gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

満タン

2024-06-24 11:21:28 | 日記
満タン
Fill Up

「神よ、あなたは私の神です。私は切にあなたを尋ね求めます。私はあなたに渇き、私の全身はあなたを慕い求めます。」(詩篇63:1)
“You, God, are my God, earnestly I seek you; I thirst for you, my whole being longs for you.” (Psalm 63:1)

伸縮性のあるパンツとママの名物スタッフィングをどうぞ! 感謝祭はあっという間に過ぎ去りました。でも今日はブラックフライデーで、残ったサンドイッチは七面鳥の眠りを長引かせるだけです。
Bring on the stretchy pants and Mom’s famous stuffing! Thanksgiving came and went before we knew it. But, today is Black Friday and leftover sandwiches only persist our turkey coma.

私たちは感謝の気持ちを表し、今は通常の生活に戻り、クリスマスの喧騒に身を任せ、やらなければならないことを成し遂げるためにできる限りのことをしています。
We gave thanks, and now it is back to regular life, hurrying ourselves with the hubbub of Christmastime and getting in everything we possibly can to accomplish what needs to get done.

私たちは人生の狂気に没頭しています。休む暇などないように思えます。
We consume ourselves with the craziness of life. It never really seems ever to take a break.

ですから、授業の休みの間は、あなたを満たしてくれる人たちと時間を過ごすことを忘れないでください。家族、友人、教会のコミュニティなど、主が私たちの杯を満たしてくださることを忘れないでください。
So, during this break in classes, remember to spend time with the ones who fill you up. Whether it is family, friends or your church community, remember that the Lord fills our cup.

私たちは放蕩息子のように主の腕に戻ることができます。主の御前で安らぎを見つけ、再び他の人々に注ぐことができる場所に戻ることができます。
We are able to return to His arms like the Prodigal Son. We are able to find rest in His presence and return to where we can pour out into others once again.

奇跡の神

2024-06-24 11:12:32 | 日記
奇跡の神

[アルファ](https://www.alpha.org/) ウィークエンドの後、クインシー・ベロットという兵士が私に手紙を書いてきました。「この痛みは 12 年前に始まりました。英国海兵隊に入隊してから、ひどくなりました。膝頭の下の軟骨が完全になくなってしまいました。昨年は靭帯と腱が断裂し、膝頭が 45 度の角度になってしまったときが最悪でした。長くて辛い旅でした。長時間座ったり立ったりすることができませんでした。」
長い話を短くすると、私は神を試し、[アルファ](https://www.alpha.org/) を試してみようと決心しました。[アルファ](https://www.alpha.org/) ウィークエンドから戻り、かなり迷った後、[HTB](https://www.htb.org/) に来ることに同意しました。人々が証言しているのを聞いて、「うん、うん、うん」と思っていました。 誰かが軟骨の問題について「知恵の言葉」を言ったとき、私は今までで最も息を呑みました。祈ってもらうことに同意しました。膝の中で神が動いているのを感じました。試しに膝をついてみましたが、驚くほど痛みはありませんでした。
「本当に奇跡的です。昨晩ランニングに行きました…長い間痛みを感じなかったのは初めてです。神様は実在します。」メールの件名は「新品の膝!!」でした。神様は奇跡の神様です。

‭詩篇 78:17-31 口語訳‬ [17] ところが彼らはなお神にむかって罪をかさね、 荒野でいと高き者にそむき、 [18] おのが欲のために食物を求めて、 その心のうちに神を試みた。 [19] また彼らは神に逆らって言った、 「神は荒野に宴を設けることができるだろうか。 [20] 見よ、神が岩を打たれると、 水はほとばしりいで、流れがあふれた。 神はまたパンを与えることができるだろうか。 民のために肉を備えることができるだろうか」と。 [21] それゆえ、主は聞いて憤られた。 火はヤコブにむかって燃えあがり、 怒りはイスラエルにむかって立ちのぼった。 [22] これは彼らが神を信ぜず、 その救の力を信用しなかったからである。 [23] しかし神は上なる大空に命じて天の戸を開き、 [24] 彼らの上にマナを降らせて食べさせ、 天の穀物を彼らに与えられた。 [25] 人は天使のパンを食べた。 神は彼らに食物をおくって飽き足らせられた。 [26] 神は天に東風を吹かせ、 み力をもって南風を導かれた。 [27] 神は彼らの上に肉をちりのように降らせ、 翼ある鳥を海の砂のように降らせて、 [28] その宿営のなか、そのすまいのまわりに落された。 [29] こうして彼らは食べて、飽き足ることができた。 神が彼らにその望んだものを与えられたからである。 [30] ところが彼らがまだその欲を離れず、 食物がなお口の中にあるうちに、 [31] 神の怒りが彼らにむかって立ちのぼり、 彼らのうちの最も強い者を殺し、 イスラエルのうちのえり抜きの者を打ち倒された。

