわれたのに、腐りはてたイザナミを見てしまいます。恐ろしい形相のイザナミや魑魅魍魎に追いかけられてあわてて現世へ逃げ帰ります。
ギリシャ神話にはオルフェウス
同じように、妻エウリュディケの早すぎる死を嘆き冥界の王ハデスとペルセフォネに願いを訴えます。心を動かされたハデスとペルセフォネは願いを聞き入れます。が、生者の国に帰るまでは決して妻の顔を見てはならない、と伝えます。
オルフェウスは地上に後一歩というところで、急に不安になり妻を振り返ってしまうのです。もちろん、エウリュディケは地上には戻れず、オルフェウスはその後悲嘆にくれ悲劇的な人生を歩むことになるのです。
もう一つ、黄泉の国にはルールがあります。黄泉の国の食べ物を食べてしまうと地上には戻れないのです。
ハデスが強引に妻にしたペルセフォネも、ゼウスの計らいで地上に戻るはずだったのに、ハデスがだましてざくろを食べさせてしまいます。ざくろを4つ食べたので、ゼウスは仕方なく、一年の3分の1は冥界にとどまり残りの3分の2は地上に戻す。その3分の2が花が咲き誇り、実りをもたらす季節となった・・・というわけです。
キューピッドとプシケに話を戻しましょう。
もはや冥界に行けということで、自分の死を宣告されたようなものですから、高い塔から飛び降りてしまおうと考えます。
すると今度は、この「塔」が助けるのです。
「両手に蜂蜜にひたした大麦パン、口には2枚のコイン」を持っていきなさい・・・と。
道すがらに起きるこまごましたことの忠告をもらい無事に黄泉の国にたどり着きます。
足の不自由なロバと足の不自由な御者に呼び止められても無視すること
三途の川の渡し舟の船頭にはコインを、それもくちびるから渡すこと
死者の川から老人が引き上げて欲しいと頼んでも聞き入れないこと
そしてはた織りのばあさんにも手を貸さないこと。
これらすべてがアフロデティの罠。
お城の門の見張りの番犬には一切れのパンを。
そしてペルセフォネにアフロデティの伝言を伝え、帰りは同じ手順をして帰ってくること。
でも決して小箱のふたを開けようとしてはいけない・・・・
すごい冒険ですね。
とても私にはできそうにありません。
テーマパークのおばけ屋敷だってごめんこうむります。
はっきり言って大嫌いです。
だって・・・恐いですからね。
それもわざと脅すわけでしょ。
ですから、ボクと遊園地でデートをしようとしても、お化け屋敷ではなんの助けにもなりません。
あ、そういえば最近はジェットコースターもダメですね。
何年か前にディズニーランドのスペースマウンテンで降り際にふらふらして以来、恐怖が・・・・
ダンボも恐くてダメでした。
ボクのことはともかく、プシケは黄泉の国へと進みます。
「塔」に言われたとおり、無視したり、コインを渡したりパンをあげたり・・・
おまけにペルセフォネに進められたお茶やお菓子もきちんと断って、見事に帰ってきたのです。
あーところが、プシケは小箱を開けてしまうのです。
愚かですよね。
あんなに美しいといわれているプシケなのに、「美」に興味持ってしまうのです。
しかし、この行為は実は「愚か」とはいえないのです。
たしかにキューピッド様に永遠の愛を誓いながらの、苦難のたびではありましたが、よく見てみると、何一つプシケ自身が自分で決めて行動したことはなかったのです。
「小箱を開ける」
些細なことかもしれませんが、キューピッド様のために、自分をもっと美しくしたいという、切なる願いが、プシケの初めての「自分の決意」だったのでしょう。
結果は、小箱を開けるとどうなるか・・
皆さんは想像できますよね。
私たちは浦島太郎の物語で、小箱を開けることでの変容を知っています。
プシケの空けた小箱には「美」など入っているはずがありません。
入っていたのは「死の眠り」です。
これではすべてが台無しですよね。
この一連の行動を、実はキューピッド様はずっと見ていたのです。
男っていじらしいんでしょうか。
ねちっこいのは実は男って、最近は定説のようですね。
これはもちろん、男性の内的な「アニマ」がその大きな理由なんですけど・・・ここでは長くなるので説明は止めておきます。
死の眠りをふりはらって、矢の先をつついてプシケの目を覚まさせます。
そしてゼウス様のところにプシケを連れて行き、二人の結婚の許しを乞います。
願いがかなえられ、神々の祝福と、なんとアフロデティの軽やかな舞まで始まります。
そして二人の間に生まれた子どもには「JOY(喜び)」と名づけられたのです。
これで、アニマアニムスのお話はおしまい。
男性と女性
男と女
実に不思議で、そしてお互いが統合することが「喜び」であること。
また機会があれば、アニマアニムスをテーマにしたいと思っています。
あー長かった
なんせ、欲しくてもってこさせたわけではないですからね。
ただの意地悪に見えますが、女性の自立には欠かせない大きなそしてふかーいテーマが隠されているのです。
ここには、母(もしくは義母)と娘の葛藤というテーマが内在しています。
女性の自立には、この母親との葛藤を乗り越えていかねばならないという普遍的なテーマがあります。このあたりは、「絵本・おとぎ話講座」で詳しくお話ししますので、興味のある方は参加してください。
さて4番目の難題は
