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恵みの動機づけの力

2024-06-22 20:47:09 | 日記
恵みの動機づけの力
The Motivational Power of Grace

無償の恩恵はあなたに対する神の賜物です。あなたは永遠に完全に愛され、受け入れられています。
Unmerited favor is God's gift to you—you are fully loved and accepted forever.

ローマ人への手紙 6:1-4 NIV [1] それでは、私たちはどうしたらよいでしょうか。恵みが増し加わるために、私たちは罪を犯し続けるべきでしょうか。[2] いいえ、そうではありません。私たちは罪に対して死んだ者です。どうして、これ以上罪の中に生きることができましょうか。[3] それとも、知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのです。[4] ですから、私たちはバプテスマによってキリストとともに葬られ、その死にあずかる者となりました。それは、キリストが父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも新しい命に生きるためです。
‭Romans 6:1-4 NIV‬ [1] What shall we say, then? Shall we go on sinning so that grace may increase? [2] By no means! We are those who have died to sin; how can we live in it any longer? [3] Or don’t you know that all of us who were baptized into Christ Jesus were baptized into his death? [4] We were therefore buried with him through baptism into death in order that, just as Christ was raised from the dead through the glory of the Father, we too may live a new life.

コリント人への第二の手紙 4:15-17 NIV [15] これらはすべてあなたがたの益のためであり、恵みがますます多くの人々に及んで感謝があふれ、神の栄光が表れるようになるためです。[16] ですから、私たちは落胆しません。私たちは、外面的には衰えていても、内面的には日々新しくされているのです。[17] なぜなら、私たちの軽い、つかの間の苦難は、それらすべてにまさる永遠の栄光を私たちにもたらすからです。
‭2 Corinthians 4:15-17 NIV‬ [15] All this is for your benefit, so that the grace that is reaching more and more people may cause thanksgiving to overflow to the glory of God. [16] Therefore we do not lose heart. Though outwardly we are wasting away, yet inwardly we are being renewed day by day. [17] For our light and momentary troubles are achieving for us an eternal glory that far outweighs them all.

キリスト教徒の中には、恵みの教義に苦労する人がいます。彼らは、「イエスを信じれば、何をしても受け入れられる」と言うのは簡単すぎると思うのです。神を喜ばせるためには、信者はある特定の生き方をしなければならないのではないでしょうか。この論理は、律法主義と恵みを混ぜ合わせ、「確かに私たちは恵みによって救われますが、救われた後は、神の恵みにとどまるために規則に従ったほうがよいでしょう」と言います。このような考え方は、恵みの要点と希望のメッセージを見失っています。
Some Christians have a hard time with the doctrine of grace. They think, It just seems too easy to say, “Believe in Jesus and you’re accepted no matter what you do.” To please God, shouldn’t believers have to live a certain way? This reasoning mixes legalism with grace by saying, “Sure, we are saved by grace, but after salvation, you’d better follow the rules to stay in God’s favor.” Such thinking misses the point of grace and the message of hope.

恵みは律法よりも大きな動機です(コリント人への手紙第二 4:15-17)。神を喜ばせるために何かをしなければならないと考えるなら、罪悪感は常にあなたのそばにいます。自分の期待に応えられないたびに、神はあなたを愛しているのだろうか、あるいは本当に救われているのだろうかと疑問に思うかもしれません。主は私たちがこのように生きることを望んでおられません。私たちはすでに神に受け入れられており、それ以上私たちが付け加えられることはありません。恵みは私たちを罪悪感から解放するだけでなく、神が私たちのためにしてくださったすべてのことへの愛と感謝から、神に従い、神に仕えるよう動機づけます。私たちは奉仕に疲れ果てるのではなく、神に対して燃えるような情熱を持つようになります。
Grace is a greater motivator than law (2 Corinthians 4:15-17). If you think you must perform in order to please God, guilt is your constant companion. Every time you fail to live up to your own expectations, you may question whether God loves you—or maybe even whether you’re really saved. The Lord doesn’t want us to live like this. We’ve already received His acceptance, and there is nothing more we can add to it. Grace not only sets us free from guilt but also motivates us to obey and serve God out of love and gratitude for everything He has done for us. Instead of feeling burnt out in our service, we will have a burning passion for Him.

