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神の道を発見する 

2024-06-17 18:02:21 | 日記
神の道を発見する
Discovering God’s Path

主はあなたに神の意志を示したいと思っています。それが何であるか知りたいですか?
The Lord wants to show you His will—do you want to know what it is?

詩篇 25:4-5 NIV [4] 主よ、あなたの道を示し、あなたの道筋を教えてください。[5] あなたの真理によって私を導き、教えてください。あなたは私の救い主である神であり、私は一日中あなたに望みを置いています。
‭Psalms 25:4-5 NIV‬ [4] Show me your ways, Lord, teach me your paths. [5] Guide me in your truth and teach me, for you are God my Savior, and my hope is in you all day long.

ヨハネ 16:13 NIV [13] しかし、真理の御霊が来ると、あなたたちをすべての真理に導きます。御霊は自分から語るのではなく、ただ聞くことを語り、また、これから起こることをあなたたちに告げます。
‭John 16:13 NIV‬ [13] But when he, the Spirit of truth, comes, he will guide you into all the truth. He will not speak on his own; he will speak only what he hears, and he will tell you what is yet to come.

テモテへの第二の手紙 3:16-17 NIV [16] 聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。[17] それは、神のしもべがあらゆる良い働きのために十分に整えられた者となるためです。
‭2 Timothy 3:16-17 NIV‬ [16] All Scripture is God-breathed and is useful for teaching, rebuking, correcting and training in righteousness, [17] so that the servant of God may be thoroughly equipped for every good work.

テサロニケ人への第一の手紙 5:17 NIV [17] 絶えず祈りなさい。
‭1 Thessalonians 5:17 NIV‬ [17] pray continually,

おそらくあなたは、神は私の人生に特別な計画を持っているのだろうか、と疑問に思ったことがあるでしょう。もし持っているとしたら、その計画が何であるかを知ることはできるのでしょうか。これらは、多くのクリスチャンが一度は考えたことがある疑問です。そして良いニュースがあります。その答えは、どちらも断然イエスです。神は信者一人一人の人生に計画を持っています。さらに、神は私たちが神が私たちのために用意した道を知り、歩むことを望んでおられます。
Perhaps you have wondered, Does God have a specific plan for my life? And if He does, is it possible to know what the plan is? These are questions many Christians have grappled with at some point. And there’s good news—the answer to both is a resounding yes! God has a plan for each believer’s life. Moreover, He wants us to know and walk the path He has for us.

時々、私たちは主の御心を見つけるという考えを必要以上に複雑に考えてしまいます。主は御心と隠れんぼをされているわけではありません。私たちの人生にとって最善の道を見つけるためにできる簡単なことが3つあります。
Sometimes we make the idea of finding the Lord’s will more complicated than it needs to be. He’s not playing hide and seek with His will. There are three simple things we can do to discover His best path for our life:

私たちは神の導きを心から望み、神が完璧なタイミングで導いてくださることを信じなければなりません(ヨハネ16:13)。
We must have a sincere desire for God’s guidance, trusting that He will direct us in His perfect timing (John 16:13).

私たちは神の言葉を通して主を求めるべきです。結局のところ、聖書は神が神の意志と道を私たちに明らかにするために使われる主要な道具の一つなのです(テモテへの第二の手紙3:16-17)。
We should seek the Lord through His Word. After all, the Bible is one of the primary tools He uses to make His will and His ways apparent to us (2 Timothy 3:16-17).

私たちは、父なる神が、その愛する子供である私たちに何かを伝えてくださることを心から期待しながら、絶えず祈らなければなりません(テサロニケ第一 5:17)。
We are to pray continually (1 Thessalonians 5:17), fully expecting that our Father has something to say to us, His beloved children.

このように主を求めるなら、私たちは自分の人生に対する主の導きを認識できるようになります。そうすれば、私たちは主の御心に従って歩んでいるという確信を持って生きることができます。
As we seek the Lord in these ways, we’ll be able to perceive His direction for our life. Then, we can live with the confident hope that we are walking in His will.