神の恵みの奇跡を受けなさい

詩篇作者は、エジプトから約束の地への神の旅の民の歴史を語り続けます。神の奇跡的な恵みにもかかわらず、彼らは「さらに罪を犯し」、反抗し、「甘やかされた子供のように泣き言を言いました」(17~19節、MSG)。 それでも神は彼らを助けました。神は「食べるためにマナの雨を降らせ、天のパンを与えました」(24節、MSG)。これは、イエスが与える霊的な食物を予表していました(ヨハネ6:30~35)。

同様に、「神が岩を打つと、水がほとばしり出て、川が豊かに流れた」(詩篇 78:20)。神は奇跡的に岩から水を与えました。しかし、人々は依然として神を疑いました。「彼らは神を信じず、神の救いを信頼していなかったからである」(22節)。奇跡は素晴らしいものですが、それが必ずしも人々に神を信じるきっかけとなるわけではありません。

岩から水が出てくるという奇跡は実際に起こったことですが、それはさらに驚くべきことを予示し、予期するものでもありました。聖パウロはこう書いています。「彼らは自分たちに付き添っていた霊的な岩から飲んだ。その岩とはキリストであった」(コリントの信徒への手紙一 10:4)。

イエスはこう言われました。「渇いている者はだれでもわたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その内から生ける水が流れ出るようになる。」これは聖霊のことを言っています…」(ヨハネによる福音書 7:37–39)。

主よ、私の内に住まわれる聖霊の「生ける水」に感謝します。今日出会うすべての人にこの超自然的な命を届ける者となれるよう助けてください。

‭使徒行伝 17:22-34 口語訳‬ [22] そこでパウロは、アレオパゴスの評議所のまん中に立って言った。 「アテネの人たちよ、あなたがたは、あらゆる点において、すこぶる宗教心に富んでおられると、わたしは見ている。 [23] 実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。 [24] この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。 [25] また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない。神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、 [26] また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。 [27] こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。 [28] われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。あなたがたのある詩人たちも言ったように、 『われわれも、確かにその子孫である』。 [29] このように、われわれは神の子孫なのであるから、神たる者を、人間の技巧や空想で金や銀や石などに彫り付けたものと同じと、見なすべきではない。 [30] 神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。 [31] 神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである」。 [32] 死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、またある者たちは、「この事については、いずれまた聞くことにする」と言った。 [33] こうして、パウロは彼らの中から出て行った。 [34] しかし、彼にしたがって信じた者も、幾人かあった。その中には、アレオパゴスの裁判人デオヌシオとダマリスという女、また、その他の人々もいた。

‭使徒行伝 18:1-8 口語訳‬ [1] その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。 [2] そこで、アクラというポント生れのユダヤ人と、その妻プリスキラとに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるようにと、命令したため、彼らは近ごろイタリヤから出てきたのである。 [3] パウロは彼らのところに行ったが、互に同業であったので、その家に住み込んで、一緒に仕事をした。天幕造りがその職業であった。 [4] パウロは安息日ごとに会堂で論じては、ユダヤ人やギリシヤ人の説得に努めた。 [5] シラスとテモテが、マケドニヤから下ってきてからは、パウロは御言を伝えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちに力強くあかしした。 [6] しかし、彼らがこれに反抗してののしり続けたので、パウロは自分の上着を振りはらって、彼らに言った、「あなたがたの血は、あなたがた自身にかえれ。わたしには責任がない。今からわたしは異邦人の方に行く」。 [7] こう言って、彼はそこを去り、テテオ・ユストという神を敬う人の家に行った。その家は会堂と隣り合っていた。 [8] 会堂司クリスポは、その家族一同と共に主を信じた。また多くのコリント人も、パウロの話を聞いて信じ、ぞくぞくとバプテスマを受けた。

イエスの復活の奇跡を信じなさい

メッセージはイエスです。アテネに着くと、パウロは人々のレベルに合わせて話し始めます。ユダヤ人に対してイエスを救世主として宣言したように、パウロは旧約聖書から始めるのではなく、むしろ、ユダヤ人がより高い力、つまり「知られざる神」(17:23a)を崇拝していることから始め、それを使ってイエスを彼らに説明します。