あなたは神を喜ばせるために働いていますか? 神の恵みを受け入れ、その恵みに従って歩めるよう、神に助けを求めてください。そのように生きることは活力を与えてくれるでしょう。従順と奉仕は神のあふれる愛の自然な結果であり、あなたは喜びと感謝に満ちた人生を送るでしょう。
Are you working to please God? Ask Him to help you to accept His grace and to walk in it. You’ll find living that way is energizing. Obedience and service will be a natural result of His overflowing love, and you’ll live a life filled with joy and gratitude.

降臨節

2024-06-22 15:01:23 | 日記
降臨節
The Season of Advent

「私たちの主イエス・キリストの神であり父である方に賛美がありますように。神はその大きな慈悲により、イエス・キリストを死者の中から復活させ、私たちに新たな生を与え、生ける希望を与えてくださいました。」(ペテロ第一 1:3)
“Praise be to the God and Father of our Lord Jesus Christ! In his great mercy he has given us new birth into a living hope through the resurrection of Jesus Christ from the dead.” (1 Peter 1:3)

教会のステージに立つ 5 本のろうそく。チョコレートのカレンダー。4 部構成の聖書研究。
The five candles that sit up on the stage at church. The chocolate calendars. A four-part Bible study.

アドベントの季節をどのように祝うにせよ、一つだけ変わらないものがあります。それはイエスです。
However you celebrate the season of Advent, one thing remains the same: Jesus.

イエスは祝祭の精神です。降臨節はイエスの誕生を祝うだけでなく、希望の印でもあります。
Jesus is the spirit of celebration. Not only is the season of Advent a celebration of His birth, but it is also the marking of hope.

キリスト教徒は、イエス・キリストの誕生を祝うために一年のうちの一日を定めます。この時期は単なる誕生日パーティー以上の意味があります。アドベントの季節は、私たちに新しい年への希望と、神とのより良い関係への希望をもたらします。
Christians set aside a day of the year to celebrate the birth of Jesus Christ. This time of year is about more than just a party for a birthday – the season of Advent brings us hope for a new year and hope for a better relationship with God.

私たちは罪のせいで神から引き離され、傷ついてしまいましたが、イエスに希望を見出すことができます。イエスの誕生とこの世への来臨は、神との関係を築き、再構築し、築き続けるという希望を私たちに与えてくれました。イエスはその関係の架け橋なのです。
We were broken and separated from God because of our sins, but our hope is found in Jesus. His birth and entrance into this world gave us hope to build, rebuild and continue building a relationship with God. Jesus is the bridge of that relationship.

ですから、アドベントカレンダーから毎日チョコレートを楽しんだり、教会の礼拝中にステージの上のろうそくの揺れる光を眺めたりしながら、この季節に象徴される希望に目を向け、この時期が本当に何を意味するのかを思い出してください。
So, while you enjoy a daily chocolate from your Advent calendar or watch the dancing lights of the candles up on stage during church services, take a moment to look at the hope that is marked by this season and remember what this time of year is truly all about.

祈りの力

2024-06-22 13:50:09 | 日記
祈りの力

数年前、カンタベリー大主教のジャスティン・ウェルビーとピート・グレイグ(24-7 Prayer の創設者)は、ペンテコステの日曜日の前の週に、多くの教会や宗派の何十万人ものキリスト教徒に、諸国の福音化のための大いなる祈りの波を呼びかける取り組みを開始しました。その週は、ペンテコステの週末に世界中の大聖堂や教会で満員の信者が集まったビーコン イベントで最高潮に達しました。ジャスティン・ウェルビーは、人々に次の 3 つのことを祈るよう求めました。
「すべてのキリスト教徒がイエス・キリストに新しい命を見出すように…あなたが出会うすべての人が…イエスの何かを見ることができるように…教会がイエスの存在の現実で溢れるように。」
ピート・グレイグはこれを「大衆のうねり、草の根運動」と表現しました。彼は、ある少年が5人の友人のために祈り、そのうち3人がその後キリスト教徒になったという話を聞いて、とても感動したと言いました。
祈りは霊的な栄養です。身体が物質的な食物を必要とするのと同じように、魂は霊的な食物を必要とします。祈りは私たちを変えます。しかし、聖書はこれよりずっと先へ進んでいます。
祈りには力があります。チャールズ・ハッドン・スポルジョンが言ったように、祈りは「全能の筋肉を動かす細い神経」です。祈りには、状況、他の人々、さらには歴史の流れを変える力があります。