御霊の果実 – 善良さ

2024-06-17 10:31:36 | 日記
御霊の果実 – 善良さ
Fruit of the Spirit – Goodness

「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁じる律法はありません。」(ガラテヤ人への手紙 5:22-23)
“But the fruit of the Spirit is love, joy, peace, forbearance, kindness, goodness, faithfulness, gentleness and self-control. Against such things there is no law.” (Galatians 5:22-23)

聖霊が私たちの生活に働くと、私たちの性格は変わります。かつては罪に執着していた私たちの生活の領域、つまり人間の性質を反映した領域において、私たちは今や聖霊の実を身に付け、神の性格を反映することができます。
As the Holy Spirit works in our lives, our character is transformed. In the areas of our lives where we once held onto sin, which reflects our human nature, we can now possess the fruits of the Spirit and reflect God’s character.

聖霊の実の一つは善良さです。では、これは何を意味するのでしょうか。また、それを私たちの生活にどのように適用できるのでしょうか。
One of the fruits of the Spirit is goodness. So, what does this mean, and how can it be applied to our lives?

私たちは成長するにつれて、「いい子になりなさい」とよく言われました。それは、お母さんの家事を手伝ったり、学校で良い成績を取ったりすることだったかもしれません。
Growing up, we were often told to “be good.” Maybe this looked like helping your mom with the household chores or getting good grades in school.

しかし、「善良さ」という言葉の本当の意味は、一般的に見落とされていると思います。善良さは行動であり、徳を積むためだけに行うものではありません。
I think the true meaning of the word “goodness” is commonly overlooked, though. Goodness is action; it’s not something we do only for the sake of being virtuous.

私たちが自分自身の利益のためだけに「善良」であろうと努めるとき、それは私たちが本当に持っている善良さではありません。ギリシャ語で「善良」という言葉「アガトスネ」は「心と生活の正直さ」を意味します(Thayer & Strong、1995年)。
When we strive to be “good” only for our own benefit, it is not truly goodness that we possess. In Greek, the word goodness, “agathosune,” means “an uprightness of heart and life” (Thayer & Strong, 1995).

善とイエス・キリストの生涯
Goodness & the Life of Jesus Christ

わたしたちが心からの善良さから行動し、御霊の実を反映するとき、わたしたちは神の戒めに従い、他人の利益を求めます。わたしたちの行動は無私の心から来るものであり、自分の必要よりも他人の必要を優先します。
When we act out of true goodness of the heart and reflect the fruit of the Spirit, we are obedient to God’s commandments and seek the benefit of others. Our actions come from a place of selflessness, and we place the needs of others before our own.

聞き覚えがありますか?
Does this sound familiar?

イエス・キリストの生涯は善の完璧な例です。イエスは人類の罪のために十字架上で亡くなり、永遠の命という贈り物を私たちに与えてくださいました。イエスの奉仕と犠牲は、人類に対する神の善の好例です。結局のところ、「福音」という言葉は「良い知らせ」を意味します。
The life of Jesus Christ is the perfect example of goodness, as He died on the cross for the sins of humanity in order to give us the gift of eternal life. His ministry and sacrifice is an example of God’s goodness toward mankind. After all, the term “gospel” means “good news.”

イエスの弟子ペテロは、使徒行伝 10 章 38 節で、イエスの宣教の素晴らしさについて語っています。「神はナザレ人イエスに聖霊と力を注がれた。そしてイエスは巡り歩いて良いわざをし、悪魔に支配されている人々をみな癒した。神がイエスと共におられたからである。」
Peter, a disciple of Jesus, talks about the goodness of Jesus’ ministry in Acts 10:38: “How God anointed Jesus of Nazareth with the Holy Spirit and power, and how he went around doing good and healing all who were under the power of the devil, because God was with him.”

さらに、イエスは羊のために命を捧げたので、聖書の中で「良い羊飼い」と呼ばれています。
In addition, Jesus is called the “good shepherd” in Scripture, because He laid down His life for His sheep.

結論
Conclusion

私たちクリスチャンは、キリストの性格を反映する生き方をするよう求められています。マタイ伝 5 章 16 節には、「そのように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。そうすれば、人々はあなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるでしょう」とあります。
We are called as Christians to live in a way that reflects the character of Christ. Matthew 5:16 says, “In the same way, let your light shine before others, that they may see your good deeds and glorify your Father in heaven.”

善良とは、認められるために手の込んだことをすることではありません。多くの場合、私たちが一日を通して行う小さな善行こそが、周りの人々にとって最も意味のあることなのです。
Goodness is not about doing elaborate things to gain recognition. Oftentimes, it is the small acts of goodness we do throughout our day that mean the most to those around us.

