私の愛車遍歴-3 プレリュード
私の買った二代目のクルマは「初代プレリュード」でした。
当時は、小さいクルマはシビックで堪能して、今度はできるだけアメ車のような大きいクルマに乗りたいという気持ちになっていました。ギンギン・ガンガン走るのでなく、ゆったりとATで、クルージング・・というような運転をしたいなと、狭い日本の道路で大きなクルマを運転出来る、する、のがカッコイイと。
しかし、ホンダではやっと「初代アコードサルーン」があった位で大きなクルマはありませんでした。
「初代アコードサルーン」は、セダンを意識してかインパネがハッチバックのトレーインパネとは異なり、普通のインパネで、全くつまらなくて、大きさも小さく乗る気がせず、それならと先進的で、ほぼ二人乗りでちょっとスポーティなプレリュードに乗ってみるかと、セリカも見に行きましたが、やはり従業員販売メリットを考えると・・・。
カッコは二代目シビックを大きくしてクーペにしたような形で、スポーツ感はありませんでしたが、何より「プレリュード」という名前の響きとメーターやラジオの斬新さに惹かれました。
メーターは「一眼ドッキリ」と社内で呼ばれていたもので、スピードメーターとタコメーターが同軸でちょうど時計の長針と短針のような形で、内側の短針がタコメーターで、発進時は先ずまわり、外側の長針のスピードがそれを追っかける形でまわり、走っている間はスピードとタコメーターが行ったり来たり、追っかけあいをするので、私は楽しかったのですが、一般のユーザーからは見難いという打ち上げがあり、次期モデルからは採用されませんでした。また、ラジオもメーターの横の出っ張りを回転させて、選局したりするもので、これも私は楽しかったのですが・・・。
プレリュードはスポーツカーのカテゴリーのクルマですが、その走りは、全く走るという感じではありませんでした。ATも変に拘った「ホンダマチック」ということもあり、走り感はありませんでした。
つまり当時は、スポーツカーでもエミッションの関係で、どの会社のクルマもだいたいそんなに、走らなかった。
ただ、走らない事がそんなに気にならなくなってきていて、また、普段の走りでもガンガン走らなくなってきていました。
スポーツカーを走りでなく、センスで選ぶ時代に差し掛かっていたと思います。
その事を証明するように、二代目プレリュードは、スポーツカーの形でしたが、ライフスタイルで売れたと思っています。
具体的には、当時「金曜日の妻たち」というドラマをきっかけに、センス良い、カッコイイ、イイネというイメーシが上がり、結構なヒット商品になりました。
作る方は、そういう事より、ハードの価値観でかっこよさを追求して、ボンネットをFFながら究極に低くしたりして、作っていました。
ただ、最近おもうのですが・・・、思いっきり開発チームが想いを入れて、ハード開発をした結果、その魂が乗り移って、ユーザーになにかしら伝わるのではと、ちょっと宗教的ですが、思うようになってます。
やっぱり、モノ造りって、魂の無いモノにどれだけ作り手の魂を入れるかでは無いかと思うのです。
私の買った二代目のクルマは「初代プレリュード」でした。
当時は、小さいクルマはシビックで堪能して、今度はできるだけアメ車のような大きいクルマに乗りたいという気持ちになっていました。ギンギン・ガンガン走るのでなく、ゆったりとATで、クルージング・・というような運転をしたいなと、狭い日本の道路で大きなクルマを運転出来る、する、のがカッコイイと。
しかし、ホンダではやっと「初代アコードサルーン」があった位で大きなクルマはありませんでした。
「初代アコードサルーン」は、セダンを意識してかインパネがハッチバックのトレーインパネとは異なり、普通のインパネで、全くつまらなくて、大きさも小さく乗る気がせず、それならと先進的で、ほぼ二人乗りでちょっとスポーティなプレリュードに乗ってみるかと、セリカも見に行きましたが、やはり従業員販売メリットを考えると・・・。
カッコは二代目シビックを大きくしてクーペにしたような形で、スポーツ感はありませんでしたが、何より「プレリュード」という名前の響きとメーターやラジオの斬新さに惹かれました。
メーターは「一眼ドッキリ」と社内で呼ばれていたもので、スピードメーターとタコメーターが同軸でちょうど時計の長針と短針のような形で、内側の短針がタコメーターで、発進時は先ずまわり、外側の長針のスピードがそれを追っかける形でまわり、走っている間はスピードとタコメーターが行ったり来たり、追っかけあいをするので、私は楽しかったのですが、一般のユーザーからは見難いという打ち上げがあり、次期モデルからは採用されませんでした。また、ラジオもメーターの横の出っ張りを回転させて、選局したりするもので、これも私は楽しかったのですが・・・。
プレリュードはスポーツカーのカテゴリーのクルマですが、その走りは、全く走るという感じではありませんでした。ATも変に拘った「ホンダマチック」ということもあり、走り感はありませんでした。
つまり当時は、スポーツカーでもエミッションの関係で、どの会社のクルマもだいたいそんなに、走らなかった。
ただ、走らない事がそんなに気にならなくなってきていて、また、普段の走りでもガンガン走らなくなってきていました。
スポーツカーを走りでなく、センスで選ぶ時代に差し掛かっていたと思います。
その事を証明するように、二代目プレリュードは、スポーツカーの形でしたが、ライフスタイルで売れたと思っています。
具体的には、当時「金曜日の妻たち」というドラマをきっかけに、センス良い、カッコイイ、イイネというイメーシが上がり、結構なヒット商品になりました。
作る方は、そういう事より、ハードの価値観でかっこよさを追求して、ボンネットをFFながら究極に低くしたりして、作っていました。
ただ、最近おもうのですが・・・、思いっきり開発チームが想いを入れて、ハード開発をした結果、その魂が乗り移って、ユーザーになにかしら伝わるのではと、ちょっと宗教的ですが、思うようになってます。
やっぱり、モノ造りって、魂の無いモノにどれだけ作り手の魂を入れるかでは無いかと思うのです。
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