‭箴言 15:21-30 口語訳‬ [21] 無知な者は愚かなことを喜び、 さとき者はまっすぐに歩む。 [22] 相はかることがなければ、計画は破れる、 はかる者が多ければ、それは必ず成る。 [23] 人は口から出る好ましい答によって喜びを得る、 時にかなった言葉は、いかにも良いものだ。 [24] 知恵ある人の道は上って命に至る、 こうしてその人は下にある陰府を離れる。 [25] 主は高ぶる者の家を滅ぼし、 やもめの地境を定められる。 [26] 悪人の計りごとは主に憎まれ、 潔白な人の言葉は彼に喜ばれる。 [27] 不正な利をむさぼる者はその家を煩わせる、 まいないを憎む者は生きながらえる。 [28] 正しい者の心は答えるべきことを考える、 悪しき者の口は悪を吐き出す。 [29] 主は悪しき者に遠ざかり、正しい者の祈を聞かれる。 [30] 目の光は心を喜ばせ、 よい知らせは骨を潤す。

祈りは状況を変える

神は「神に忠実な人々の祈りに心を留めておられる」(29節、MSG)。あなたの祈りは、起こることに変化をもたらすことができます。「主は悪者から遠く離れているが、正しい者の祈りは聞かれる」(29節)。箴言の著者によると、義とは「まっすぐな道を歩む」(21節)、忠告に耳を傾ける(22節)、そして思いの純粋さを保つ(26節)ことです。それは「祈りの答え」で人々に応える(28節、MSG)ことを意味します。イエスを通して、信じる者はすべて「義人」です(ローマ3:22)。したがって、神はあなたの祈りを聞いてくださいます。

祈りと綿密な計画は互いに相反するものではありません。神と話すことと同様に、他の人から助言を得ることも賢明です。「助言がなければ計画は失敗するが、助言者が多ければ成功する」(22節)。