あなたの友達が落ち込んでいますか? メモを書いて、あなたがどれだけ彼らのことを気にかけているかを伝えてください。 誰かがあなたをけなしていますか? 彼らのために祈ってください。
Is your friend having a bad day? Write them a note to let them know how much you care about them. Is someone putting you down? Pray for them.

こうした善行によって、私たちはキリストの性格を反映し、聖霊の実を身に付けます。誰も気づかないように見えるかもしれませんが、神は気づいています。結局のところ、私たちが善行をすると、神の名に栄光がもたらされるのです。
It is in these acts of goodness that we reflect Christ’s character and possess the fruit of the Spirit. While it may seem like no one notices, God does. Ultimately, when we show goodness, we bring glory to God’s name.

聖霊よ来てください

2024-06-17 05:25:37 | 日記
聖霊よ来てください

神の前で時間を過ごすことは、人生で最も重要な活動です。人生において、神の存在は何よりも必要です。しかし、神の存在はどこで見つけられるのでしょうか。
教会の最も古い祈りの一つである「聖霊よ来てください」を、聖霊が来てくれることを心から期待しながら誰かが祈るのを初めて聞いたときのことを、私はよく覚えています。
それは1982年の日曜日の夜のことでした。私たちは[HTB](https://www.htb.org/)での夕方の礼拝の後、地下室で集会を開きました。私たちが「聖霊よ、来てください」と祈ると、驚くべき出来事が起きました。私たちは、ペンテコステの日に使徒行伝に記されているのと同じような肉体的な現れとともに、人々が聖霊に満たされるのを見ました。翌日、再び誰かが「聖霊よ、来てください」と祈ったとき、私たちは驚くべき肉体的な治癒が起こるのを見ました。
新約聖書には、聖霊が主権的に、また自発的に人々の集まりを満たした場面がいくつもあります(使徒行伝 2:2、10:44)。弟子たちが聖霊を求めて祈った場面もあります。「彼らが祈っていると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされた」(4:31)。
今日の旧約聖書の箇所には、「主の栄光がその宮を満たした」(列王記上 8:11)と書かれています。今日の各箇所は、聖霊を通してもたらされる神の力強い存在をいかに享受するかについて語っています。

‭詩篇 76:1-12 口語訳‬ [1] 神はユダに知られ、 そのみ名はイスラエルにおいて偉大である。 [2] その幕屋はサレムにあり、 そのすまいはシオンにある。 [3] かしこで神は弓の火矢を折り、 盾とつるぎと戦いの武器をこわされた。〔セラ [4] あなたは永久の山々にまさって 光栄あり、威厳がある。 [5] 雄々しい者はかすめられ、彼らは眠りに沈み、 いくさびとは皆その手を施すことができなかった。 [6] ヤコブの神よ、あなたのとがめによって、 乗り手と馬とは深い眠りに陥った。 [7] しかし、あなたこそは恐るべき方である。 あなたが怒りを発せられるとき、 だれがみ前に立つことができよう。 [8-9] あなたは天からさばきを仰せられた。 神が地のしえたげられた者を救うために、 さばきに立たれたとき、地は恐れて、沈黙した。〔セラ [10] まことに人の怒りはあなたをほめたたえる。 怒りの余りをあなたは帯とされる。 [11] あなたがたの神、主に誓いを立てて、それを償え。 その周囲のすべての者は 恐るべき主に贈り物をささげよ。 [12] 主はもろもろの君たちのいのちを断たれる。 主は地の王たちの恐るべき者である。

神の力強い存在を切望する

エルサレムの神殿は、本来は犠牲を捧げる場所ではなく、神が臨在する場所でした。詩篇作者は、「神はユダで知られ、イスラエルでその名は偉大である。その天幕はサレムにあり、その住まいはシオンにある」(1-2節)と書いています。「サレム」はエルサレムの古いエブス人名です。「シオン」は、旧約聖書の中で、神の民の間で神の臨在の中心地(7節、AMP)としてエルサレムを指すのによく使われる言葉です。ここが神の天幕の場所(「住まい」、RSV)です。ここが神が住まわれる場所です。

だからこそ、神の民はエルサレム、特に神殿に熱烈な思いを抱いていたのです。私たち皆が心の奥底でそうであるように、彼らは神の存在を切望していました。驚くべき真実は、イエスを通して、私たちはどこにいても、神の民である私たちの中に、そして私たちの間に神の存在を感じることができるということです。神は御霊によってあなたの中に住んでおられます。

