神はあなたの間違いさえも利用する
ハンドリー・ムールは、ダーラムの司教だったとき、鉱山事故で亡くなった170人の鉱夫の遺族を訪問するという任務を負っていました。遺族に何を話そうかと迷っていたとき、彼は母親からもらった小さなしおりを手に取りました。それを掲げると、手織りのしおりの裏側には絡まった網がありました。韻も理由も模様も何もありませんでした。しかし、裏側には「神は愛なり」と書かれていました。
私たちにとって、世界は時折、絡み合った蜘蛛の巣のように見えます。何が起こっているのか、なぜ私たちがこのように苦しんでいるのか、私たちには理解できないことがよくあります。しかし、イエスと聖書は、そのすべての背後には神の愛があると主張しています。物事が今私たちにとって理解するのが非常に難しいように思えても、神は愛に満ちた目的を世界において実現しています。
神は、私たちの人生の糸からパターンを織り出すことができます。苦しみ、心痛、さらには間違いさえも織り込み、美しいものを作り上げることができます。
使徒パウロは、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神はすべてのことを働かせて益として下さる」と語っています(ローマ 8:28)。
今日は、たとえ困難な状況であっても、神があなたの人生にご自身の目的を織り込んでくださっているという事実について考えてみましょう。ヨブは、「あなたは私に命を与え、慈しみを示し、あなたの摂理によって私の霊を守ってくださいました」(ヨブ 10:12)と言いました。この世で起こることはすべて、神の働きの範囲内です。
「摂理」とは、神の先見性、つまり神が将来を予測し、備える方法を意味します。
「摂理」とは、神が人類の歴史を導き、方向づける方法です。神は世界に存在し、活動し、世界を支え、支配しています。それはまた、神があなたの人生を個人的に、個別に導き、方向づける方法でもあります。
神はあなたに特別な運命を与えておられます。時々、人々は、自分が何かの間違いを犯して神の目的を逃してしまうかもしれないと心配します。しかし、そうではありません。神は、あなたの間違いさえも善のために利用されます。人生のあらゆる状況や周囲で起こる出来事において、神の摂理を信頼することができます。
詩篇 72:1-20 口語訳
[1] 神よ、あなたの公平を王に与え、 あなたの義を王の子に与えてください。 [2] 彼は義をもってあなたの民をさばき、 公平をもってあなたの貧しい者をさばくように。 [3] もろもろの山と丘とは義によって 民に平和を与えるように。 [4] 彼は民の貧しい者の訴えを弁護し、 乏しい者に救を与え、 しえたげる者を打ち砕くように。 [5] 彼は日と月とのあらんかぎり、 世々生きながらえるように。 [6] 彼は刈り取った牧草の上に降る雨のごとく、 地を潤す夕立のごとく臨むように。 [7] 彼の世に義は栄え、 平和は月のなくなるまで豊かであるように。 [8] 彼は海から海まで治め、 川から地のはてまで治めるように。 [9] 彼のあだは彼の前にかがみ、 彼の敵はちりをなめるように。 [10] タルシシおよび島々の王たちはみつぎを納め、 シバとセバの王たちは贈り物を携えて来るように。 [11] もろもろの王は彼の前にひれ伏し、 もろもろの国民は彼に仕えるように。 [12] 彼は乏しい者をその呼ばわる時に救い、 貧しい者と、助けなき者とを救う。 [13] 彼は弱い者と乏しい者とをあわれみ、 乏しい者のいのちを救い、 [14] 彼らのいのちを、しえたげと暴力とからあがなう。 彼らの血は彼の目に尊い。 [15] 彼は生きながらえ、 シバの黄金が彼にささげられ、 彼のために絶えず祈がささげられ、 ひねもす彼のために祝福が求められるように。 [16] 国のうちには穀物が豊かにみのり、 その実はレバノンのように山々の頂に波打ち、 人々は野の草のごとく町々に栄えるように。 [17] 彼の名はとこしえに続き、 その名声は日のあらん限り、絶えることのないように。 人々は彼によって祝福を得、 もろもろの国民は彼をさいわいなる者と となえるように。 [18] イスラエルの神、主はほむべきかな。 ただ主のみ、くすしきみわざをなされる。 [19] その光栄ある名はとこしえにほむべきかな。 全地はその栄光をもって満たされるように。 アァメン、アァメン。 [20] エッサイの子ダビデの祈は終った。