あなたはどこへ行っても祝福をもたらします。「[心が喜ぶ人の]目の光は他人の心を喜ばせ、良い知らせは骨を養う」(30節、AMP)。

主よ、何度も私の祈りを聞いて答えてくださりありがとうございます。主よ、今日私は祈ります…

‭使徒行伝 16:16-40 口語訳‬ [16] ある時、わたしたちが、祈り場に行く途中、占いの霊につかれた女奴隷に出会った。彼女は占いをして、その主人たちに多くの利益を得させていた者である。 [17] この女が、パウロやわたしたちのあとを追ってきては、「この人たちは、いと高き神の僕たちで、あなたがたに救の道を伝えるかただ」と、叫び出すのであった。 [18] そして、そんなことを幾日間もつづけていた。パウロは困りはてて、その霊にむかい「イエス・キリストの名によって命じる。その女から出て行け」と言った。すると、その瞬間に霊が女から出て行った。 [19] 彼女の主人たちは、自分らの利益を得る望みが絶えたのを見て、パウロとシラスとを捕え、役人に引き渡すため広場に引きずって行った。 [20] それから、ふたりを長官たちの前に引き出して訴えた、「この人たちはユダヤ人でありまして、わたしたちの町をかき乱し、 [21] わたしたちローマ人が、採用も実行もしてはならない風習を宣伝しているのです」。 [22] 群衆もいっせいに立って、ふたりを責めたてたので、長官たちはふたりの上着をはぎ取り、むちで打つことを命じた。 [23] それで、ふたりに何度もむちを加えさせたのち、獄に入れ、獄吏にしっかり番をするようにと命じた。 [24] 獄吏はこの厳命を受けたので、ふたりを奥の獄屋に入れ、その足に足かせをしっかりとかけておいた。 [25] 真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。 [26] ところが突然、大地震が起って、獄の土台が揺れ動き、戸は全部たちまち開いて、みんなの者の鎖が解けてしまった。 [27] 獄吏は目をさまし、獄の戸が開いてしまっているのを見て、囚人たちが逃げ出したものと思い、つるぎを抜いて自殺しかけた。 [28] そこでパウロは大声をあげて言った、「自害してはいけない。われわれは皆ひとり残らず、ここにいる」。 [29] すると、獄吏は、あかりを手に入れた上、獄に駆け込んできて、おののきながらパウロとシラスの前にひれ伏した。 [30] それから、ふたりを外に連れ出して言った、「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。 [31] ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。 [32] それから、彼とその家族一同とに、神の言を語って聞かせた。 [33] 彼は真夜中にもかかわらず、ふたりを引き取って、その打ち傷を洗ってやった。そして、その場で自分も家族も、ひとり残らずバプテスマを受け、 [34] さらに、ふたりを自分の家に案内して食事のもてなしをし、神を信じる者となったことを、全家族と共に心から喜んだ。 [35] 夜が明けると、長官たちは警吏らをつかわして、「あの人たちを釈放せよ」と言わせた。 [36] そこで、獄吏はこの言葉をパウロに伝えて言った、「長官たちが、あなたがたを釈放させるようにと、使をよこしました。さあ、出てきて、無事にお帰りなさい」。 [37] ところが、パウロは警吏らに言った、「彼らは、ローマ人であるわれわれを、裁判にかけもせずに、公衆の前でむち打ったあげく、獄に入れてしまった。しかるに今になって、ひそかに、われわれを出そうとするのか。それは、いけない。彼ら自身がここにきて、われわれを連れ出すべきである」。 [38] 警吏らはこの言葉を長官たちに報告した。すると長官たちは、ふたりがローマ人だと聞いて恐れ、 [39] 自分でやってきてわびた上、ふたりを獄から連れ出し、町から立ち去るようにと頼んだ。 [40] ふたりは獄を出て、ルデヤの家に行った。そして、兄弟たちに会って勧めをなし、それから出かけた。

祈りは人々を変える

初期の教会がこれほど強力だったのはなぜでしょうか? 確かに、その答えの一部は、初期の信者たちの祈りの生活にあります。

定期的に祈る
祈りは定期的な習慣だったようです。「あるとき、わたしたちが祈りの場へ行ったとき…」(16節)。これは、彼らが一人で祈っただけでなく、頻繁に集まって祈っていたことを示しています。

イエスの名において祈る
クリスチャンの祈りは、自分の名ではなくイエスの名において祈るからこそ力強いのです。

パウロはフィリピの町で「霊能者」に付きまとわれました。彼女はオカルトに関わっていたため、明らかに悪魔の影響下にあったのです(17節)。数日後、ついにパウロは彼女の延々と続く繰り返しに我慢できなくなりました。彼は振り返って言いました。「イエス・キリストの名において、あなたに命じる。彼女から出て行け!」(18節)。その瞬間、悪霊は出て行きました。

イエスの名は非常に強力です。悪魔の力に対処する唯一の方法は、イエスの名を通してです。どんな悪魔もイエスに匹敵しません。イエスは私たちを悪魔の力から解放します。イエスはこの若い女性の人生を完全に変えました。悪魔は「あっという間に消え去った」(18節、MSG)。

どのような状況でも祈りなさい
この女性は奴隷で、所有者に大金を稼がせていました。所有者たちは彼女が超自然的な力を失ったことに激怒しました。彼らはパウロとシラスを捕らえ、「彼らを乱暴に扱い」、「逮捕し」(19-20節、MSG)、法廷に引きずり出しました。彼らは群衆を煽動して彼らに対抗させました。

群衆は「攻撃」に加わりました(22節)。私たちが変化を起こし始めても、人生は必ずしも楽なものではありません。私たちの意見の中には、非常に不評なものや違法なものもあるかもしれません。「攻撃」は必ずしも失敗の印ではなく、成功の印かもしれません。