主よ、私はあなたと共にいてくださることを切に願います。あなたの住まいがあなたの民と共にあることを感謝します。どうか今日も私たちをあなたの聖霊で満たし、あなたの御名を私たちの間で大いなるものとしてください。

‭使徒行伝 13:42-52 口語訳‬ [42] ふたりが会堂を出る時、人々は次の安息日にも、これと同じ話をしてくれるようにと、しきりに願った。 [43] そして集会が終ってからも、大ぜいのユダヤ人や信心深い改宗者たちが、パウロとバルナバとについてきたので、ふたりは、彼らが引きつづき神のめぐみにとどまっているようにと、説きすすめた。 [44] 次の安息日には、ほとんど全市をあげて、神の言を聞きに集まってきた。 [45] するとユダヤ人たちは、その群衆を見てねたましく思い、パウロの語ることに口ぎたなく反対した。 [46] パウロとバルナバとは大胆に語った、「神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ。 [47] 主はわたしたちに、こう命じておられる、 『わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。 あなたが地の果までも救をもたらすためである』」。 [48] 異邦人たちはこれを聞いてよろこび、主の御言をほめたたえてやまなかった。そして、永遠の命にあずかるように定められていた者は、みな信じた。 [49] こうして、主の御言はこの地方全体にひろまって行った。 [50] ところが、ユダヤ人たちは、信心深い貴婦人たちや町の有力者たちを煽動して、パウロとバルナバを迫害させ、ふたりをその地方から追い出させた。 [51] ふたりは、彼らに向けて足のちりを払い落して、イコニオムへ行った。 [52] 弟子たちは、ますます喜びと聖霊とに満たされていた。

‭使徒行伝 14:1-7 口語訳‬ [1] ふたりは、イコニオムでも同じようにユダヤ人の会堂にはいって語った結果、ユダヤ人やギリシヤ人が大ぜい信じた。 [2] ところが、信じなかったユダヤ人たちは異邦人たちをそそのかして、兄弟たちに対して悪意をいだかせた。 [3] それにもかかわらず、ふたりは長い期間をそこで過ごして、大胆に主のことを語った。主は、彼らの手によってしるしと奇跡とを行わせ、そのめぐみの言葉をあかしされた。 [4] そこで町の人々が二派に分れ、ある人たちはユダヤ人の側につき、ある人たちは使徒の側についた。 [5] その時、異邦人やユダヤ人が役人たちと一緒になって反対運動を起し、使徒たちをはずかしめ、石で打とうとしたので、 [6] ふたりはそれと気づいて、ルカオニヤの町々、ルステラ、デルベおよびその附近の地へのがれ、 [7] そこで引きつづき福音を伝えた。

神の力強い存在に満たされる

ペンテコステの日から、神の力強い存在が民に臨みました。今日の聖句では、民が再び「喜びと聖霊に満たされた」(13:52)と書かれています。今やすべてのクリスチャンの内に聖霊が宿っています(ローマ人への手紙 8:9)。

この聖句では、聖霊に満たされたときの神の力強い存在の影響がわかります。

1. 効果
アンティオキアでは、群衆が主の言葉を聞くために集まりました (使徒行伝 13:44–45)。イコニオムでは、「彼らの話は実に効果的だったので、ユダヤ人と異邦人の大勢が信じました」(14:1)。

主は、しるしと不思議を行えるようにして、そのメッセージを確証しました (3 節)。これは、教会の全員がこの世で必ずしも完全な健康を享受するという意味ではありません。むしろ、福音が広まり、勝利を収めるために、神の将来の王国が到来するのを見るのです。

2. 反対
神が共におられるなら、大きな反対に遭わないだろうと決めつけないでください。これらの出来事は、実際にはその逆の場合が多いことを私たちに思い出させます。神が働いているところでは、敵は反対と困難を起こそうとします。

アンティオキアでは、一部の人々が「嫉妬に狂い、パウロを激しく非難し、彼の言うことすべてに反論し、醜い騒ぎを起こした」(13:45、MSG)。「彼らは迫害を煽動し、… 彼らをその地域から追放した」(50節)。

イコニオムでは、信じようとしない人々が「パウロとバルナバに対する陰口をたたき、路上の人々の心に不信と疑惑を植え付けた」(14:2、MSG)。彼らは「彼らを殴り倒す」(5節、MSG)。