パウロの説教は驚くほど前向きでした。彼らの偶像崇拝を非難する代わりに、パウロは「あなたがたが知られていないものとして拝んでいるものを、わたしはあなたがたに告げ知らせよう」(23節b)と言います。パウロは神について3つのことを述べています。神は創造主である(24節)、神は自給自足である(神は私たちを必要としない)(25節)、しかし私たちはみな神を必要としている(27~28節)。

パウロは続けて、彼らの詩人の一人の言葉を賛同して引用しています。「あなたがたの詩人の一人がそれをうまく言い表した」(28節、MSG)。クリスチャンは真実を独占しているわけではありません。神は創造物の中にご自身を現し、私たちは世俗的な情報源の中に驚くべき洞察を見いだします。

彼の話は、歴史上最も偉大で最も重要な奇跡であるイエスの復活の宣言で最高潮に達します (30-31 節)。パウロは復活の歴史的証拠があると主張しています。彼はダマスカスへの道で復活した主イエスに会ったのです。

その意味は大きいです。死はイエスにとって終わりではありませんでしたし、あなたや私にとっても終わりではありません。あなたも生き返るでしょう。ここでパウロは、復活は神が任命した人、イエスによって世界を正義で裁く日を定めた証拠であると述べています。パウロは人々にこのメッセージに反応する機会を与えました。

イエスと死者の復活についての話を聞いたときの反応は、私たちが今日経験するものと非常によく似ていました。

ある者はあざ笑った
「ある者は彼を笑い、冗談を言いながら立ち去った」(32a節、MSG)。一部の人からこのような反応があったとしても驚かないでください。

ある者は興味を持った
「他の人たちは、「もう一度やりましょう。もっと聞きたい」と言いました」(32b節、MSG)。当時と同じように、今日でも多くの人々が心から興味を持っていますが、もっと聞き、問題についてじっくり考える時間が必要です。アルファのようなコースは、人々がそうする機会を提供します。

ある者は信じた
「さらに他の者たちもいて…その場で確信した」(34節、MSG)。彼らはすぐに信じました。初めてイエスのことを聞いたときに人々がイエスを受け入れるのは珍しいことですが、素晴らしいことです。

パウロがコリントに行ったとき、彼はおそらくイエスと復活の同じメッセージを説いたのでしょう。彼は「会堂で論じ、ユダヤ人とギリシア人を説得しようとした」(18:4)。彼は彼らに盲目的な信仰を働かせるよう求めていたのではありません。あなたの信仰は非合理的なものではありません。イエスの生、死、復活の事実は信じる理由を与えます。証拠に基づいて人々を説得することは可能です。イエスが奇跡的に死からよみがえられたなら、それはイエスがキリストである証拠です(5節)。

アテネと同じように、ここでも反応は様々でした。中には罵倒する人もいました(6節)。しかし、信じる人もいました。「会堂長クリスポとその家族は皆、主を信じた。また、彼の話を聞いたコリント人も大勢信じて洗礼を受けた」(8節)。

主よ、イエスの復活の奇跡と、このメッセージが人々の人生を変える力を与えてくださったことに感謝します。

1列王記

18:16-19:21

神からの火の奇跡を体験してください

神はエリヤという人間を通して驚くべき奇跡を起こしました。この記述は、この出来事の超自然的な性質を強調しています。

私たちはみな、どのように生き、誰に従うかを決めなければなりません。エリヤは言います。「いつまで中立的な立場にとどまるつもりですか。神が本当の神なら、彼に従いなさい。バアルなら、彼に従いなさい。決心しなさい!」(18:21、MSG)。

彼は彼らに試練を与えてこう言います。「火で答える神こそ神である」(24節)。

人間の手で造られた神々に仕えるのは無駄です。彼らがどんなに大声で叫んでも、「応答はなく、だれも答えず、だれも耳を傾けなかった」(29節)。しかし、エリヤが祈るときは叫ぶ必要はありませんでした(36節)。なぜなら、彼は生ける神に祈っていたからです。

祈るたびに、エリヤの信頼を得ることができます。あなたもまた、あなたの祈りを聞いて、あなたのために行動してくださる生ける神に祈っているのです。

「聖霊よ、来てください」と祈るたびに、私たちは、神の火がすべての民に降り注いだペンテコステの奇跡を繰り返すよう神に求めているのです。叫んだり、感情をかき立てたりする必要はありません。ただ求めるだけでいいのです。