判事たちは圧力に屈し、彼らの服を脱がせ、厳しく鞭打ち、厳重な警備の下、牢獄に投げ込み、「足枷をはめ」るよう命じました(24節、MSG)。

看守は、人々が怒り、呪い、悪態をつきながら牢に入ってくるのに慣れていたでしょう。それとは対照的に、彼はパウロとシラスが神に祈り、礼拝し、賛美歌を歌っているのを見ます(25節)。祈りと礼拝のこの組み合わせには大きな力があります。

地震が牢を揺らし、すべての扉が開きました。看守は、囚人全員が逃げ出したと思い、その結果を恐れて自殺しようとしていました。自由を目の当たりにしたパウロは、代わりに留まり、看守をキリストに導くことを選びました。

パウロが囚人全員がまだそこにいると保証すると、彼は尋ねました。「救われるためには、何をしなければなりませんか?」(30節)。これは「伝道の機会」と呼べるものです!パウロは看守がしなければならないことを説明し、こうして彼とその後彼の家族全員がイエスを信じ、洗礼を受けました。

すぐに、彼の人生は変わり始めました。彼は同情を示しました。パウロとシラスの傷を洗いました(33節)。彼らに食事を与えました(34節)。彼と彼の家族全員は「喜びに満たされました」(35節)。彼は公にキリスト教徒として知られることを望みました。彼らはピリピの教会の創立メンバーになりました。

これらの出来事は明らかに超自然的だったので、パウロは自分の言葉の人間の働きの背後にある神の驚くべき力を見ました。

このエピソードは、裁判官がパウロとシラスに個人的に謝罪しなければならなくなったところで終わります。彼らは彼らがローマ市民であることを知らなかったため、彼らが受けたような扱いは違法でした。「裁判官たちはパニックに陥り…謝罪し、個人的に彼らを牢獄から連れ出しました…パウロとシラスはまっすぐリディアの家に行き、友人たちと再会し、信仰において彼らを励まし、それからようやく出発しました」(38~40節、MSG)。

祈りには、私たち自身の人生を変える力だけでなく、状況、出来事、そして他人の人生を変える力もあります。

主よ、私たちが初期の教会のようになるよう助けてください。私たちが定期的に集まって祈れるよう助けてください。イエスの御名の力に感謝します。主よ、祈りと礼拝が私たちのすべての行いの基盤となりますように。

1列王記

14:21-16:7

祈りは歴史を変える

もちろん、祈りは過去を変えることはできませんが、将来の出来事の流れを変えることはできます。

列王記に記されている神の民の歴史は、かなり複雑です。神の民が「主の目に悪と映ったこと」を常に読みます(14:22、15:26、34、16:7)。彼らは罪を犯しました(例えば、14:22b、15:26、30、34、16:2)。彼らは神殿娼婦を抱えていました(14:24a)。彼らは忌まわしい習慣に従事していました(24b節)。イスラエルとユダの間には絶え間ない戦争がありました(30節、15:6、32節)。王たちはしばしば「主に完全に身を捧げて」いませんでした(3節)。

アサ(15:9–24)のような注目すべき例外もありました。彼は「神の前で善行をし、先祖ダビデの道を復活させた。彼は家を掃除した…」(11–12a節、MSG)。

このすべての真ん中に、興味深いコメントがあります。「それにもかかわらず、主はダビデのために、彼の神である主がエルサレムで彼にともしびを与え、彼の後継者として息子を立て、エルサレムを強くされた。ダビデは主の目にかなうことを行い、生涯、主の命令を一つも守らなかった。ただし、ヘテ人ウリヤの場合だけはそうであった」(4–6節)。

ダビデは死後もずっと影響力を持っていました。神は何世代にもわたって彼の祈りを尊重しました。

神はダビデにこう言われました。「あなたの家とあなたの王国は、わたしの前にとこしえに続き、あなたの王座はとこしえに堅く立つであろう。」(サムエル記下 7:16)ダビデはこう祈りました。「主なる神よ、どうか今、しもべとその家についてなされた約束をとこしえに守ってください。約束どおりにしてください。そうすれば、あなたの名はとこしえに大いなるものとなるでしょう。その時、人々は言うでしょう。『万軍の主はイスラエルの神である』。そして、しもべダビデの家は、あなたの前に堅く立つでしょう。」(25-26節)