3. 喜び あなたの幸せは、あなたに何が起きているかによって決まるのではありません。神の臨在から来る深い喜びがあります。あらゆる反対の中、アンティオキアを去ることを余儀なくされた後、彼らは次の町イコニオムに向かいました。「喜びと聖霊に満ち、二人の幸せな弟子」でした(使徒行伝 13:52、MSG)。

4. 大胆さ
聖霊は、反対にもかかわらず、あなたに大胆さを与えてくださいます。アンティオキアでは、「パウロとバルナバは大胆に答えました。『私たちは、まずあなた方に神の言葉を語らなければなりませんでした』」(46節)。イコニオムでは、「パウロとバルナバは、主のために大胆に語りながら、かなりの時間をそこで過ごしました」(14:3)。反対と「陰謀が進行中」(5節)にもかかわらず、彼らは「福音を宣べ伝え続けました」(7節)。

主よ、今日、私を聖霊と喜びで満たしてください。多くの人が信じるように、効果的に語れるよう助けてください。反対、煽動、陰謀に挫けないように助けてください。あなたのために大胆に語る勇気を与えてください。奇跡的なしるしと不思議をもって、あなたの恵みのメッセージを確証してくださいますように。

1列王記

7:23-8:21

神の力強い存在の栄光

一体なぜ、神と過ごす時間を望まないのでしょうか。私たちはソーシャルメディアやテレビ、携帯電話に何時間も費やしています。ジョイス・マイヤーはこう書いています。「私たちは、そうした活動に時間を費やすことに何の問題も感じていないようです。真実はこうです。悪魔は、クリスチャン生活の他のどの分野よりも、神と過ごす時間で私たちと戦っています。実際、サタンは、私たちが主と過ごす時間よりも、あらゆる種類の宗教活動に関与することを望んでいます。」

この一節は、神の前で時間を過ごすことがいかに素晴らしいことか、つまりイエスの信者としてあなたに与えられる特別な特権を理解するのに役立ちます。

エルサレムの物理的な神殿の建設に関するこの旧約聖書の一節(神が永遠に住まわれる場所、8:13)は、新約聖書の光の中で読むとまったく新しい意味を帯びます。エルサレムの神殿は、新約聖書において信者の心の中に神が住まわれる場所を予示していました。

特に、契約の箱は主の臨在を表していました。この神殿のクライマックスは、使用のために準備されたこと(3-9節)とソロモンの賛美(15-21節)の両方において、神殿に契約の箱が置かれたことでした。箱の中には「モーセがその中に置いた2枚の石板」(9節)以外、つまり十戒以外は何も入っていませんでした。神の民であるあなたが神の言葉のもとに生きるとき、神の御霊が神の存在の体験を増していることに気づきます。

次のように書かれています。「祭司たちが聖所から退くと、雲は主の神殿に満ち、祭司たちはその雲のために奉仕することができなかった。主の栄光がその神殿に満ちていたからである」(10-11節)。

神はどこにでもおられるにもかかわらず、私たちはいつもその存在を感じるわけではありません。確かに、ここで説明されているのは、神の存在の非常に大きな感覚です。ソロモンが「神よ、私は、あなたの目に見えない存在を永遠に示すために、この素​​晴らしい神殿を建てました」(13節、MSG)と言ったとき、ソロモンが説明していたのはこれです。

「聖霊よ来てください」と祈るとき、私たちは神の存在が私たちの中に来るという大きな感覚を祈っています。私たちがその祈りを捧げるとき、これが私たちがよく経験することです。

他の人と一緒にいるときに神の存在を経験する特別な瞬間があるかもしれませんが、一人で神と過ごすときにも神の存在を経験できます。

律法主義的になる必要はありませんが、定期的に神と過ごす時間は役に立ちます。聖書を読むとき、祈りの中で父なる神に話しかけるとき、キリスト教の音楽を聴くとき、またはただ静かに座っているとき、神の存在を経験し始めます。確かに、「聖霊よ来てください」という祈りが、完全な平安、穏やかさ、静けさで答えられることもあります。

主よ、あなたの栄光がソロモンの神殿を満たしたように、今あなたの栄光があなたの民を満たしていることをほめたたえてください。あなたの約束がすべて私たちの中で果たされたことを感謝します(コリント人への手紙二 1:20)。

聖霊よ、来てください。今日も私たちの間であなたの約束を果たしてください。私たちが「聖霊よ、来てください」と祈るたびに聖霊が来てくれて、私たちの間で神の存在を強く感じることができることを感謝します。私の時間を優先し、あなたの素晴らしい存在を私とともに楽しむことができるように助けてください。