エリヤの祈りに応えて、主の火が降りました(38節)。これを見たすべての民はひれ伏して叫びました。「主こそ神です!主こそ神です!」(39節)。

これは素晴らしい奇跡でしたが、エリヤも私たちと何ら変わりなく、ただの人間でした(ヤコブ書 5:17 参照)。この精神的な高揚の後、彼は感情的に落ち込みました。彼は「疲れ果て」ていました(列王記上 19:5、MSG)。彼は恐れ、落胆し、落ち込み、自殺しそうになりました。「神様、もうたくさんです! 私の命を取ってください」(4 節、MSG)。私たちは疲れ果てていると、簡単に虐待され、誤解され、不当に扱われていると感じてしまいます。ぐっすり眠って少し食べた後、彼は元気を取り戻しました。

それにもかかわらず、彼は自分だけが残っていて(10b、14b節)、皆が彼を攻撃しようとしていると感じていました。

それは実際には真実ではありませんでした。「イスラエルには七千人がいて、その全員がバアルにひざをかがめなかった」(18節)からです。しかし、職場、家族、近所で孤立して孤独を感じるのは簡単です。集まると(たとえば日曜日)、自分は一人ではないことを思い出します。

聖霊の道は穏やかです。神はエリヤに語りかけました。彼は「激しい風」や「地震」や「火」の中にいるのではなく、「穏やかなささやき」の中にいました(11-12節)。私たちはしばしば、雑音から離れて静かな場所と時間を見つけ、私たちの精神の奥深くにある神の穏やかなささやきを聞く必要があります。

主よ、奇跡の神、イエスを死から蘇らせた神、火で答える神、岩から水をもたらす神であるあなたが、穏やかなささやきでコミュニケーションをとってくれることに感謝します。今日、あなたの声を聞けるように助けてください。

ピッパはこう付け加えます
列王記上 19:2
神の偉大な人々でさえ、落胆する時があります。エリヤは偽預言者たちを殺したので、何でもできると思うでしょう。しかし、精神的にも肉体的にも疲れ果てた後は、補給が必要です。エリヤの回復は、睡眠、食事、運動(40日40晩歩くのはちょっとやりすぎに思えますが)によってもたらされたようです。また、アシスタントを雇うことで(孤独感を和らげました)。しかし、最も重要なのは、彼が再び神の声を聞くことです。

Planted in God

2024-06-24 05:43:28 | 日記
エレミヤ書 17:7-8 NIV [7] 「しかし、主に信頼し、主に頼る人は幸いである。[8] 彼らは、水のほとりに植えられ、流れのほとりに根を張る木のようになる。暑さが来ても恐れず、その葉はいつも青々としている。干ばつの年にも心配せず、実を結ばないことはない。」
‭Jeremiah 17:7-8 NIV‬ [7] “But blessed is the one who trusts in the Lord, whose confidence is in him. [8] They will be like a tree planted by the water that sends out its roots by the stream. It does not fear when heat comes; its leaves are always green. It has no worries in a year of drought and never fails to bear fruit.”

神に根ざす
Planted in God

冬になると木々が葉を落として休眠状態になるのを見たことがあるでしょう。しかし、イスラエルの砂漠には、何十年にもわたる猛暑と干ばつに耐えられる木々があります。表面的には、これらの木々は乾燥して生命がないように見えるかもしれませんが、最も厳しい時期でも木々を支える深い根系を持っています。そして、極度で長引く干ばつの時期でさえ、これらの木々は人々に日陰を提供し、火のための薪を提供し、場合によっては果物を食料として提供することができます。神はこれらの木々が最も困難な時期でも生き残るように特別に設計しました。
We’ve all seen trees drop their leaves and go dormant during the winter, but in the desert of Israel, there are trees that can survive decades of intense heat and drought. On the surface, these trees may look dry and lifeless, but they have a deep root system that sustains them during the hardest of times. And even during times of extreme and persistent drought, these trees are still able to provide shade for people, wood for fire, and in some cases, even fruit for food. God has specifically designed these trees to survive during the most difficult of times.

これは、預言者エレミヤが次のように書いたときに使ったイメージです。「しかし、主に信頼し、主に頼る人は幸いである。彼らは水のほとりに植えられ、流れのほとりに根を張る木のようになる。」
This is the image the prophet Jeremiah used when he wrote: “But blessed is the one who trusts in the LORD, whose confidence is in him. They will be like a tree planted by the water that sends out its roots by the stream.”