「冥界に行って、ペルセフォネ(冥界の王ハデスの妻)に、美しさを一日分だけ借りてきなさい」・・・・・といって小箱を渡されるのです。
地獄に行って、地獄の美をわけてもらって来いというわけです。
地獄に行くお話は多々ありますね。
日本ではイザナギとイザナミ。やけどをして死んでしまったイザナミに会いたくて、黄泉の国へ行ったイザナギ。見てはいけないといわれたのに、腐りはてたイザナミを見てしまいます。恐ろしい形相のイザナミや魑魅魍魎に追いかけられてあわてて現世へ逃げ帰ります。
ギリシャ神話にはオルフェウス
同じように、妻エウリュディケの早すぎる死を嘆き冥界の王ハデスとペルセフォネに願いを訴えます。心を動かされたハデスとペルセフォネは願いを聞き入れます。が、生者の国に帰るまでは決して妻の顔を見てはならない、と伝えます。
オルフェウスは地上に後一歩というところで、急に不安になり妻を振り返ってしまうのです。もちろん、エウリュディケは地上には戻れず、オルフェウスはその後悲嘆にくれ悲劇的な人生を歩むことになるのです。
もう一つ、黄泉の国にはルールがあります。黄泉の国の食べ物を食べてしまうと地上には戻れないのです。
ハデスが強引に妻にしたペルセフォネも、ゼウスの計らいで地上に戻るはずだったのに、ハデスがだましてざくろを食べさせてしまいます。ざくろを4つ食べたので、ゼウスは仕方なく、一年の3分の1は冥界にとどまり残りの3分の2は地上に戻す。その3分の2が花が咲き誇り、実りをもたらす季節となった・・・というわけです。
キューピッドとプシケに話を戻しましょう。
もはや冥界に行けということで、自分の死を宣告されたようなものですから、高い塔から飛び降りてしまおうと考えます。
すると今度は、この「塔」が助けるのです。
「両手に蜂蜜にひたした大麦パン、口には2枚のコイン」を持っていきなさい・・・と。
道すがらに起きるこまごましたことの忠告をもらい無事に黄泉の国にたどり着きます。
足の不自由なロバと足の不自由な御者に呼び止められても無視すること
三途の川の渡し舟の船頭にはコインを、それもくちびるから渡すこと
死者の川から老人が引き上げて欲しいと頼んでも聞き入れないこと
そしてはた織りのばあさんにも手を貸さないこと。
これらすべてがアフロデティの罠。
お城の門の見張りの番犬には一切れのパンを。
そしてペルセフォネにアフロデティの伝言を伝え、帰りは同じ手順をして帰ってくること。
でも決して小箱のふたを開けようとしてはいけない・・・・
すごい冒険ですね。
とても私にはできそうにありません。
テーマパークのおばけ屋敷だってごめんこうむります。
はっきり言って大嫌いです。
だって・・・恐いですからね。
それもわざと脅すわけでしょ。
ですから、ボクと遊園地でデートをしようとしても、お化け屋敷ではなんの助けにもなりません。
あ、そういえば最近はジェットコースターもダメですね。
何年か前にディズニーランドのスペースマウンテンで降り際にふらふらして以来、恐怖が・・・・
ダンボも恐くてダメでした。
ボクのことはともかく、プシケは黄泉の国へと進みます。
「塔」に言われたとおり、無視したり、コインを渡したりパンをあげたり・・・
おまけにペルセフォネに進められたお茶やお菓子もきちんと断って、見事に帰ってきたのです。
あーところが、プシケは小箱を開けてしまうのです。
愚かですよね。
あんなに美しいといわれているプシケなのに、「美」に興味持ってしまうのです。
しかし、この行為は実は「愚か」とはいえないのです。
たしかにキューピッド様に永遠の愛を誓いながらの、苦難のたびではありましたが、よく見てみると、何一つプシケ自身が自分で決めて行動したことはなかったのです。
「小箱を開ける」
些細なことかもしれませんが、キューピッド様のために、自分をもっと美しくしたいという、切なる願いが、プシケの初めての「自分の決意」だったのでしょう。
結果は、小箱を開けるとどうなるか・・
皆さんは想像できますよね。
私たちは浦島太郎の物語で、小箱を開けることでの変容を知っています。
プシケの空けた小箱には「美」など入っているはずがありません。
入っていたのは「死の眠り」です。
これではすべてが台無しですよね。
この一連の行動を、実はキューピッド様はずっと見ていたのです。
男っていじらしいんでしょうか。
ねちっこいのは実は男って、最近は定説のようですね。
これはもちろん、男性の内的な「アニマ」がその大きな理由なんですけど・・・ここでは長くなるので説明は止めておきます。
死の眠りをふりはらって、矢の先をつついてプシケの目を覚まさせます。
そしてゼウス様のところにプシケを連れて行き、二人の結婚の許しを乞います。
願いがかなえられ、神々の祝福と、なんとアフロデティの軽やかな舞まで始まります。
そして二人の間に生まれた子どもには「JOY(喜び)」と名づけられたのです。
これで、アニマアニムスのお話はおしまい。
男性と女性
男と女
実に不思議で、そしてお互いが統合することが「喜び」であること。
また機会があれば、アニマアニムスをテーマにしたいと思っています。
あー長かった
とても私にはできそうにありません。//
大冒険なさっていますから大丈夫です~(><)。
アニマアニムスからは JOY が生まれるのですね☆
ということは先生の日常はたくさんのJOYに
囲まれているのでしょうか?