主はダビデの祈りを聞きました。ダビデの祈りの影響は歴史の流れを変えるほどでした。ダビデは正しい人生を送っていました(「ヒッタイト人ウリヤの場合を除いて」)。しかし、新約聖書は、イエスを信じるすべての人がダビデよりも良い立場にあると教えています。イエスの死と復活を通して、あなたは神の前に正しいのです。神は正しい者の祈りを聞きます。ですから、イエスのおかげで、あなたの祈りも歴史の流れを変えることができます。 主よ、どうか私たちの街と国をあなたの元へ戻してください。あなたに完全に献身し、悪を取り除き、私たちの世界に平和と正義をもたらす指導者や政治家を育ててくださるよう祈ります。

ピッパはこう付け加えます

ソロモンはおそらく世界で最も賢い人だったでしょうが、子育てはうまくいかなかったようです。彼は、自分が書いたであろう格言を実践すべきでした。「子供たちをその行くべき道に従わせよ。そうすれば、年老いてもそれから離れることはないだろう」(箴言 22:6)。


御子(キリスト)が来た

2024-06-22 11:03:45 | 日記
マタイ14:22-33 NIV [22] イエスはすぐに弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させた。[23] 彼らを解散させた後、イエスは祈るためにひとりで山に登られた。その夜遅くになっても、イエスはひとりでそこにおられた。[24] 舟は陸からかなり離れており、向かい風のために波に揺られていた。[25] 夜明け前に、イエスは湖の上を歩いて彼らのところに行かれた。[26] 弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見て、恐れおののき、「幽霊だ」と言って、恐怖のあまり叫び声をあげた。[27] しかしイエスはすぐに彼らに言われた、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」。[28] ペテロが答えた、「主よ、あなたでしたら、水の上を渡ってみもとに行けとおっしゃってください」。[29] イエスは、「来なさい」と言われた。 するとペテロは舟から降り、水の上を歩いてイエスのもとに来た。[30] しかし、風を見て恐ろしくなり、沈みかけたので、「主よ、お助けください」と叫んだ。[31] するとイエスはすぐに手を伸ばして彼をつかみ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。[32] 彼らが舟に乗り込むと、風は静まった。[33] すると、舟の中にいた人々はイエスを拝んで言った。「本当にあなたは神の子です。」
‭Matthew 14:22-33 NIV‬ [22] Immediately Jesus made the disciples get into the boat and go on ahead of him to the other side, while he dismissed the crowd. [23] After he had dismissed them, he went up on a mountainside by himself to pray. Later that night, he was there alone, [24] and the boat was already a considerable distance from land, buffeted by the waves because the wind was against it. [25] Shortly before dawn Jesus went out to them, walking on the lake. [26] When the disciples saw him walking on the lake, they were terrified. “It’s a ghost,” they said, and cried out in fear. [27] But Jesus immediately said to them: “Take courage! It is I. Don’t be afraid.” [28] “Lord, if it’s you,” Peter replied, “tell me to come to you on the water.” [29] “Come,” he said. Then Peter got down out of the boat, walked on the water and came toward Jesus. [30] But when he saw the wind, he was afraid and, beginning to sink, cried out, “Lord, save me!” [31] Immediately Jesus reached out his hand and caught him. “You of little faith,” he said, “why did you doubt?” [32] And when they climbed into the boat, the wind died down. [33] Then those who were in the boat worshiped him, saying, “Truly you are the Son of God.”

御子(キリスト)が来た
Here comes the Son

マタイは、イエスが水の上を歩いた物語を語るとき、奇跡が「夜の第四見張りの時間に起こった」と書いています。この見張りの時間は伝統的に午前 3 時から午前 6 時まで続き、太陽が昇るまでの夜の最も暗い時間です。
When Matthew tells the story of Jesus walking on water he writes that the miracle happened “... in the fourth watch of the night.” This watch traditionally lasted from 3am to 6am - the darkest part of the night until the sun rose.