あなたは困難な時期を過ごしていますか?今日、干ばつの真っ只中にいますか?これは、神があなたに神への深い信頼と確信を育んでほしい時です。それは、あなた自身の状況を生き延びるためだけでなく、あなたの信仰によって周りの人々が祝福されるためでもあります。
Are you going through a tough time? Are you in the middle of a drought today? This is the time when God wants you to develop deep-rooted trust and confidence in Him - not just so you can survive your own circumstance, but also so those around you are blessed by your faith.

神の真実

2024-06-24 04:29:52 | 日記
ヨハネ 8:32 NIV [32] そうすれば、あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にするでしょう。」
‭John 8:32 NIV‬ [32] Then you will know the truth, and the truth will set you free.”

神の真実

真実とは何でしょうか。私たちの世界には、この質問に対する答えがたくさんあります。多くの場合、私たちが目にするのは、真実とはあなたが望むもの、つまり個人によって定義されるものであり、他の何物でもありません。

神の定義は異なります。

神は宇宙の支配者であり創造主です。神が語るすべては真実です。神は完璧であるため、嘘をつくことはまったくできません。それは神の本質ではありません。神は、これまで存在した唯一の欠点のない真実の源です。

そして、何だと思いますか?私たちは神から直接真実にアクセスできます!

神が語ることは、神の言葉の基礎です。聖書は、真実を発見し知るための道であり、私たちが聞く意見、私たちの周りで見る情報、または私たちが感じる感情よりも安定していて堅固です。この真実は決して変わりません。

ヨハネ8:32は、「そのとき、あなたは真実を知り、真実はあなたを自由にする」と言っています。真実を知ると、私たちはもはや嘘に従って生きていません。これは、神が私たちを設計した生き方に従って生きる自由を得るときです。 神がこの真理を神の言葉で私たちに与えてくださったことは、なんと素晴らしい贈り物でしょう。それはまさに私たちの手の届くところにあります!

今日、あなたの人生において、嘘に代わる神の真理が必要な場所はどこですか? 覚えておいてください、真理は自由をもたらします! 神の言葉はいつでもあなたに与えられます。神は今日、真理と自由へと踏み出すようあなたを招いておられます。
The Truth of God

What is truth? Our world has many ways of answering this question. Often, this is what we see: truth is whatever you want it to be. It’s defined by the individual and nothing else.

God’s definition is different.

God is the Ruler and Creator of the universe. Everything He speaks is truth. He, being perfect, is completely incapable of lying. It is not in His nature! He is the only faultless source of truth that has ever existed.

And guess what? We have access to truth directly from God!

What God says is the foundation of His Word. The Bible is our path to discovering and knowing truth; more steady and solid than the opinions we hear, the information we see around us, or the feelings we feel. This truth never changes.

John 8:32 says, “Then you will know the truth, and the truth will set you free.” When we know the truth, we are no longer living according to a lie. This is when we become free to live according to how God designed us to live. What a gift that He has made this truth available to us in His Word. It's right there at our fingertips!

Today, where do you need God's truth to replace lies in your life? Remember, truth brings freedom! His Word is available to you at all times. He is inviting you to step into truth and freedom today.

真実を求める祈り
A Prayer for Truth

神様、誰が何と言おうと、あなたは真実であり、あなたの言葉は真実です。私は恐れではなく、自由に生きたいのです。大胆になる方法を教えてください。暗闇に隠れている私を導き、光を受け入れさせてください。私を解放してくださりありがとうございます。イエス様の御名により、アーメン。
God, I know no matter what anyone else may say, You are truth and Your Word is true! I want to live in freedom, not in fear. Show me how to be bold. Lead me out of hiding in darkness to embrace the light. Thank You for freeing me. In Jesus' name, Amen.

山上の説教②

2024-06-24 04:19:26 | 日記
悲しむ人たちは幸いです
彼らは慰められるからです

イエスの二番目の祝福は、悲しむ人々、人生で困難な時期を経験し、物事が思うように進んでいない事に心を痛めている人々に向けられています。
イエスはこう言われました。「彼らは慰められるでしょう」つまり、悲しむ人々を慰める責任は、常に天国にあるということです。
愛する人を亡くしたり、人生で不幸な出来事を経験した事があるでしょう。
イエスはあなたは慰められるだろうと言っています。
慰めを人だけに頼ってはいけません。神に深く根ざし、あなたの魂に神がしっかりと根付くようにして下さい。そうすれば、心の中に心配の糸が一本も残らずに、人生を歩む事が出来ます。
平和の主があなたと共にありますように。