ピッパはこう付け加えます
使徒行伝 13:50
「しかしユダヤ人たちは、神を敬う高貴な婦人たちや町の指導者たちをそそのかし、パウロとバルナバに対する迫害を煽動し、二人をその地方から追放した。」

神を敬うこれらの婦人たちがユダヤ人の嫉妬に巻き込まれ (45 節)、パウロとバルナバに敵対したのは残念なことです。敬虔な人々でさえ誤った影響を受けることがあります。私たちは毎日神の知恵と識別力を必要としています。


互いに愛し合いなさい

2024-06-17 04:40:25 | 日記
ヨハネ第二 1:6 NIV [6] 愛とは、神の戒めを守って歩むことです。あなたがたが初めから聞いているとおり、神の戒めは愛のうちに歩むことです。

‭2 John 1:6 NIV‬ [6] And this is love: that we walk in obedience to his commands. As you have heard from the beginning, his command is that you walk in love.

互いに愛し合いなさい

イエスは生涯の終わりに弟子たちに新しい戒めを与えました。イエスは弟子たちにこう言いました…

「わたしは新しい戒めをあなたたちに与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたたちを愛したように、あなたたちも互いに愛し合いなさい。あなたたちが互いに愛し合うなら、それによってあなたたちがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるようになる。」

ヨハネ 13:34-35 ESV

ヨハネは後に、この戒めについてクリスチャンに思い出させる手紙を書きました。彼はこう言いました—

「そこでわたしはあなたたちに求めます…互いに愛し合いなさい。愛とは、神の戒めに従って歩むことです。これが戒めです。あなたたちは初めから聞いているとおりに、それに従って歩むべきです。」

ヨハネ第二 1:5-6 ESV

ヨハネは、クリスチャンが互いに愛し合うことでイエスに従うことは愛の行為であると教えました。

これは、彼らがイエスの弟子であることを世界に示すため、重要なことでした。 人種、国、背景、経験の違いにもかかわらず、互いに愛し合ったキリストの信者たちは、イエスの救いの恵みと愛が人々を変え、救うことができることを示しました。

これは今でも私たちへの命令です。

私たちが互いに抱く愛は、他の人がイエスの信者を見るときに見るものにとって非常に重要です。イエスを信じていない人々が、困難や暴力の真っ只中にクリスチャンが互いに愛し合っているのを見たら、それは神が私たち全員に抱いている愛の絵となるでしょう。

私たちがまだ罪人であったとき、キリストは私たちのために亡くなりました。彼は私たちのために死ぬほど私たちを愛しました。これが私たちがお互いに抱くべき愛です。

今日、他の信者にイエスの愛を示す方法を考えてください。そうすることで、あなたはあなたの主イエスに従い、彼の道を歩むことになります。

Love One Another

Jesus gave a new command to His disciples toward the end of His life. He said to them…

“A new commandment I give you to you, that you love one another; just as I have loved you, you also are to love one another. By this, all people will know that you are my disciples if you have love for one another.”
John 13:34-35 ESV

John later wrote to Christians reminding them of this command. He said—

“And now I ask you … that we love one another. And this is love, that we walk according to his commandments: this is the commandment, just as you have heard from the beginning so that you should walk in it.”
2 John 1:5-6 ESV

John taught that it was an act of love when Christians obeyed Jesus by loving one another.

This was important because it would show the world that they were His disciples. Christ-followers who loved one another despite their differences in race, country, background, and experience showed how much the saving grace and love of Jesus could change people and save people.

This is still a command for us.

The love we have for one another is vital to what others see when they look at Jesus' followers. If people who don’t believe in Jesus see Christians loving each other in the midst of difficult or violent times, it will be a picture of the love God has for all of us.

It’s while we were still sinners that Christ died for us. He loved us enough to die for us. This is the kind of love we are to have for one another.

Today, think of ways you can show Jesus' love to other believers. By doing so, you will obey your Lord Jesus and you will be walking in His ways.

イエス様、あなたの生き方を通して、他の人を愛する方法を私に示してくださり、ありがとうございます。人を愛することは時々難しいですが、あなたが愛してくださるので、私も愛したいです。今日、他の人を愛する機会が私の前に現れるように助けてください。アーメン。

Jesus, thank You for showing me how to love others by the way You lived Your life. Sometimes it’s hard to love people, but I want to love them because You love them. Today, help me see the opportunities in front of me to love others. Amen.