摂理と祈り
あなたの祈りは変化をもたらします。祈りはあなた自身の人生に影響を与えるだけでなく、歴史の流れにも影響を与える可能性があります。
摂理と祈りがどのように連携するかは謎です。あなたの祈りは、驚くべき方法で出来事の結果に影響を与えます。神は主権者であり、歴史を通してその目的を果たします。しかし、神はこのプロセスにあなたを関与させます。
この詩篇は、ダビデが息子で後継者であるソロモン王に捧げた祈りです。彼の崇高な使命を強く思い起こさせるものでした。しかし、それは人間が達成できる範囲を超えています。たとえば、「彼は太陽のように、月のように、すべての世代にわたって存続する」(5節)。彼の統治は永遠で普遍的です(8節)。最終的には、メシア、神の子、イエス・キリストによってのみ実現しました。
この詩篇は、王の祝福と、王を通してすべての人々が「繁栄」に恵まれることを祈るものです(3節)。良き指導者は貧困と正義に関心を持ちます。「どうか貧しい人々のために立ち上がり、困っている子供たちを助け、残酷な暴君に厳しく対処してください」(4節、MSG)。また、外交政策において「彼を通してすべての国々が祝福される」ことを祈るものです(17節)。
ダビデは「人々が彼のために祈り、一日中彼を祝福しますように」(15節b)と言っています。人々が彼のために祈れば、指導者に対する神の祝福がもたらされることは明らかです。これがどのように機能するかはわかりません。しかし、祈ることは本当に違いを生むことを示しています。神の摂理において、神はあなたの祈りを受け取り、それを用いて祝福をもたらします。
主よ、祈りが違いを生むことを感謝します。あなたが私たちの上に立ててくださった指導者のために祈ります。彼らに恵みと知恵を与えてください。彼らの生活を豊かにし、彼らが力とインスピレーションの源となり、あなたの名誉と栄光を高めてください。
使徒行伝 7:20-43 口語訳
[20] モーセが生れたのは、ちょうどこのころのことである。彼はまれに見る美しい子であった。三か月の間は、父の家で育てられたが、 [21] そののち捨てられたのを、パロの娘が拾いあげて、自分の子として育てた。 [22] モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にもわざにも、力があった。 [23] 四十歳になった時、モーセは自分の兄弟であるイスラエル人たちのために尽すことを、思い立った。 [24] ところが、そのひとりがいじめられているのを見て、これをかばい、虐待されているその人のために、相手のエジプト人を撃って仕返しをした。 [25] 彼は、自分の手によって神が兄弟たちを救って下さることを、みんなが悟るものと思っていたが、実際はそれを悟らなかったのである。 [26] 翌日モーセは、彼らが争い合っているところに現れ、仲裁しようとして言った、『まて、君たちは兄弟同志ではないか。どうして互に傷つけ合っているのか』。 [27] すると、仲間をいじめていた者が、モーセを突き飛ばして言った、『だれが、君をわれわれの支配者や裁判人にしたのか。 [28] 君は、きのう、エジプト人を殺したように、わたしも殺そうと思っているのか』。 [29] モーセは、この言葉を聞いて逃げ、ミデアンの地に身を寄せ、そこで男の子ふたりをもうけた。 [30] 四十年たった時、シナイ山の荒野において、御使が柴の燃える炎の中でモーセに現れた。 [31] 彼はこの光景を見て不思議に思い、それを見きわめるために近寄ったところ、主の声が聞えてきた、 [32] 『わたしは、あなたの先祖たちの神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である』。モーセは恐れおののいて、もうそれを見る勇気もなくなった。 [33] すると、主が彼に言われた、『あなたの足から、くつを脱ぎなさい。あなたの立っているこの場所は、聖なる地である。 [34] わたしは、エジプトにいるわたしの民が虐待されている有様を確かに見とどけ、その苦悩のうめき声を聞いたので、彼らを救い出すために下ってきたのである。さあ、今あなたをエジプトにつかわそう』。 [35] こうして、『だれが、君を支配者や裁判人にしたのか』と言って排斥されたこのモーセを、神は、柴の中で彼に現れた御使の手によって、支配者、解放者として、おつかわしになったのである。 [36] この人が、人々を導き出して、エジプトの地においても、紅海においても、また四十年のあいだ荒野においても、奇跡としるしとを行ったのである。 [37] この人が、イスラエル人たちに、『神はわたしをお立てになったように、あなたがたの兄弟たちの中から、ひとりの預言者をお立てになるであろう』と言ったモーセである。 [38] この人が、シナイ山で、彼に語りかけた御使や先祖たちと共に、荒野における集会にいて、生ける御言葉を授かり、それをあなたがたに伝えたのである。 [39] ところが、先祖たちは彼に従おうとはせず、かえって彼を退け、心の中でエジプトにあこがれて、 [40] 『わたしたちを導いてくれる神々を造って下さい。わたしたちをエジプトの地から導いてきたあのモーセがどうなったのか、わかりませんから』とアロンに言った。 [41] そのころ、彼らは子牛の像を造り、その偶像に供え物をささげ、自分たちの手で造ったものを祭ってうち興じていた。 [42] そこで、神は顔をそむけ、彼らを天の星を拝むままに任せられた。預言者の書にこう書いてあるとおりである、 『イスラエルの家よ、 四十年のあいだ荒野にいた時に、 いけにえと供え物とを、わたしにささげたことが あったか。 [43] あなたがたは、モロクの幕屋やロンパの星の神を、かつぎ回った。 それらは、拝むために自分で造った偶像に過ぎぬ。 だからわたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ、 移してしまうであろう』。
摂理と預言
この節では、神がイエスの到来を計画し準備した驚くべき方法がわかります。神は摂理において未来を予見し、神秘的な方法でそれを予期し、準備し、導きます。したがって、人生のすべての出来事と状況において神の摂理を信頼することができます。
ステファノのスピーチは、神がイスラエルの歴史を導き、見守り、それを通してイエスの到来を準備した方法を再現しています。このセクションでは、特にモーセに焦点を当てています。
モーセは、神が彼のような預言者を立てるだろうと言いました(申命記 18:15)。ペテロはすでにこれをイエスに当てはめています(使徒行伝 3:22–23)。今度はステファノも同じことをします。彼はこう言います。「イスラエル人に『神はあなたたちの民の中から私のような預言者を遣わされる』と言ったモーセは、この人です」(7:37)。
モーセはキリストの「型」でした。彼は道を予示し、準備しました。モーセとイエスの間には少なくとも15の類似点があります。
1. イエスと同様、モーセは「普通の子供ではなかった」(20節)。モーセとイエスの誕生を取り巻く状況は、まさに並外れたものでした。
2. イエスと同様(マタイ 2:16–17)、モーセは新生児が殺されていた時代に生まれました(使徒行伝 7:19–21)。
3. イエスと同様(ルカ 2:40)、モーセは知恵で知られていました(使徒行伝 7:22)。
4. イエスと同様(ヨハネ 7:46)、モーセは「言葉にも行いにも力強かった」(使徒行伝 7:22)。
5. イエスと同様、モーセにも準備期間がありました。二人の人生の最初の30年間についてはほとんどわかっていません。二人ともこの期間を、これからの任務のために訓練することに費やしました(22–23節)。
6. イエスと同様 (ヨハネ 2:16)、モーセは罪に対して正当な怒りを示した (使徒行伝 7:24)。しかし、イエスと違って、モーセは犯罪を犯した。しかし、神は摂理において、この過ちさえも利用した。
7. イエスと同様 (ヨハネ 1:11)、モーセは神から民を救うために遣わされたが、当時はそう認識されていなかった。「モーセは、神が自分を使って民を救おうとしていることに民が気づくだろうと考えたが、彼らは気づかなかった」(使徒行伝 7:25)。