私は、フロリダの海岸で家族旅行をしていたときに、このことの重要性に気づきました。そこでは、私たちのアパートから海に昇る日の出の素晴らしい景色を眺めることができました。娘は毎朝起きて私と一緒に日の出を眺め、地平線から初めて太陽の光が顔を出すと、「太陽が昇るわよ!」と叫んでいました。世界の光であるイエスが夜明け前にわざわざ海の上を歩いて弟子たちのところへ行ったとき、弟子たちも同じように「息子が来るわよ!」と言ったのではないかと思います。
I became aware of the significance of this during a family vacation to the Florida shore where we had this spectacular view of the sunrise over the ocean from our apartment. My daughter would get up and watch the sunrise with me each morning, and as the sunlight appeared for the first time over the horizon she would announce; “here comes the sun!” When Jesus - the Light of the world - deliberately walked to the disciples on the sea just before dawn, I wonder if they said the same thing, “Here comes the Son!”

おそらく今日、あなたは、物事が最も暗いときにこそ光が来るということを思い出す必要があるでしょう。
Maybe today you need to be reminded that when things are darkest, that's when the Light comes.



満足感への召命

2024-06-22 10:46:08 | 日記
ヘブル人への手紙 4:10 NIV [10] 神の安息に入る者は、神がご自分のわざを休まれたように、自分も自分のわざを休まれるからです。
‭Hebrews 4:10 NIV‬ [10] for anyone who enters God’s rest also rests from their works, just as God did from his.

満足感への召命

安息日を守ることで、私たちは神が世界を創造する際に確立したのと同じリズムに踏み込むことができます。聖書は、神が御業を休まれたのは、御業が完了されたからであると語っています(創世記 2:1)。神は御業の達成に喜びを感じました。

ヘブライ人への手紙 4:10 で、著者は神の休息と私たちの休息を比較しています。「神の休息に入った者は、神が御業を休まれたように、自分の御業を休まれるのです。」私たちは神の存在を喜び、神の神聖な満足感を共有するよう招かれています。

この休息は、善行から休憩を取ることではありません。神の御業の完全性を信頼することで、コントロールの必要性を放棄することです。私たちの「休息」は、神の愛と承認を得るのに十分であることを証明するという重荷から私たちを解放します。これらのことは、十字架上でイエスが成し遂げた御業を通して確保されました。この休息のリズムに踏み込むと、人生のあらゆる部分に溢れ出る満足感を見つけることができます。

神は、あなたがすべてを自分でやろうとするのをやめ、代わりに十字架上で成し遂げられたイエスの働きに平安を見出すよう呼びかけているのでしょうか?

怠惰からではなく、降伏して重荷を降ろしてください。世界を創造した方があなたの面倒も見てくださると信じてください。

Called to Contentment

Observing Sabbath-rest allows us to step into the same rhythm God established in creating the world. Scripture tells us when God rested from His work, it was because His work was complete (Genesis 2:1). God took joy in His accomplishment.

In Hebrews 4:10, the writer draws a parallel between God's rest and ours: "for anyone who enters God’s rest also rests from their works, just as God did from his." We're invited to delight in His presence and share in God’s divine contentment.

This rest isn't about taking a break from good works. It’s about surrendering the need to control by trusting in the completeness of God’s work. Our "rest" releases us from the burden of proving ourselves good enough to earn His love and approval. These things have been secured through Jesus’ finished work on the cross. When we step into this rhythm of rest can we find contentment that spills over into every part of our lives.

Is God is calling you to stop trying to do everything on your own and instead find peace in Jesus’ finished work on the cross?

Lay down your burdens, not out of laziness, but surrender. Believe that the One who made the world also takes care of you.

解放のための祈り
A Prayer for Release

神様、私の心は重くなっています。私の重荷をあなたにゆだねます。それらを降ろし、あなたに委ねます。私の弱さと疲労を支えてくださりありがとうございます。あなたの御前で休息し、元気を取り戻す方法を教えてください。イエス様の御名により、アーメン。
God, my heart is heavy. I release my burdens to You. I lay them down and surrender them to You. Thank You for holding me in my weakness and weariness. Show me how to rest and refuel in Your presence. In Jesus’ name, Amen.