8. イエスと同様 (コリント第二 5:19)、モーセは和解を目指した。モーセは「彼らを和解させようとした」(使徒行伝 7:26)。
9. イエスと同様 (ヨハネ 5:22)、モーセは支配者および裁判官として描写されている。モーセにこう言われた。「だれがあなたを私たちの支配者および裁判官にしたのか」(使徒行伝 7:27)。
10. イエス(ルカ 3:22)のように、モーセは主の声を聞きました(使徒行伝 7:31)。
11. イエス(ヨハネ 1:14; 2:21)のように、モーセは聖地が特定の宗教的な場所ではなく、神がおられる場所であることを認識しました。モーセにとって聖地は燃える柴のところでした。神は「あなたが立っている場所は聖地である」と言われたからです(使徒行伝 7:33)。
12. イエス(ヨハネ 8:36)のように、モーセは人々を抑圧から解放しました(使徒行伝 7:34)。
13. イエス(4:11)のように、モーセは自分の民に誤解され、拒絶されました。「彼らが拒絶したモーセを…彼らは拒絶したのです」(7:35,39)。
14. イエスと同様(コリント人への第二の手紙 1:10)、モーセは自分の民を救うことに成功しました。モーセは「彼らをエジプトから導き出しました」(使徒行伝 7:36)。
15. イエスと同様(2:36)、モーセの拒絶は神の裁きをもたらしましたが、最終的には勝利につながりました(7:42)。使徒ペテロがペンテコステの日に述べたように、「神は、あなたが十字架につけたこのイエスを、主ともキリストともされました」(2:36)。
主よ、歴史を通して、そしてモーセのような預言者を通して、あなたの目的を驚くべき方法で成し遂げてくださったことに感謝します。今日、私は人生のすべての出来事と状況に対するあなたの摂理を信頼しています。
2サミュエル
16:15-18:18
摂理と保護
あなたは、自分の将来、家族、教会、国家を神に委ねることができます。宇宙全体が神の手の中にあり、神はその目的を遂行しています。
神は、ここで説明されているすべての人間の出来事を通して働いています。
アヒトフェルが与えた助言は、「神に尋ねる者の助言のようでした」(16:23)。私たちが価値ある助言を与えるには、神が何をなさっているのか、神の意志は何か、事前に主に尋ねる人でなければなりません。
もしアブサロムがアヒトフェルの助言に従っていたら、ダビデにとって悲惨な結果になっていたでしょう。しかし、アブサロムはアヒトフェルの賢明な助言を無視し、フシャイの悪い助言に従うことを選択しました。
神の摂理的な配慮と保護がダビデの周囲にあったことがわかります。「主はアヒトフェルの良い助言を破ろうと決心されたからである」(17:14)。これはダビデの祈りの精神に対する答えでした。
ここで、神が歴史の隠れた手であり支配者であることがわかります。ダビデと、このドラマに関わった他のすべての人々は、行動する大きな力と自由を持っていました。しかし、彼らは主がそこにいないかのように行動する自由を持っていませんでした。
主よ、あなたが人類の歴史を担当してくださっていることに感謝します。あなたはこの宇宙を統治し、支配しておられます。*私たちの過ち*を含め、すべてのことにおいて、あなたを愛し、あなたの目的に従って召された人々の益のために働いてくださることに感謝します(ローマ人への手紙 8:28)。
ピッパはこう付け加えます
サムエル記下 16:15–18:18
サムエル記 16 章では、アブサロムが問題を抱えていたことがわかります。しかし、それは何だったのでしょうか。アブサロムは何もかも持っていました。ハンサムで、裕福で、権力者でした。どうして父を殺したいという立場にまで至ったのでしょうか。アブサロムは、アムノンの件に対するダビデの対応に腹を立てていました。アブサロムは高慢で、妬み深く、嫉妬深い人でした。アブサロムの行動のせいで 2 万人が亡くなりました (18:7)。一人の怒りが、これほど大きな損害をもたらすことがあります。私たちの態度は、周囲の人々の人生に影響を与えます。私たちは憎しみを植え付けることも、愛を植え付けることもできます。